〜 第176回 〜
<2005.10.10 公開>
リハビリ室の不思議 |
リハビリを始めて4週間、1ヶ月経ったとこだ。 かなり順調な状態で指が曲がるようになってきている。 だけど、さすがに90度にはまだまだ。。。 怪我するまでに、リハビリなんてのは未知の世界。 テレビでの2本の棒をつかみながら歩行訓練しているイメージだったり、鉄アレイもって筋肉を鍛えるイメージだったり。。。 整形外科に通っていても、診察室までしか利用していなかったので、その先にあるリハビリの部屋ってのは、待っている人が見えているくらいでまったくわからなかった。 確かに、最初に首を天井からつっている人を見ると???ってなってしまう。 その傍では肩になにかの器具を付けて仰向けに寝ている人が何人か。 首や肩を伸ばしているみたいだけど、さすがに見慣れた光景とはいえない。 いくつかのベットはカーテンで囲まれていて、時折音楽が鳴っている。 機械の終了の音みたいだけど、中がどういう状態なのかまったくわからない。 マッサージ用のベットもいくつも並んでいて、何人かの人は普通にリハビリ師さんからマッサージを受けている。 もう、最初は目が点状態。 リハビリに来ている人は、大抵肩や腰、首や膝のマッサージ。 年齢層が高い。 歩くのも大変そうなお年寄りがいたり、どこが悪いのかまったくわからないような人が待合室にいて病院で仲良くなった人とおしゃべりをしていたりすることもある。 診察に来ている人より、マッサージに来ている人が多いかもしれない。 毎日のように来院してはマッサージだけを受けている人もいるみたい。 行っている病院は看護婦さんもだけど、リハビリ師さん自体、全体的に若い感じ。 なぜか、見た目もいい感じの人が多いような気もする。 ヨンさまもどきもいて、話し方もやわらかい人が多いから、おばさん受けはいいみたい。 通い続けるには、何らかの楽しみがないと辛い部分もあるから、ちょっとでも楽しくなるように工夫しているのか? 1ヶ月ほど経っても、毎日のように通っていたりしても、まだまだ未知の世界かもしれない。 途中で辛くなってやめたくなってしまうことが今のところないのは、この状況をしっかり楽しんでいるってこと? |
死んだ言葉 |
心のない言葉ってのは、どんなにきれいな言葉や思いやりがありそうであっても、なんとなくわかってしまうし、信じられない。 言葉を吐き出した人には、自分の言葉がどう取られているのかはわからないだろう。 文字で書いたら、どんな状態であれ、意味は一緒だ。 言葉が吐き出された瞬間、つぎつぎと力を失って下へ落ちていくようなイメージ。 その場のノリで吐き出された言葉ほど、自分勝手で自己満足的なものはないと思う。 受け取るほうにはまったく意味がない。 力なく死んでしまった言葉を投げられるほど、うっとうしいものはない。 話し手を信じない聞き手の問題も一部あるかもしれない。 だけど、その場限りの言葉を受け取り続けていると、受けとることを拒否したくなる。 言葉を信じるってことを裏切られるのはどうなんだろう。 最初から当てにしないで聞き流していればもっと楽だろう。 信じようって思うから余計に裏切られたように思って腹が立つ。 心のない言葉を吐き出す人は、その行為自体をやめさせることは無理。 自己陶酔に陥っている状態だから、反撃なんてしたら収拾つかないかも。 受け手が言葉を当てにしない、無駄に関わらないようにするしかないのか。 社交辞令であっても、少しは心を入れないと気持ちは伝わらない。 初対面であればあるほど、最初の印象ってのは大切という。 コミュニケーションが大切とはいえ、死んだ言葉はいらない。 変に事務的で、逆に失礼だ。 とりあえず話すような状態なら、黙っていてって思うんだけど。。。 話さなきゃわからないこともあるし、見極めに苦労するかもね。 |