TOKIのわがまま

〜 第88回 〜

<2002.2.17 公開>

 

読むこと
活字中毒まではいかなけど、毎日何かを読んでいる。 興味を引かれた新聞記事であったり、雑誌であったり、本であったり。 文字を目で見て読みとってることにはかわり無いんだけど、その時その時でちょっとやり方が異なってきている。

今までだと、目でちゃんと一文字ずつ文章を読んで、頭でそのまま理解しているのが普通だった。 だけど、ここ最近、特にメールマガジンを読むときなんて、かなりいい加減な感じがする。 視線が文章の真中にあって、そこを中心に画像を読み取るかのように文章を頭に取りこんで、認識で来た文字だけで文章を新たに作成して理解している感じだ。 だから、実際の文章なんてわからない。 大体の筋をつかんでいるだけで、記憶に残るものは少ない。

画面から文章を読むのは、あまり楽なものじゃない。 だからどうしても、重要だと思わないメールマガジンなんてのは、いい加減な読み方をしてしまう。 必要だから取っているのだけど、文字が沢山詰まってくると、読むことが億劫になってしまう。

文章を書いてる側にしたら、あまりうれしいことじゃないかも。 いろいろ考えて書いた文章が、文章として認められず、その中の単語だけが一人歩きしてしまう。 伝えたいことがちゃんと伝えられていないのは、ちょっと悲しいかな。 読みにくいから飛ばされているのは文章の編集の問題だから、仕方ないのかもしれない。

自分の読み方がいい加減なのだから、他の人が自分の文章をいい加減に読んでいても仕方ない。 だけど、そんな中でも、ちゃんと読んでしまう文章を書く人もいるのだから、ちょっとでも参考にしていかなきゃね。 

中身も、もちろん、大切。
2002.2.17

 

悪魔なココロ
今のあたしは、かなり不調ぎみ。 ただのマイナス思考なだけならいいのだけど、どうも言動、思考が攻撃的。 もともと持っている攻撃性が更にパワーアップした感じ。

ちょっとしたことが気に入らない。 ただうっとうしいと思うのならいいけど、その人そのものの存在を否定してしまう。 「世の中にこの人はいらない」なんて思うことはざら。 迷惑をかけてもなんとも思わない人は、いらない。 生きているだけで地球のためにならないとまで思う。 禁煙の場所でタバコを吸っている人なんて、特にそう思ってしまう。 自分の快楽のために人に不快な思いをさせているのだから、仕方ない。

自分の手を汚してまで抹殺したいとは思わない。 こういう思考がかなり極端で、行きすぎているのはちゃんと自覚している。 その割には、思う瞬間って危険だと思わない。 理にかなっていることだと意識してしまっている。 毎日毎日こんな思考をしているなら、あたし自身がかなり危ないだろう。 でも、ときどき起こる、一時的なことなのだ。

完全な善人は世の中にはそうそういるものではない。 誰もがココロの中に悪魔を持っている。 それが出るかでないかで、良い人悪い人と分けられてしまっている。 良い人のようでも、ココロの中までは判らない。 悪い人でも良いココロの部分がある。 ただ認めたくないココロを押さえるだけじゃ、いつか爆発する。 認めて、違う形で発散できればいいのだけど、そうそう簡単にはいかない。

今は悪魔のココロが活性化されている。 それもあたしだから、ちゃんと認めよう。 押さえてしまうと次の時にはもっとパワーアップされてしまうかも。 自分の手は汚さないのが基本理念にあるから、そうそうひどいことにはならない。 これでも多少は制御しているつもりなんだけどなぁ。 
2002.2.17

 

牛は悪くない
獣医の勉強をしていた先輩に「動物を助けるお医者さんって良いですね」って言ったら、「実際には、牛舎に1頭でも病気の牛がいたら、その中の牛はすべて処分こともあるから大変だったりする」と返事が返ってきた。 10年以上も前の話で忘れていたけど、去年からの狂牛病問題でふと思い出してしまった。

牛自体には何の問題もない。 ただ与えられたえさを食べただけ。 たまたま食べたえさの中に、狂牛病になった牛が使われていただけ。 運悪く発病してしまっただけ。 同じえさを食べた牛は、すべて処分されてしまった。 誰のため?

えさだって農場の人が知識を持っていれば、うまく避けていくことも出来たのかもしれない。 狂牛病が日本ではまだ見つかっていなかったことが、おごりにはなっていなかったのだろうか。 本当に必要なえさだったのだろうか。 

牛にはかなりの災難だ。 人間の勝手で、処分されたり、捨てられたりしている。 狂牛病問題で、関係のない牛にも被害はおよんでいる。 食肉が売れないから、牛はいらない。お金にならないから、牛はいらない。

狂牛病の前は、牛乳の問題があった。 どちらにしても利益を優先してきたところは、それまでの過程に何があろうが、結果がすべてだったのかもしれない。 ばれてしまえばすべてが終わる。 えさを作った会社も甘かったし、農家も甘かった。 今の結果は仕方ない。 

甘い考えで、沢山の牛の命が消えたことをわかっているのだろうか?
必要以上に牛を求めた結果、沢山の牛が今じゃ邪魔者扱いされていることを、本当にわかっているのだろうか。

牛は悪くない。 
2002.2.17

 

[History]


http://www.ne.jp/asahi/toki/times/ 
Update : 2002/03/02.