〜 第220回 〜
<2008.1.19 公開>
プロジェクト終了? |
年末近くに、やっていたプロジェクトの仕事が突然終了した。 でも、プロジェクト自体がなくなったわけじゃない。 プロジェクトからあたしが外されたのだ。 当初からリーダーとの折り合いが悪い状態にくわえて、あたし自身、プロジェクト内で発揮できるスキルというのがない状態、まったく知らない分野とやったことのない開発パターン。 仕事を進める上で使う人は中国の人。 日本語がわかるとはいえ、完全ではない。 接触する人たちは同じ社員とはいえ普段関わりのない、ほとんど知らない人ばかり。 精神的に孤立した状態だった。 プロジェクト用に準備された部屋で1日のほとんどをすごしていて、他に日本人はいるとはいえ、ほとんどが中国の人2人とあたしだけ。 聞こえる会話は中国語。 雰囲気から困っていることが出ているのかなと声をかけても「大丈夫です」と返ってくる。 システムの細かいところは知識が未熟だから、確かにあたしに聞いても判らないよねって思う。 でも、彼らが何を話しているのか判らない状況、日本にいるけど海外で仕事してるような変な感じ。 後半はその部屋に行くのがなんとなく嫌で、行く時間がだんだん遅くなっていた。。。 日本人ですら周りが何を考えて、何を言っているのか判らなくなってきていたかも。 リーダーは怒鳴りちらす人なので、顔色をうかがって仕事をしなきゃいけないってのも苦痛だった。 考え方や進め方はそれぞれ違うし、それが気に入らないなら仕方ない。 1日でも早くこのプロジェクトから離れたい。 ドクターストップでも出てくれないかなぁ。 いくつかあるシステム中で今やっているものが終わったらプロジェクトを抜けられないか、ちょっと考えていた。 結局、リーダーと話をしていて、またトラぶって、「プロジェクトから外れてください」とリーダーが発したのにそのまま乗った結果、正式にプロジェクトから外れた。 今後の仕事として悪くなるのを防ぐためにあたしを外したんだから、少しでも悪くなったら彼の判断ミスになるから大変だろう。 あたしが勝手にプロジェクトを外れたわけではない。 それでも正直、プロジェクトへ戻る気持ちなんてない。 やっと離れられるって安堵の気持ちのほうが大きいから。 休日を休日としてゆっくり休める日が来るほうが、今はいい。 ある意味、あたしのプロジェクトは完了したのだ。 1日でも早くプロジェクトから抜けるという目標に向かって。 うーん、確かにただではすまないよ。 ある意味、感情的な状態で中途半端な結末を迎えたんだから。 今回の件で反省という宿題をいっぱい出されているし、、、 あのプロジェクトに参加し続けるには本当に限界が来ていたんだよ、あたし的に。 |
生きる保障 |
福祉であったり、医療であったり、生きることを支える部分では、お金儲けや仕事の楽さで働くものじゃないと最近は特に思う。 介護の世界で実際に現場で働く人の労働は体力的にも、精神的にも大変だけど、給与は内容に比べて低い。 福祉だからお金儲けをするじゃないってのも低い理由のひとつかもしれない。 それでも、営利を求めて現場に負荷をかけている会社は存在する。 何かおかしい。 仕事に見合った給与を支払えば、サービスを受ける側は上がるだろう金額を払える人しか利用できなくなってしまうだろう。 とはいえ、低いままは介護側の生活がいつか成り立たなくなってしまい、介護をする人が減ってしまうかもしれない。 いまのまま、介護側は見合った金額を報酬として受け取れる、サービスを受ける側にも負担が低くてすむような制度を取り入れると、すぐ破綻してしまう。。。 税金でまかなうといっても、困っている人からも徴収するってのはどうなの? こういう時って、他の国ではお金持ちがぽーんと寄付したりするんだけど、、、まだまだ日本では難しいかな。。。 福祉寄付みたいな一括して寄付を集めて福祉団体へ配分するような財団があって、大きく宣伝やっていれば良いのにね。(あるかもしれないけど、しらないよね、、、) 医療にしても、救急の病院たらいまわしなんて、もう救急の意味がないんじゃないのってなんか不安。 医者が少ないのもあるけど、経営が悪化しているから病院を閉鎖するなんてのはどうなの? 医者が減れば負担も増えて、医者を辞めてしまう人も増えるかもしれない。 これは給与の問題じゃないけど、医者を目指した人の就職が勤務の楽な医療機関に集中しているってのも、変な感じ。 大きな病院で人が確保できないなら、個人経営の人にも、月数回は救急の夜勤担当を義務付けたり出来ないんだろうか? 医療ミスで訴えることへの回避って問題もあるけど、医療を受ける側も何でもかんでも訴えるってのはどうなんだろう。 これ以上、負荷が増えて疲弊している医者に対して、完全を求めていくのは難しいかもしれない。 医者が減るから変な医者でも頼らなきゃいけなくなっているのかもしれないけど、、、 生きる支えになる部分は、お金の問題や仕事のきつさで左右されてはいけないと思う。 今のままではいつか崩壊してしまうだろう。 辛いときに頼れない救急病院は意味がないし、身動きがしづらいのに頼れない福祉施設も意味がない。 生きることを預かる部分を支えるってことは、やっぱり奉仕活動だろうけど、ちゃんとがんばっている人の生活は保障する必要はあるんだよ。 経営も大切だけど、それを支えられる社会でありたい。 生きる保障のない社会って、いやじゃない? |