〜 第185回 〜
<2006.4.2 公開>
壊れていきます |
確かに1月から特に精神的に辛いことが多い。 だけど、なんだかそれとは別に壊れていくのです。 前々から調子の悪かったファンヒータ。 室温が20度を越えあたりになるとピコピコ音が鳴って換気を促してくる。 1月の寒くなり出した頃には室温18度でピコピコ。 換気するたびに10度近くまで下がる室温。 あんまりつけている意味がない。 燃焼がおかしいようじゃないので、何らかのセンサーが誤操作しているのか? 結局、修理に来てもらい、なんとか使える状態に。。。 見えない部分にある消耗品を交換するだけで復活したらしい。 オリンピック開始前に、テレビをつけても音声しか出てこなくなった。 しばらくしたら画像もでてくるんだけど、最初は10分かかっていたのが、翌日には30分、そして1時間、その後まったく映像が出てこなくなった。 もう1台、小さい画面のがあったから、それと置き換えてしばらく使用。 修理するという案もあったけど、液晶欲しいねって話をしていたところだし、デジタル放送も見てみたいよねって結局、新しいのを購入。 画面もちょっと大きくなって、デジタルきれい。 後半のオリンピックはデジタル放送だったのは、ちょっとよかったかも。 3月には、夜に冷凍庫のものが解け始めていた。 昼間に変な音がしていたと言う証言もあった。 使用しだして6年くらいだし、なにか冷気を送る部分がおかしいのかなと、ちょっと軽く考えていた。 翌日、電気屋さんに見てもらったら、コンデンサーがダメで、修理するのも部品を取り寄せて2日がかりの作業になるとか。 修理代も新品よりは安いけど、でも結構高い。 冷蔵庫が1日使えないのでもかなり大変。 結局その日に新しいのを買って、夜納品。 食材を冷蔵庫に戻せたのは10時前。 会社から帰ってきて、冷蔵庫の納品があって、食材戻しがあって、やけに疲れた。。。 大体の場合、修理代は新品の半額から3分の2くらいかかるようだ。 大事に使っていても、壊れるときは突然だったりする。 他ので数日間我慢できるものなら、修理して使うことも出来る。 だけど、今必要ってものは、そんなの待てない。 修理代にちょっと足したら、新しくてもっといいものが買えるのなら修理してまで使う人は少ないだろう。 いいものを長く使おうと思っていても、修理代が高かったり、修理の時間がかかるようでは、せっかくの思いも生かせない。 とりあえず我が家では毎月何かが壊れているので、次が何なのか、ちょっと怖かったりするのだ。 まぁ、冷蔵庫級の重要度の高いものは、なかなかないとは思うんだけど。 |
仕事の対価 |
毎日働いて、お金を稼いでる実感を味わうことはあまりない。 職業的なものもあるだろうけど、会社で働いていると、特に直接お金に結びつくような仕事でなければ、本当に実感ってのは沸いてこないような気がする。 ただなんとなく働いていては、自分の稼いだ金額ってのはわからない。 この作業は1時間いくらとかってパートアルバイトや歩合制の仕事じゃないとはっきりとわからない。 でも、会社には原価管理ってのがあるので、それぞれがやっている仕事内容にある程度の価格が設定されているはず。 調べたらわかることかもしれないし、自分の作業がちゃんと把握していたら、現実的な自分の仕事の価値ってのがわかるだろう。 でも、そこまでしないのは、調べるのが面倒なのと、知る必要がないって気持ちと、給与分働いていないというのが明らかになるのが怖いってのもあるかもしれない。 はっきり覚えていないのだけど、とある国では貝だったか木の実だったかを糸でつないで、そのひとつの輪がお金としての価値を与えられて使えるようになっていた。 輪を作っただけでお金になるってことは、好きなだけ作れるから一見いい感じがする。 でも貝だったか木の実だったかは無尽蔵にあるわけでもなく、集めてつなげるって作業をするんだから、その作業に価値があって初めてお金として通用するんだなって、なんかふと思ったりする。 ここ何ヶ月か、よりいっそう、会社に行っても働くって実感から離れている。 月のうち数日だけが仕事をしているって感じだった気がする。 この作業をするために存在していることに価値があると思うしかない。 それはそれで、すごい単価になってしまうかもしれないけど。 お金を稼ぐ実感がないから仕事が面白くなくなるって言うのではない。 だけど、ときどきちゃんと貢献できているんだろうかってちょっと思っては、微妙だなって自分で思うのだ。 入社してからの仕事と給与を、仕事の内容の価値で振りなおしていけば、まあまあなところなのかもしれない。 なにせ、給与の低いときのほうが今以上にいろいろやっていたし。。。 でも、これからは対価以上じゃないといけない気がする。 そう思っては、また気が重くなったりするのだけど。 まぁ、仕事に対価ってのを知ってみるのも、自分のためかもしれないね。 |
真新しいもの |
真新しいものを最初に使う時ってなんだか気持ちを引き締めなきゃって感じがする。 4月になると新しいものを使いたくなるのは、学校に通っていたときの名残かもしれないけど。 真新しいものへ切り替えるタイミングは、新年の1月だったり、新学期の4月、服だと衣替えの頃が多いのではないだろうか。 後はそれぞれ、何か新しいことを始めようって思うあたり? 真新しいものを取り入れることで、自分の気持ちもリセットさせたいって感じだろうか。 真新しいノートへ最初の一文字を書き入れるときには、今でもなんとなく緊張してしまう。 特にスケジュール帳だと、その一文字で1年が決まってしまうと感じてしまうほど緊張する。 真新しいものを使い始めるときは、出来るだけ気分がいいときやなんか縁起がよさそうなときに使いたい。 衣服やカバンだって、天気のいい日から使いはじめたい。 傘はさすがに雨の日しか使えないけど、それでも台風並みの大雨の時よりは、静かにさらさらと降ってくる小雨の時に使いたいと思う。 やっぱり最初の使い出しは、気分よく使いたい。 すれ違う新社会人や新入生たちの真新しい気持ちにちょっと触発されながら、毎年気持ちを切り替えてるつもりなんだけど、なんだかそれだけでは意識が続かない気がする。 身の周りにも気持ちを引き締めてくれる何かがあったほうがいいのかもしれない。 さて、4月から新たな部署でまったくやってきていない分野のことを始めることになった。 当面はお勉強ばかりの毎日になりそうで、楽しみと不安とでどきどきしている。 何か真新しいものを取り入れてしっかりしようとは思ってる。 新しいものを使えなくても、せめて洗い立て、磨きたての衣服を身に付けたいって気持ちはある。 とりあえず、がんばりましょう。 |