〜 第159回 〜
<2005.1.30 公開>
すべては神まかせ? |
年明けに引いたおみくじ、中吉。 書かれている内容も、まずまず。 だけど、「御仏に祈りなさい」とか「信心が足りません」という言葉が気に入らない。 あたし自身の個人的な努力が足りないって言うだけならまだなんとかなるんだろう。 だけど、神さまへの気持ちが足りないって言われると、なんだかなぁ。 初詣くらいにしか行かない神社やお寺がところなら、おみくじを引く時点ですでに信心が足りないと思う。 これが切羽詰った受験生だと必死で神頼みしてしまって、それでもダメだったら信心が足りなかったんだと思うのかなぁ。 そんなことに時間を割いているなら勉強したほうがいいような気もするのだけど。 まぁ、勉強が足りないんだって思うより信心が足りないからって思ったほうが、ダメだったときは気が楽になるってものなのかしら。。。 お祈りにしても個人的努力にしても、これだけやれば大丈夫ってのは完璧には存在しない。 誰が見ても大丈夫って時にだって、予期せぬことでダメになってしまうことがある。 確実合格って思われていても、当日病気になったらそれさえも揺らいでしまう。 こういう場合はやっぱ、神頼みってなってしまうのかな。 でも最初から、「ダメだったら信心が足りない」って言われると、結局最後はそれで済まされてしまうというか、なんだか無責任というか無意味だというか。。。 上手くいけば神様のおかげ、ダメだったらあなたの態度の問題ってこと? でも、おみくじって当たるも八卦当たらぬも八卦ってもんだから、文面に腹が立つなんてこと自体おかしいことかもしれない。 それって、おみくじにちょっと期待しすぎているってことかしら? まぁ、こんな事書いていること自体、かなり信心が足りないって感じ? |
子供はずるい |
天動説を信じている子供がいるといっては問題になって、人は死んでも生き返ると思うといっては問題になる。 回答をした子供の何人かは間違いだってわかっていていたずら心で答えているだろう。 確かに子供が間違ったことを信じているってことも問題だけど、もしこの回答の大半が故意に行われたものだったとしたらどうだろうか? 子供がそんなことするわけないって思うことのほうがちょっと問題かもしれないって思うんだけど。 今の子供は大人が思うより知恵がある。 多少悪いことをしても「子供だから」って許してもらえるのもしっかりとわかっている。 子供をなめている大人がいるから、大人をなめる子供もいるんだと思う。 都合が悪くなれば知りません、わかりませんで通じることって、子供だけじゃなく、大人の世界でもいっぱいある。 そんなのをずっと見てたら、反省よりも開き直ることが当たり前になってしまわないの? 子供の犯罪の低年齢化ってのも、大人社会の反映なんだろう。 事件を起こしてもばれなきゃいいとか、気に入らなきゃその存在を消してしまえばいいなんてこと、テレビのニュースではいくらでも事例が流れている。 子供の活動時間ってのは、事件の経緯を分かりやすく説明なんてしちゃいけないかもしれない。 知識として蓄積されてしまうから。。。 とりあえずあやまっておけば反省しているように扱われるってちゃんと知ってますし。 大人は子供に振り回されすぎている。 子供は大人の社会を見すぎている。 大人の社会と子供の社会がちゃんと切り分けられていないから、子供は大人の社会に近づきすぎて、大人の悪いところまで見てしまう。 影響力を受けやすいから、子供はちゃんとわからないまま、わかったふりしていいことも悪いこともやってのけてしまう。 間違ったことをやっていても注意する大人が減ったから、変な開き直りする子供が増えている気がするんだけど。 ゆとり教育とかいって学力面での問題を何とかしようってしているけど、その前に大人社会の悪いところをちゃんと直さないと。 子供はダメで大人はOKってのは、教育的に問題あり。 そんな状態でいくら注意しても、なめられるだけだし。。。 教育の問題って、大人が考えているところじゃないところにあるように思えるんだけど。 |