〜 第150回 〜
<2004.9.5 公開>
オリンピック |
あっという間に終わった感じのアテネオリンピック。 最初から金メダル続出で、見るほうも次の瞬間を見逃さないようについていくのが必死だったのでは? 開始と同時に会社が夏期休暇に入ったため、前半部分をゆっくり観戦していた方が多く、休み明けの数日は仕事がつらい人が何人かいたみたい。 オリンピックの記憶って、中学の頃にやっていたロスくらいから。 学校ではそれなりにオリンピックの話で盛り上がっていたのだけど、必死に見ていたっていうよりも、結果だけをただチェックしていた感じかもしれない。 今でも必死に見る競技ってのは特になく、なんとなく見ている感じかも。 世界選手権とかよりもオリンピックでの記録が一番の栄誉って思う人は多い。 記録を出すってことではどんな状況でも一緒だとちょっと思う。 だけど、毎年ある競技で記録をだすのと、4年に1度のチャンスで記録を出すのとは、気合が違うらしい。 毎年あるものは今年がダメでも来年にチャンスがある。 だけど、オリンピックは4年も待たなければいけないし、その間、現状維持かもっとレベルアップしていないと、通用しない。 レベルが上になればなるほど、現状維持だけでもかなり大変だろう。 若いうちはいいけど、年を重ねるほど厳しくなってくる。 国がオリンピックをボイコットしてしまうと、出たくても出れないけど。 メダルを取ったかどうかで、どうしても試合後の扱いが変わってくる。 入賞することもすごいし、オリンピックの競技場に立つこともすごいことだと思う。 国によっては、資金や国内情勢の関係で参加することだけでも大変な場合もある。 結果が全てじゃないと思うんだけどね。 オリンピックが盛大に行われている間は、まだまだ平和な国が多いってことなのかな。 |
ハードル走の記憶 |
小学校6年になると、総合体育大会かなんかで、地域ごとに合同で競技の記録をとっていた。 あたしの種目はハードルだった。 最初からは誰がどの種目に出るか決まってなくて、とりあえず100mの記録を校内で毎週のように計っていた。 なんの競技があったのか覚えていないのだけど、走る競技じゃないものでその競技が上手な子が何人かその競技用に抜けた。 残った人の100m走は続けられて、リレー用に上位の速さの子が分けられた。 このとき3チーム分分けられたのだけど、あたしはこの3チーム目に入っていた。 リレーの練習が何回かあったんだけど、2チームしか要らないってことになって、100m走に戻された。 そのあと、ハードルでの記録をみんなとって、あたしはハードル走へと転向?することになる。 校内だけだけど、100mでもそれなりの速さがあったんだから、ハードルさえ上手く飛べればそれなりの速さにはなる。 ただ、どの速さが目標ってのがないから、毎回ただ走って飛んでの繰り返し。 いかにハードルぎりぎりで飛び越えていくかなんてこと考えもしないから、わけもわからずに勢いだけで走っていた。 総合体育大会の当日も、よくわからないまま参加していたような気がする。 自分の出番も特に緊張もなかったような気がする。 ただ、競技が終わって、よかった人の記録が読み上げられたとき、自分の記録とそう大差がなかったように思う。 もう少しがんばっていれば1番だったかもって思うと、リレーの件もあり、また。。。って思った記憶はある。 ハードルで言えば、高校1年の体育祭はハードルに参加していた。 ここでも、なんか上手く飛べなくって、でも結果を見たらそんなに悪くもなく、あともうちょっとってところだった気がする。 何も考えないでやっていると、後で後悔してしまうのは昔からの癖みたいなものみたいだ。 とはいえ、小さな地域でのことだし、全体から見たらたいしたことのない記録。 陸上選手でもないことを考えたら、ちょっと速いかなってとこだろう。 ここで悔しいってがんばっていけば、それなりの自己記録を更新していたかもしれない。 陸上競技は嫌いじゃなかったんだけどね。。。練習ジミなのがね。。。長時間走り続けるの苦手だし。。。持久力がね。。。 |