TOKIのわがまま

〜 第137回 〜

<2004.2.26 公開>

レンズ越しの世界
目に見えているものがレンズ越しのもののような気がする。

あたしはめがねを使用しているから、そのままの意見だと思うかもしれない。 こういう現実的なレンズじゃなくて、目の前で展開されているものが画面を見ているような気がするのだ。 バーチャルリアリティというのか、360度3D大画面で等身大の世界を見ているような。。。 ここにあたしは立っているのに、話をしているのに、でも、あたしはいないような感じ。。。

疲れている。 確かに、あたしは疲れている。 ゆっくり休んで一時的に疲れは取れても、根本的な解決をしないと同じことの繰り返し。 いろんな感覚が麻痺しだして、世界に現実味を感じられなくなっていき、いつかあたし自身に現実味がなくなってしまうのかもしれない。 

生きたまま死んでしまうってのはこんな感じなんだろうか?

未来の不安というのか、願いが何もないというのか、今の状態はあまりいい感じではない。 現実の世界とレンズ越しの世界、どちらにも何もない。 何もないからどちらにいても困ることはない。 だけど、ちゃんとわかっている。 現実の世界に戻らなきゃいけないこと。 自分の未来をちゃんと考えること。

大丈夫、まだ、大丈夫。 こうやって書いている間は、まだ、戻れる。 

ただ、今のあたしは誰かの支えになってあげることは出来ない。 支えてあげようとしても、支えきれずに一緒に倒れてしまう。 それじゃ、なんだか、意味ないじゃん。

もう少し時間がかかるかもしれないけど、戻れるよ、きっと。
2004.2.21

 

抵抗する壁
何かをしようとすると、壁がある。 低くてまったく抵抗とならないこともある。 余りに高すぎて、やる気すら起こらないこともある。 ただ、この壁は越えるだけしか方法がないのではない。

がんばったら届くかもしれないものには、がんばる気力も沸いてくる。 あともう少し、あと少しだけとがんばっていたら届くかもしれないという夢がある。 だけど、少しくらいの努力では到底越せないようなものは、わずかな希望を力強くもつか、最初からあきらめるしかないと思ってしまう。

高い壁は越えようと思うから大変なんだ。 考え方を変えなければいけない。 越えていくのではなくて、破壊すればいい。 破壊は大げさかもしれないけど、通り抜けられるだけの穴が開けばいいのだ。 すべての壁は必ずそこにいなければいけないことはない。 たまたま、そこに建っているだけで、本当はなくてもいいものかもしれない。 たかがそれだけのもののために、あきらめてしまうのは、なんだか後味が悪い。 

どうしても必要な壁は、ちゃんと越えていく必要がある。 勉強もろくにせず、お金だけで弁護士や医者になんてなられたら、それは迷惑だ。 こういう知識の壁はちゃんと越えてもらいたいと思う。 壁を越えていくことは、精神的にも自分のためになるし、いいことだと思う。 越えなければいけない壁は、壊さずにちゃんと越えて行きたい。

だけど、やっぱり、無意味な壁は越えるよりも取り除いたほうがいい。 どんなにがんばっても精神力を消耗するだけで越えることが出来ずに、ほかの事に対してもやる気が失せてしまう。それはなんだかもったいない。

ちゃんとした壁か、偽物の壁かちゃんと見分けられるくらいには、成長しないといけないね。
2004.2.25

[History]


http://www.ne.jp/asahi/toki/times/ 
Update : 2004/3/6