TOKIのわがまま

〜 第266回 〜

<2011.3.20 公開>

デマ錯綜中
先週起こった大地震に関連して、半分は真実を書いたデマメール、いわゆるチェーンメールを3パターン受け取っている。 転送してくれた子は、これは大事なことだと、親切な気持ちが100%で悪気はない。 ある新聞社勤務の直接の友達からの転送だから確かなものと転送してくれても、内容はデマとして公表されているものとほぼ同じ。 この新聞社勤務の子の情報観念というか、それがどういう影響を与えるのかわからずにやっているのなら、新聞社にいることが問題となるのかも。

チェーンメールには返事をしないのがルールというが、やっぱりダマされているかもしれないよと返してしまう。 こういうやり取りが通信上にたくさんあって、必要な情報が遅れてしまうってのもわかるんだけど、なんかなぁ、かえさずにはいられない。 

自分がダマされるというよりも、友達の優しさを踏みにじるようなメールを考えつく人々にむかついている。 内容がボランタリティーあふれるものでも、その通りすることが今の段階ではベストではない。 救援物資募集で現地の連絡先が書かれていても、今の通信状況じゃそこに連絡をするよりも、すでに情報を持っている人にネットで問い合わせるほうがベスト。 何かしてあげたいって気持ちで現地に問い合わせが集中すると、問い合わせ対応に人手が割かれてしまい、今すべきことができなくなってしまう。 

メールは簡単に転送でき、それがいいときも悪いときもある。 今は悪いほうに流れていると考えた方がいいかもしれない。 節電で言うなら、携帯は使えば充電が必要になるからメールを少し控えるだけでも充電頻度が少なくなって、人数が集まればそれなりの電力となる。 今やり取りしているメールは本当に必要なもの? そこは問題にならないよね、、、

とりあえずは、冷静になろう。 メールは転送する前に裏付けをとる。 ネット上でも情報が錯綜している部分はあるけど、自分ひとりで考えるよりはまし。

落ち着きましょう。 
2011.3.14

 

今、心に感じること
震災で私にできること。
「1日1日を大切に生きること」
失った命はあまりにも多い。だからこそ生きている私に出来ること。
何も出来ないことを嘆くより、今日1日が無事終わったことに喜びを感じよう。
物やお金では埋まらない空虚感。
生きている喜び。
そこに意味はなくても、生きることで救えるものは必ずあるから。

これは、昨日あたしの中で浮かんだ言葉。 地震直後に延々と流される津波の映像と、どんどん状況が明らかになっていく被災状況の中、何とか自分を保って過ごしていたけど、やはり心は何らかの影響を受けているみたい。 外に出て、募金活動に出会うと涙が出そうになる。 こんなに感情移入している自分はすでに重症。 震災以前にもメンタルな部分が低下していて、少し不安定で、ちょっとピンチかなぁと思っていたところにやってきた震災。 確かに気持ちの切り替え的な効果は多少あったけど、内容が悲惨な状況だから、また心がゆれている。 

精神科の医師ですら、報道を見ていることでPTSDを発症する人が増える危険があると判断している。 津波の映像を繰り返し見ることで疑似体験をしてしまうのだろう。 心苦しいかもしれないが、テレビを消して、情報を遮断することが賢明。 決して逃げること、目をそむけることではない。 今は冷静になって、心を落ち着けることがあたしに出来ること。 落ち込んで何も出来なくなることより、何かが出来る余力を保つほうを選択する。

こんな状況だから、はしゃぐな、笑うな、自粛しろと言う人もいる。 その状況にもよるけど、周りが常に緊張感一杯に強いられて、なんとなく心に余裕がなくなってしまうのは、逆効果な気もする。 とても不安なときに深刻な顔で大丈夫と言われるよりも、少し笑顔で大丈夫と言われたときの方があたしは安心する。 笑いがあっても、被災地のことを思わないで生きているわけではない。 少しばかり悲惨な状況から心を救いたいだけ。 誰もが心が強いわけではない。 少しばかりの逃げ場があるから、毎日がすごしていけるのだ。 今回直接震災にあっていなくても、過去阪神大震災がまじかで起こった経験が多少なりあるから、ふざけているわけではないんだよ。

被災地で希望を捨てずに救命活動が行われていて、命がけで原発を救おうとしている。 遠くの大阪ではただ祈ることしかできない。

こんな状況でも、何か言葉が浮かび上がったことに感謝します。
2011.3.20
  

[History]


http://www.ne.jp/asahi/toki/times/ 
Update : 2011/4/16