〜 第123回 〜
<2003.8.3 公開>
夏の100冊 |
夏休みに近付くと「夏の100冊」みたいな「出版社お勧め100冊の本紹介」のキャンペーンが始まる。 新聞に出ていた今年の100冊を何気に見ていたら、内容がかなり変わっているような気がした。 学生の頃の「夏の100冊」って、国語便覧に出てきそうな、内容的にもなんか難しそうな名前のものがずらりと並んでいた気がする。 読んでみようと思うものを探すほうが大変だったような。 ちょっと古いものだと、言葉の言い回しとか独特なものがあり、楽しんで読むにはちょっとキツイ感じだった。 だけど、今の100冊って、現在進行形の作家の人が半分くらい占めていて、それなりにベストセラーになったものが並んでいた。 これならどれを読もうか考えるのも楽しいかもしれない。 読書感想文で何も書こうか悩むことが少ないかも。 100冊から消えた本はもう消えて行くしかないのだろうか? 名が挙がらない本はどんなに良いものでも目にさえつかなくなるから、ただ忘れられて行くだけかもしれない。 今の100冊は読書離れを食いとめるために注目されているものを多く入れるようになっている感じ。 だけど、長い休みにせっかく読むんだったら、昔のものをあえて読んでみるのも良いんじゃないだろうかと、今になって思ってしまう。 難しいのは読みにくいけど、時間を取って取り組めるのは、この時期しかない。 年をだんだんとっていくと、いくら読みたくても読めないし、頭の回転が取り組むだけの能力を持たない。 いろんな出版社から100冊が出るんなら、重ならないように選択して欲しい。 誰かの目に付く機会があればこそ、いい本は残っていくと思う。 だれもが知っているものは選ばなくてもちゃんと残って行く。 でも、そうなると100冊じゃ収まらなくなるのかもしれない。 100冊のうちの1冊でも読んでみようと毎年思うのだけど、なかなか。。。 ゆっくりとした時間があった学生の時にもっとちゃんと読んでみればよかったと、最近特に思ったりするのだ。 |
出さない手紙 |
急に手紙を出そうと思い立った人がいる。 何年も出していない、もう2度と出すことがないと思っていた人。 手紙を書く意気込みまでは良かったけれど、何度も書いた住所すら、今は覚えていない。 そういえば、最後に残っていたハガキを去年思いきって処分したような気がする。 たとえ覚えていても、そこに住んでいるのかすら判らない。 街はわかっているので、図書館にある電話帳で探せばなんとか探せそうかなと思うんだけど、確か電話帳には名前を載せていなかったはず。 思いついてもどうしようもない。 それでも、出せないことが判ってから、とりあえず手紙を書いてみた。 あたしにとって相手に届くよりも書くこと、文字にすることに意味があった感じ。 どうやって出せば良いんだっていろいろ考えていた時よりも、書いてみたほうがなんかすっきりとした感じだ。 内容は大したものではない。 でも、そのちょっとしたことがあたしには必要だったみたい。 多分あたしはいろんなことに疲れていて、そういった疲れがなかった時の感じにすこし戻りたかっただけだと思う。 出したところでどうなるってものでもなく、ただ受取人に迷惑をかけるだけだ。 そう、これはこのままでいい。 −元気ですか? 相変わらず、がんばってますか? |