TOKIのわがまま

〜 第236回 〜

<2009.1.12公開>

記憶の足がかり
社内報に書かれていた記事。 四季がない国にいると記憶があいまいになるという。 四季があると花が咲いていた、雪が降った、暑かった、セミが鳴いていた、雨が多い時期だったとかで、いつぐらいにあったことだったと記憶を探ることが出来るんだけど、四季がないといつも同じ気候でいつのことなのかわからなくなるらしい。 普段気にもしていなかったことだけど、なるほどなぁとちょっと感じたり。

確かに、いつのことだったかなぁと考えるときには、気候のことだったり、何を着ていたか何てこと考えることある。 常夏だと、いつも暑いし、同じ花がずっと咲いていたりして、時期の判断には四季は使えないかも。 もっと現実的な出来事、何か事件があったとかから判断するのかなぁ、やっぱり。

無意識に記憶するときに季節のことも一緒に覚えているのかも。 四季があるから、覚えておくべき事柄の一つとして脳が認識しているとか? 日記でも「今日は寒かった」とか書いてしまうのって、気候も記憶の大事な要素として思うからなんだよ、きっと。 他に書くことがないだけなのかもしれないけど、それでも大事な事なんだよね。

今日は朝から寒い。 風も強く、雪が振ったところもあるらしい。

今日を日記に書くとしたら、こういう始まりになるだろう。 四季って記憶にも影響しているんだって、改めて言われるとちょっと関心してしまったんだよね。
2009.1.12

 

仕事も限界?
漠然と何だけど、最近は自分の仕事に限界を感じている。 うーん、なんていうのか、楽しいって感じはない。 ただ、今は自分自身のメンタルな部分が弱っているから何に関しても興味が小さいのかもしれないし、マイナス的な考え方にすぐ向いてしまってしまうだけなのかもしれない。

システム開発の最前線から一歩引いた場所に長く居すぎたのか、ちょっと最前線的な作業をやると、前のようにうまく出来ない自分がいて気持ちがずんずん沈んでいく感じがする。 ブランクがあるんだから仕方ないと思うんだけど、無理かもしれないという気持ちが大きくなってくる。 将来的なことを考えても、最前線で戦うというよりも、裏方でいいやって逃げの気持ちが大きい。 ただ、裏方ですら知識は乏しくて、がんばろうとは思っていても、こんなのすら出来ないんだって思うとダメだって気持ちが大きくなってしまう。

仕事なんだからというか、楽しくて出来ることだけやってればいいようなことってのはあんまりなくて、長い時間の中では楽しくないこともあったり、だめじゃんって思うことが続くようなこともあるのが当たり前。 こんなのたいしたことでもないはず。 今はメンタルな部分でどうも受け付けない状態だから、発想が悪いほうへ行きがちなのかも。 メンタルな部分がクリアになれば、なーんだって思える小さいことなのかもしれない。 クリアになってもやっぱ違うなって思えば、また考えればいいだけのこと。 今結論を出すべきことではないと、自分でも思うんだけどね。

でもやっぱり、無理だって思う状態はしんどいかな。 今はしんどいけど、もうちょっとしたら楽になるからって、だましだましいくことくらいしか今は出来ない。 

まぁ、現状維持するだけだよね。 
2009.1.12
  

[History]


http://www.ne.jp/asahi/toki/times/ 
Update : 2009/1/25