〜 第199回 〜
<2006.12.3 公開>
先人の知恵 |
自分の生まれた頃に比べたら、電話は持ち運び出来るようになったし、テレビも薄くなってきれいな映像を映し出している。 音楽はレコードからテープ、CDへと変化して、今やデータだけでも楽しめる。 機器はだんだん小さく便利になって、技術的発展ってのがあきらかなだけど、でも本当に人の知恵は進化し続けているのだろうか? 今の技術ってのが、まったくゼロの状態から生み出されているものよりも、今までに出された技術を組み合わせた結果、新たに出来ているものが多い気がする。 電気の発見や発生方法が見つからなければ、今のように電力が使えることはないだろう。 数学も科学も、発見することに価値がなければ、今のように発展していないだろう。 で、実際、まったく何もない状態で、同じように今の世の中に普通にあるものを作り出すだけの知恵が、私たちの中から出てくることがあるのだろうか? 世界の中には、今では作っていないが昔の人々が当時の技術によって作り出したもので、今の技術を持っても同じものを作り出すことが出来ないものってのが、数多く存在しているらしい。 知恵が発展しているなら、今では製法すら考え付かないってことがあるのだろうかと、思ったのだ。 緻密な計算や機械がなかった頃に出来たことがわからない。 物を考える基点が違うし、案外単純なことかもしれないなとは思うのだけど、でもなんだか納得がいかない感じ。 大体のことは何とかなる世の中にいるから、何もないときにどうしようかと考える力がないのかも。 先人の知恵に近づこうと思うなら、便利な今の状況を捨てる勇気が必要かも知れない。 完成したおもちゃがなくても、子供はちゃんと何もないところから遊びを思いつく。 この柔軟性が大きくなったらだんだん消えて、今あるものでしか物事を考えなくなる。 あまりに知恵があふれていて、新しいことを考える必要性がなくなっているのかも。 なんか、便利な分、進化を感じられない。 わからないことに対して、どうなっているんだろうと興味を持つことも少ないかもしれない。 今あることを覚えるだけより、どうなっているんだろうと興味を持って考えることが勉強なんだって最近は感じる。 興味を持っても考える時間がないってのが、現実かもしれないけど。。。 やっぱり、今の技術ではわからないってものがあると、なんかくやしいなって感じるのだ。 |
仕分と処理が面倒です |
明日は古紙回収の日。 要らなくなった雑誌やダイレクトメールを整理している。 毎月のことなんだけど、そのまま出せるもの、出せないものを分けていくと、リサイクルとはいえ、そのままでは出せないものが未だに数多く存在しているなぁって思う。 ファッション系の雑誌だと、広告の中に化粧品のサンプルってのが入る時期がある。 そのまま捨てるにはどうなんだろう?と取り外すのだけど、実際に使用することはない。 コンピュータ系の雑誌でもたまにCDやDVDが入っていたりして、やっぱり雑誌を捨てるときには取り外しておく。 CDやDVDを目的として購入したのではないなら、中身を見ることは少ないかも。 ソフト系のサンプルだとCD−Rすらそのまま捨ていいのかなとシュレッダーにかけてみたり、なんか逆に面倒かも。 ダイレクトメールも、封筒に透明な窓が付いていたらはずしてみたりしている。 最近は窓も紙のものがあるから、ちょっとは楽なんだけど。 申し込み用紙とか入っていたら、親切心とかで名前や住所をすでに入力してくれていたりする。 だけど、不要だったら自動入力のためにわざわざシュレッダーにかけている。 お客の便利さか、環境配慮や個人情報漏えい防止か、どれを選ぶのがいいってことでもないけどね。 日々もらうレシートだって、ポイントカードを使う店だったら、会員番号とか名前とか、場合によれば住所までも記入されている。 何気に捨ててしまいそうだけど、これもシュレッダーかけておいたほうがいいんだろうね。 まとめてシュレッダーをかけているとゴミ箱がいっぱいになってきて、これって本当に環境にやさしいことをやっているのだろうかと少し考えてしまう。 結局燃えるゴミになってしまうのだ。 会社だったらシュレッダーにかけたものでもリサイクルに回せるシステムがあるんだけど、さすがに一般家庭では難しいかも。 公共施設や店頭で、シュレッダーがかけられたら、リサイクルに回すことは考えることが出来るのだろうに、、、 面倒がなくてリサイクルが上手に出来るようなものって、もっと出てこないのかなぁ。。。 |