TOKIのわがまま

〜 第195回 〜

<2006.10.8 公開>

戦争の不安
時々寝付けないときにふと頭に浮かぶことが、戦時下にいる状況だ。 いつ爆撃されてもおかしくない状況で、今日も無事生きれるのか不安でたまらない。 実際に経験があるわけではないけど、なぜか今すぐにでも現実に起こるかのような不安に襲われる。

終戦記念日であっても、昔のようにどこの局でもそろって暗い戦争のドキュメンタリを流すようなことはなくなった。 だけど、ここ2,3年は違って、より悲惨さが感じられるようなドラマや映画が作られるようになっている。 すこしでも注目が集まるようになのか、キャストも人気のある人を集めている。 戦争の悲惨さは十分に伝わっているとは思うけど、なぜ今こんなに流行ってしまうのだろうか?

戦争を伝える人が高齢になってきて、伝える人が減ってきているから? 若くなるほど戦争に無知すぎて、将来が不安だと思われているから? でも逆に、今の日本では、戦争を起こしそうなのは若者というよりご年配の方の気がするんだけど、、、 

戦争に巻き込まれる不安ってのは、年々増加しているかもしれない。 戦争って言うものが、大国によって結構簡単に開始されているような気がする。 正義という名の下ならば、事実なんてちゃんと確認がされなくてもいいみたい。 世界が敵か味方に分かれちゃうような不安。 ただそこに存在しているだけで、敵とみなされてしまう。 

戦争を起こす以上は、勝ち負けに関係なく、行われたことが正しかったのかちゃんと判断して、代表者は責任を取るべきだと思うのだけど。 そうじゃないと、勝った方が起こした罪がいつまでも正当化されてしまう。 出来る国は、ちゃんと自分の後始末まで出来てこそだと思うんだけど。 

戦争がないだけじゃなく、戦争になる不安がなくなるような未来が来るのだろうか。。。
2006.10.1

 

日常会話は関西弁
関西に住んでいるから、日常会話は関西弁。 特に意識しないでも、普段は関西弁になっているはず。

最近、標準語で話す方と話をしていて、自分の話している関西弁が自分でも普段しゃべっていないような関西弁になっているなぁとふと思った。 普段意識していないだけで、いつもと変わらないのかもしれないけど。 

別に標準語に対抗して強く関西弁をしゃべらなきゃとか考えてはいない。 どっちかっていえば、今までは標準語につられてしまい、標準語なのか関西弁なのかわからないような話し方になることの方が多かったかも。 岡山にいる親戚の家にいると、関西弁というものに岡山弁が混じったような話し方になっているから、関西弁に対して強い思いってものは、もっていないはずなのだけど。

海外に行って外国語の中にいると、やっぱり自分の方言がより強く出ているような気もする。 なんだろう、自分の存在をしっかり意識しようってことなんだろうか。 話すことで自分を維持しているような? うーん、そこまでする意味がわからん。。。

自分の方言を否定する気はないし、よその方言もなくなってしまうよりは存在していて欲しいと思う。 日本国内全てが標準語になってしまったら、なんだかつまらない感じがする。 いろんな方言があるから、日本語が面白いのかもしれないとちょっと思ってみたりもして。

でも、なんだか、自分のしゃべりで関西弁がきついって思ってしまうってのも、不思議な感覚だったりするのだ。
2006.10.8

 

[History]


http://www.ne.jp/asahi/toki/times/ 
Update : 2006/10/24