〜 第313回 〜
<2017.8.12公開>
判らないことは判らない |
石垣島から帰ってきて、なぜだか判らないばかりの仕事が多い。 判らないことが判らないですまなくて、頑張ってついていこうとするけど、心がだんだん折れてくる。 7月の連休にぶらぶらと買い物をしていると、見ず知らずの大正生まれのおばあさんに声をかけられた。 「孫やひ孫もできて、素敵なアクセサリーにも出会えて、長生きして私はとても楽しいから、あなたも長生きしてね」 私がとても疲れた顔をしていたのか、たまたまだったのか? 子も孫はこれからもいないし、これはそれ以前の問題ありだしなぁ。 今の世の中で、これから先に楽しいことがあると思えない。 なぜ私に?って考えるとだんだん心も沈んでくる。 教習所で1時間ほど教習をぼーっと見学させてもらえないかなぁと少し思っていた。 判らないことが判らないといっても正しい時間。 判らないって状態を、当たり前だってちゃんと受け止めていた時間。 今はどうだろう。 判らない状態を自分で受け止めることすら否定されているんじゃない? 誰もが、判らないことを自分の問題だって心を折りながらも、なんとか頑張っている。 協力や情報があまりない野ざらしの状態をOJTと聞こえのいい理由でごまかされて。 神様は越えられない試練は与えない。 手の届くところからクリアにしていこう。 小さな達成感を味わうためにやることを紙に書きだして、終わったところから線で消していく。 OJTというのなら、私が起こす問題に対しての責任は、事前に回避できなかった指導者にある。 失敗しても命まで取られるほどのことではない。 小さな開き直りを繰り返しながら、匍匐前進で前に進んでいる感じだ。 目が覚めても、仕事のことが頭の中をかけめぐる。 夏休み前で急いでいる仕事を、ちょっとした判断の遅れで遅延させた。 急に来た台風による早退も打撃だ、、、 最終的には想定内のスケジュールに収まったはずだけど、ちょっとの失敗を引きずって夏休みに入ってしまった。 家にいることでのストレスも追加されると、夏休み中に私の心はちゃんと休めるのだろうか、、、 判らないことを判らないって言わさない環境って、こわいね。 |
フェルトマスコット |
ここ数日、フェルトマスコットと格闘している。 型紙を描いて、切って縫うだけ。 作業もパーツも簡単なはずだけど、何かが違う。 これもまた教習所に絡むのだけど、先生と話をしていて、教習所のキャラクターのヌイグルミや小さなキーホルダーが安く作れたら、、、という話題になった。 「ちょっと作って」って言われて「無理」とお断りをしたものの、立体物は技術的に無理だけどフェルトなら何か出来るかも?ってやり始めてしまった。 型紙はキャラクターを写し取るだけ。 顔のパーツもそんなに細かくないから型紙時点では、まだ楽。 だけど、フェルトを切るのに、細かい細工が難しく少し苦労。 切り出したパーツを少しずつ縫いとめて、最後にできたのは、何か違う、、、 パーツが簡単なだけ、ちょっとしたずれが想定と違うものになってしまう。 既存のキャラクターなだけに、とても顕著に差が表れる。 学生の時には簡単なものを本を見ながらいくつか作っていて、高校の時は先輩が書いた顧問のイラストから人形をつくったこともある。 だけど、今回のはひどい。 似ていなくてもかわいいならまだいいのに、そこにすらたどり着かない。 型紙は完璧だったのになぁ、、、 仕事のことを考えて疲れるより、マスコットの何がおかしいのか考えている方が気が楽。 自努力でなんとか切り抜けられそうだから? 型紙だけ渡して、手芸の上手な人にお願いするのが一番な気もする。 今でもお世話になっているから、いいものを作ってあげたい想いはあるけど、私の技術の限界、、、 でも、自らの力でモノが出来上がっていく感じって好きだわ。 |