〜 第255回 〜
<2010.5.8公開>
流行を過ぎたら |
今の若者世代にとっては、流行を過ぎたものに対して反応することが恥ずかしいことらしい。 たとえば、少し前に流行ったお笑いに対して未だに笑っていることは恥ずかしい事だって思うとか。 言葉の流行りも移り変わりが速くて、大人が使い出した時点では若者世代にとって流行が終わったことらしい。 なんだかなぁ、そう聞くと若者世代って生き辛いなぁって思う。 自分が楽しいって事でも、周りの意見によって恥ずかしいことって思われたら、もう楽しめない。 自分の価値観だって思っていても、結局恥ずかしいと思われたくないって気持ちが大きければ、シュンって想いが萎んじゃう。 自分の考えが周りの価値観と比較されて決まっていくなんて、なんだか常に監視されているみたいであたしはいやだなぁ。 物事の流行の期間が若者世代の「少し前は恥ずかしい」って気持ちから決まっていて、それに企業や大人たちが振り回されて、速いテンポで新しいものを開拓していかないといけないって、なんだか変な感じ。 いいものはそのまま残ればいいんだけど、流行に乗ることが最先端って思うから、急速に注目され広がっては飽きるのも早くて、また次の新しいことに心が移っていってしまい、それまでのものはあっさり廃棄されていく。 流行が過ぎてしまえば企業も力を入れなくなるのが一般的だから、もうちょっと欲しいなって思ってももう手に入らない。 いいものだけに残念って感じかなぁ。 新しいことを早く取り入れることがいいってのは、昔から続いてはいること。 だけど、そのサイクルの間隔が短くなりすぎて、人も企業も疲れてきている。 新しいことってのはモノになるまでいろいろ費用がかかっていて、今のサイクルがひどくなると費用の回収だけで流行が終わっちゃうから、そのうちやる気をなくして新しいものも出てこなくなるのでは? 自由であるとか言いながら、結局周りの評価に支配されている。 なんだか、嫌な時代だなぁ。 ごまかした自分の感情って、ちゃんと消化できているんだろうか? 変なストレスとなって、誰かを傷つけることになっていなければいいのだけど。 流行が過ぎていても、誰がなんと言おうとも、自分がいいって思えばそれでいいんだよ、きっと。 よっぽど迷惑をかけない限りは、周りに気を使うことないって。 |
付録買い |
最近出た雑誌の付録に少し気持ちを揺さぶられている。 雑誌を手に取ったものの、買うべきか、買わざるべきか? 今日のところはそっと元に戻して帰ってきた。 ここ1年くらい、本格的な付録つきの雑誌が当たり前になってきている気がする。 特別付録とかいって、今回だけって感じで毎月付いているものもある。 特別付録って時には雑誌の値段が少し上がっているのが気になるところ。 それでも、付録って聞くとちょっとわくわくしてしまうのだけど。 ブランドとの共同開発ものになると、ちゃんとしたものって感じがして、つい手がでてしまう人が多いのだろうか? 1ブランドの特集雑誌は雑誌としては単価が少し高いけど、ブランドものをお手軽に手にすることが出来るってことだから、逆に安いんだろうなぁ。 ある意味今しか手に入らない一品だろうし。 本物のちゃんとしたものを手にするよりは安くブランド名の入ったものを手に入れられる。 いや、確かにそれはそれでいいんだろうけど、雑誌の値段から行くと、付録分の単価ってかなり低いはず。 それに手に入りやすいから、売れ筋のものは誰もが持っていてちょっとつまらない気もする。 せっかく購入するんだったら、やっぱり本物のちゃんとしたものを持ちたいなぁという気持ちもするんだけどなぁ。 本来は雑誌の内容に注目してもらいたいから付録で釣っているってとこなんだろうけど、付録しか目にしていない人も多いんじゃないかな。 雑誌自体はパラッとみて終わり。 付録なしでも購入するかって問われると微妙だったりする? 雑誌社もそれなりの売り上げを確保できるものの、付録を止めるタイミングが難しかったりして。 それでなくても、本の売り上げって減っているから大変なんだろうなぁ。 これからは電子書籍が増えるだろうけど、付録の楽しみってどうなるんだろう。 ネットで立ち読みは出来るけど、付録のわくわく感ってないよね。 たとえ何か付いていても、ソフトウェアや着メロなんてのだろうし、それじゃ実用性が、、、 気になっている付録は、少しお金を足せばもうちょっとちゃんとしたもので似たようなものを手にすることが出来る。 だから逆に迷うのかなぁ。 雑誌の内容も多少気になるところ。 でも付録がなかったら注目はしていなかったかも。 売り切れて残念ってなるかもしれないけど、もうちょっと迷ってみよう。 <2010.5.29> 「雑誌の付録」から改題 |