TOKIのわがまま

〜 第114回 〜

<2003.3.16 公開>

 

自画自賛
妹が家で書の作品を書いていることが、最近多い。 母の行っている教室の先生の勧めで、腕試しがてらに書のコンクールに出すことになったため。 長く続けているとか、書の道を極めるぞってほどではないのだけど、趣味程度になら続けたいそう。 楷書に関しての腕はとりあえずそこそこの腕があるんだけど、時間とお金のやりくりが続かず、特に教室に通ったりはしていない。

家で書を書くのはいいのだけど、ある程度の腕があるもんだから、書き上げたものを見ては「うまい!」の連発。 本当に自画自賛。 今指導してもらっている先生自体、自画自賛出来るくらいじゃなきゃと言っているらしい。 なんだかなぁ、自画自賛をしているうちに、自分の悪い部分が見えなくならなきゃいいんだけど。 

確かに自画自賛していなきゃやってられないってことは、ある。 どんなにがんばっても他から評価が得られないなら自画自賛で行くしかない状況もある。 自分をプラス評価することで気持ちは前向きになるだろうし、自己アピールも可能だろう。 自信なさそうにしているよりも、はったりであっても自信があるようにしているほうが、出来る人に見える。 

だけど、多少の自己否定も必要だ。 あともうちょっと、ここが気に入らないとか思う心があるから物事が向上する。 自分に満足するってことは、今が最高であってそれ以上である必要はないってことかもしれない。 まぁ、それ以上になることはあってもいいけど、今はこれで満足って感じ? でも、その基準も自分の中だけのもの。 他から見たら大したことではなくて、ただの自意識過剰なだけなのかもしれない。 とはいえ、あまりにも自己否定が過ぎると自信を無くして何も出来なくなってしまうんだけどね。 

もっと上を目指したいと思うなら、自画自賛している中でも、少しは自己否定が必要。 あまりに自己否定してばかりで、精神的に苦しいなら、努力をして来た自分を誉めることぐらいはしたい。 

自画自賛が過ぎてただの自意識過剰にはならないように。

*2003/3/31
 自我自賛−>自画自賛の間違い。。。変だなぁとは思ったのさ。。。
2003.3.16

 

癒しの音楽
CDを見に行くと、「ヒーリング」だの「癒しの音楽」というコーナーが作られていることがある。 だけど、何を基準にわけているのだろう。

並んでいるものは、歌が入っていないものが多い。 TVやラジオでバックミュージックとして何気にかかっているものが特に多いのかも。 普段真剣に耳を傾けているものじゃないんだけど、聞きなれているから安心するってことなんだろうか? 人の声が入ると歌詞を聞き取ろうとしてしまって落ち着かないのか? 

癒しの音楽って人それぞれだと思う。 特定の人の声が好きで聞いているだけで落ち着く人もいるし、演奏者にこだわっている人もいる。 すぐにTVをつけてしまう人のように、なんでもいいから音が鳴っていれば落ち着く人もいる。 だけど、「癒しの音楽」ってだけでついなんとなく買ってしまう人もいる。 確かに普段とは違う音楽を聞くことは新鮮だし、あえてゆったりとした気持ちで聞こうとすることで癒されるのだろう。 CD自体にリラックスする周波数を入れこんだものは存在する。 だけど、癒しコーナーに並んだものがすべてそういう操作がされているものではない。

「癒しの音楽」って付けられたものは、なんだか悲しい感じがする。 売れたらとりあえずいいのかもしれないけど、ブームが去った時にはどうなるのだろう。 癒し目的で作られたわけじゃないのに、ただの流行りで作られているものと一緒にされるのは、なんだか。 ちゃんとしたものは残るはずなんだけど、売れなきゃ悪みたいな中では難しい気もする。

「癒しの音楽」ってものに基準はない。 自分が癒される音楽こそ、「癒しの音楽」だ。 癒しコーナーにあればどれにでも癒されるものが入っているとは限らない。 だけど、未知の音楽へのきっかけとしてダマされてみるのも悪くは無い。 なるべくなら、知っているものが多く入っているものを選んだほうが良い感じ。 

癒されるものは人それぞれなんだけどね。
2003.3.16

[History]


http://www.ne.jp/asahi/toki/times/ 
Update : 2003/03/30.