〜 第298回 〜
<2015.5.30公開>
出立の5月 |
4月末でお別れすることになった人を何人か見送った。 新しい道に進んでいくので、がんばってって思うところなんだけど、なんだかちょっとさみしい。 一緒にフルートのレッスンをしていた子が、結婚する準備のためレッスンをやめることになった。 落ち着いたら戻ってくる予定だけど、やめている間に私のレッスンが先に進んでしまうので、一緒のクラスになることはちょっと難しいかなぁ。 最後のレッスンもいつもと変わりなく行われた。 いつもより丁寧にやろうと思ったけど、うーん、なんか消化不良。 早く戻ってきて、フルートは再開してほしいなぁ。 よく行くリラクゼーションのお店で、最初から担当してくれていた子5月から転勤となった。 社内で昇格して、他店の店長として栄転する。 最初のころはまだ見習いで、正社員になれるように頑張っていたのを思い出す。 社内研修でもいろいろ失敗して追試なんかも受けていたようだけど、最後にはちゃんと自分のものにしていった感じ。 こういうがんばりを評価してもらったのかなぁ。 転勤とはいえ同じ大阪の店舗で、行こうと思えば行ける場所にある。 元気が欲しいときにはそっちの店舗にも行ってみようかなぁ? 会社も5月異動で見知った人が何人か去ってい行った。 今の仕事と職種は変わらないとはいえ、長い間所属した会社を離れて、新しい会社に行くのはかなり不安と思う。 ただ、業務を縮小していく今の職場にいるよりは、早く新しいところで新しいことを始められるのはいいことなのかもしれない。 今できることは、「また一緒に仕事が出来るよ」と異動する方々が口にする言葉を胸に、粛々と残務をこなすだけかなぁ。 本当にいなくなったんだなぁって感じるのはこれからで、小さな喪失感もじわっとやってくるのだろう。 でも、会えなくなるわけじゃないんだよね。 大丈夫、心配ないからね。 |
言葉の壁? |
コミュニケーションは難しい。 同じ母国語で、同じ国で育っていてもお互いを理解するのは難しいと感じるのに、日本語を話す外国人だとあきらめに似たものを感じることがある。 あきらめるとはいえ、相手が「どうせわかんないし」というよりか、自分の表現力や相手への理解度に限界を感じるというものだ。 日本人の悪い癖というか、わかっているだろうと思う言葉をすぐ省略してしまうから、話がずれる。 相手が片言の日本語を使っていれば、まだちゃんと話そうとするけど、堪能だと日本人と話している感覚でつい省略してしまう。 うまく伝わっていなくて「しまった」って思う。 これって相手の理解度の問題だけではなく、私の理解不足でもあるんだよね。 ちょうど、今の仕事で韓国人の女性と話している。 10年近く日本に住んでいて、日本語は普通に話すし、メモを取っているときには日本語だ。 作ってもらった議事録で、小さな日本語ミスはあるものの、話した内容は十分理解できている。 でも、彼女は日本語が大丈夫って思って、日本人の感覚で話しすぎるとちょっと理解がずれているのが分かる。 普段、相手の理解に頼って、いかに話をしているかを感じる瞬間かもしれない。 今一緒に仕事をしているもう一人の女性は、今回の件とは直接関係ないけど、やっぱり外国人に話をするときに自分が日本語を理解できていないといけないという思いで、日本語教師の勉強をしている。 上手に話そうとするとそれが究極の方法なのかも。 「…は」「…が」「…を」ってそれぞれ使い方や意味を聞かれたら、上手な説明は難しいかなぁ。 どうやったら簡単な言葉で、高確率で意図が伝わるのかって考えてると、理解できている日本語すら簡単な言葉が思いつかない。 何となく難しそうな単語で、なんとなくの意味で普段会話してしまっているんだね。 いろいろ説明するってこと自体が練習になるかな? 出来る範囲でしか今はできないんだけど。 |