TOKIのわがまま

〜 第304回 〜

<2016.5.8公開>

マニュアルありき
初詣に行ったときの違和感。 二礼二拍一礼、丁寧なお参りをする人が増えていた。 でもなんだか、マニュアル化された動きに沿ったようで不思議だ。 混雑している時は簡略化するのが礼儀でもあったのだけど、なんだかちゃんとやっていないのが悪いような変な雰囲気。 変な話、常日頃参拝をしているのならば威圧してくるのはわかるような気がするけど、大半は初詣にしか来ていないのにねぇ。

なにかもがマニュアル化されだして、自分で判断はできても、考えることが弱くなっていると感じる。 判らないことはネットで調べて、その情報が使えるかは自分で判断する。 答えが見つけられなかったら、フリーズだ。 みんなと一緒のことをやっているのが安心という気持ちよりも、間違ったことをやっていないという安心を取っているのか。 正式な「型」にとらわれて、そこから発展させる力が弱い。 やり方を覚えるが、なぜこうするのかまでの自己理解が弱い。 見ていて、工場規格品のような感じがする。 型に沿った動きをするロボットは、ロボットだけでいい。 知的発展するなら、せめてアンドロイドくらいにはなってほしいかなぁ。

システムの仕事をしている関係上、コンピュータの進化と作業の効率化を目にする機会が多い。 システムによる効率化で必要な労働力が減り、雇用も減る。 今はシステムを使う側の話かもしれない。 プログラミングレベルならば、条件だけ指定すれば人ではなくコンピュータが自動作成する日も近いだろう。 コンピュータと同じことをやるならば、人はいらなくなる。 マニュアル化された範囲でしか物事ができないと、仕事すら出来ない未来がやってくるかもしれない。 だから、マニュアルから応用ができるような人であってほしい。

参拝者で混雑しているときは簡略化した参拝をする。 これはマニュアルの応用だ。 型通りでなくても、神様も状況をわかってくれている。 どんなに形式通りなお参りをしても、気持ちのない、型だけの動きならば失礼だ。 誰もが同じレベルにするためのマニュアルを守るのは、定型的な仕事だけにしよう。 依存しちゃうと、自分で物を考えられなくなっちゃうよ。
2016.4.10

 

熊本で地震だ
熊本で大地震だ。 後から来た本震での被害が大きく、自宅が無事であっても戻りづらい状態となっている。 避難所も被害を受けて、安全に身を守れる場所はどこなのかも、わからなくなってきた。

数日間繰り返された地震映像は、ごめんなさい、スイッチをきりました。 現地の状況は気になるのだけど、映像を見続けることで、一緒に心を重くしている場合ではない。 遠くの出来事というわけじゃなくて、どうしたら助けになるのか、復旧できるのか、明るい未来に向けて考えてみたい。 現地に直接行けなくっても、何か思う気持ちがあるなら、お役に立てることが見つかるはず。 ボランティアに行く人のサポートをするのも、間接的だけどしっかりした「助け」だと思うけどな。

想定出来ないもので、大地震がいつおさまるのかわからない。 徐々にライフラインが復旧してきているが、まだ町の中心部だけの話。 不便な生活は続くと思われる。 どんなに便利で、いろんなものにあふれている世の中になっても、自然災害には勝てない。 避難生活がすぐ解消できそうで、未だできていない。 ネットで楽に注文できても、配送ができなかったら不便なまま。 便利になった毎日は、まだまだ何もできていない架空のものなのかもね。

日本は不幸にも大災害が定期的にどこかで起こっていて、そのたびに対策が打たれている。 事象によって進め方が異なるとはいえ、迅速な対応がまだまだ出来ていない。 避難先では同じような問題が毎回起こって、でも国家として組織的に対応するよりも、ボランティアの対応のほうが手早くて。 大きな対応は国家、小回りがきく部分はボランティアと、うまくすみ分けられていると思っていていいのかなぁ。 なんか違う気もするけど。

これからも何らかの災害と向き合わなきゃいけないので、他人事なんてことは言えない。 何が備えとして十分なのか、正解もない。 何もしていないままでいるよりは、何かを始めてみよう。 いままでの災害から何かを学んで、来たる災害に対して対応ができることも、何か救いになるような気がするのだ。

1日も早い復興をお祈りします。
2016.5.8
  

[History]


http://www.ne.jp/asahi/toki/times/ 
Update : 2016/6/5