TOKIのわがまま

〜 第229回 〜

<2008.8.31公開>

手で話す

会社で2週間、インターンシップの指導を行うことになった。 だけど、彼、聾唖者なんだよね。

聾の方と直接やりとりした経験があまりない。 電車の中ではよく聾の方を見かけるので、手で話をしているのは見慣れている。 で、一体あたしはどう接していけばよいものか、ちょっと考えたりもした。 彼がどこかに就職するなら、健常者の中に入っていかなければいけないんだし、メモでやりとりしかできない状況はまずいよね、今のうちに健常者の中で働くってことはこういうことなんだって経験をしておかないと後が大変かもって思うところもある。 でも、指導する側としても、何か準備できることはないかなぁって考えたところ、簡単な手話は使えた方がお互い気が楽な気がした。

実際に簡単な手話の本を眺めていると、ふだんの生活でも使えるよねってものがある。 OKってのは親指と人差し指で丸を作って少し前に出すとか、ダメは両手の人差し指で×をつくるとか。 簡単なものなら取得可能かもしれない。

手話の中でもイメージしやすいものはどんどんジェスチャーとして、誰もが普段の会話で使用するようになると、会話の幅って広がるよなぁって感じる。 聾唖者と健常者の会話の壁が少し低くなるんじゃないかなぁ? 声でなくても会話ができるって楽しい気がする。

実際のところ、彼が会話を聞き取ったり、声を出す努力をしてくれているせいか、筆談はあまり使っていない。 あたしの努力といえば、ゆっくり目にはっきりしたしゃべり方でちゃんと顔を向けて話したり、手話に近い?ジェスチャーをつけてみることくらいかなぁ。 今のところ、何とか会話が出来ている。 

手話、ちょっと覚えてみようかなぁ。

2008.8.22

 

悪いことは誰のせい?
良いことは自分の努力、悪いことは自分のせいじゃない。 今のあたしに必要な考え方らしいけど、、、

メンタルクリニックに行っていて、どうも「まじめなよい子」イメージが先行していることにちょっとばかり戸惑いがあったりする。 「良いことはラッキーなだけ、悪いことは自分のせい」そう思っているのがダメといわれた。 「他人のせいにするな」とか「責任を持て」と注意されることがあるから、普段から悪いことを自分で受け止めていない気がする。 良いことに対しては、ラッキーなだけって思うことがあるし、まったくはずれてはいるわけじゃないかも。 ただ物事にまじめに取り組んでいるかって言われると、手を抜いたりちょっとさぼってみたりすることもあるから、やっぱ戸惑うかなぁ。

自分は起こったこと全てに対して受け止めるだけの適応力がないから、無意識に悪いことは自分のせいじゃないって思うことが多かったのかも。 そうすることでなんとなく保っていたバランスが、集中的に注意されることで悪いことも自分で受け止めようとしたことで崩れていったのかもしれない。 周りで起こることが自分のせいだって感じてしまい、ただただ辛い状態に落ち込んでいった気がする。 本当に自分の責任なのはどれなのか、それすらも判断できないのは、かなりしんどい。

物が壊れたり、不調なのは、明らかに自分の責任じゃない。 だけど、自分が不調だから周りも同調して不調になるんだって思い込んでしまうから、迷惑をかけてしまったって悩んでしまう。 本当に同調させるだけの見えない力があるんなら間違いなく自分の責任なんだけど、そんなのあるわけがないし。 一瞬でも不安になったら、自分のせいじゃないって頭の中で繰り返していたのは事実。 今なら何で?って思えるけど、陥っているときには判らないのだ。

考え方を変えるとはいえ、判断は必要かもしれない。 悪いこと全てを受け止める必要はないけど、全てを放棄するのも問題。 この線引きは、ちょっとずつやっていかなきゃいけないんだけどね。

悪いことに対して自分のせいじゃないなんて、傍から見たらかなり無責任な状態になるけど、でも、ストレスとバランスを保つために、あたしには必要なことなんだよ。 
2008.8.31
  

[History]


http://www.ne.jp/asahi/toki/times/ 
Update : 2008/9/14