〜 第171回 〜
<2005.7.31 公開>
嫌なものは嫌 |
一度嫌だなと思ったことは、早々簡単に覆らない。 食べ物にしたって、人にしたって、嫌だと思う気持ちを切り替えるには、それなりのきっかけが必要だ。 一度嫌だと思ったら嫌な面ばかりが見えてしまってると、このごろ上司に言われている。 ただ、嫌だと思っている人に対して、あたしから見ている面と上司から見ている面がかけ離れているからあまり素直に見方を変えますとはいえない。 上司から見たら、こまかく報告をしてくれるかわいい後輩かもしれないが、あたしから見たら、ただ上司に取り入っているだけで、下のものだと思えばかなり横柄な態度に出ているいい加減な人にしか見えない。 実際に本人が上司に取り入ることが仕事だといっているのだから、決して過剰な反応からの嫌さではないのだ。 嫌な面ばかり見ているとそればかりが膨らんでしまうというのは間違いではない。 一方から見て判断するのではなく、いい面も見てあげる。 そして、いい面だけを見ていれば余計なストレスもかからないだろう。 だけど、生理的に嫌な面がかなりの量であるのなら、それに見合うだけのいい面がなければ中和なんかされないと思う。 一見いいことをしているように見えても、その裏にあるものが生理的に嫌なことだったら、やっぱり嫌な人って思ってしまうのは仕方がない。 いい面だけを見ることが、我慢でしかないのならやっぱりストレスしか残らない。 嫌な人がいてもなんとかやっていくのが仕事とはいえ、効率が悪くなるのなら一緒にするのは間違いかもしれない。 プロジェクトを進めるには、やっぱり人間関係もいい状態で進めなければいけないようだ。 プロジェクトマネジメントという資格の中でも、折り合いのよくない人を同じプロジェクトに入れることはしないほうがいいようなことが書かれている。 どうしてもその人でなければいけない場合は仕方がないのだけど。 今やっているプロジェクトは、日に日に人間関係が悪化している感じがしてしまう。 情報は流れない、期限は迫る、何もしないのに中途半端に口を挟む人が多い。。。 実行部隊はだんだんストレスが溜まっている。 自分の作業を進めるためには他の人が何をやっていようが構わない人も現れてくる。 今の状態では、いい面だけを見るなんて余裕はない。 悪い面に目をつぶれる状態になるには、もっと余裕が必要かもしれないね。 |
血液検査の憂鬱 |
うちの会社の健康診断では、一定の年齢に達するまでは血液検査がない。 とうとう去年あたりから血液検査を受けることになってしまったのだけど。。。 「どちらの腕がいいですか?」と聞かれても、自分でもよくわからない。 去年はとりあえず、右腕を出してみたけど、ちょっと採取しづらかったためか注射針がだんだん深く刺しこまれていったのと、採取時にドーンとした痛みがあってちょっとだけ「痛いんです」といってみても「もうすこしですので我慢してください」と、まるで歯医者の治療のような会話があったのを覚えている。 今年は両腕をみてもらって左腕を選択してもらったためか、去年ほどの痛みもなく、針が深く刺さることもなかった。 どうやら、左腕を出したほうがいいらしい。 それでも、注射針をさす瞬間はやっぱり目をそらしてしまう。 ちくっとくるんだと思うと、なんとなく緊張してしまうし、緊張するとより痛くなるような気がする。 それなら刺さる瞬間がわからないほうがまだいいと思う。 全てが終わるまでにほんとに一瞬腕に目をやっただけで、ほとんど顔をそらしていた。。。 注射を受けること自体、学生時代以来ほとんどない。 10年以上は軽く遭遇していないことだ。 注射が好きな人は少ないとは思うけど、それでもあんまり注射に対して立ち向かえるほどの強い気持ちはない。 さすがに学校の予防接種では泣いて逃げることはなかったけど、打つまでが憂鬱な1日だった。 予防接種の針なんて、なんてかわいいものだったのだろうと、血液検査での針の大きさを見てしまうとつい思ってしまう。 やっぱり注射ってのは苦手で、献血なんて健康的なあたしは特に行くべきなんだろうと思うけど、足が向かない。 重要なことはわかっているけど、注射を克服するだけの使命感がまだあらわれない。 世の中には献血がしたいのに、諸事情で出来ない人もいる。 贅沢な話なんだろうけど、やっぱ苦手なのだ。 体が弱っていて点滴をすすめられたとしても、たぶん今の状態では断ってしまうかもしれない。 しかし、血液検査が憂鬱な上に、その後半日ぐらい指先に力が入らないってのは。。。やっぱ体が拒否しているのだろうか。。。 |