〜 第81回 〜
<2001.11.18 公開>
見送る |
叔母の命が最近尽きた。 春過ぎにガンが見つかり、もってあと1年と言われていた。 再入院してからの連絡待ち、待機状態は、なんだか落ち着かなかった。 ただ、死を待つだけの状態はかなりつらい。死んでいくのを望んでいるわけじゃない。 出来れば元の元気な状態に戻って欲しい。 だけど、どうすることも出来ない。 多分、病院で付き添っている人達がもっと辛い。 苦しい思いをして逝ってしまうより、突然逝ったほうがいいという。 自分のためでもあり、看護する家族のためだとか。 だけど、逝き方は簡単に選べない。 安楽死ってあるけど、本当に辛くないのかなんて本人しかわからないと思う。 祖父の死は父方・母方とも突然で考える間もなかった。 今までも病気でなくなった方はいるんだけど緊迫した状況を知らないまま、最後の連絡だけが来ていた。 いつも、あまりに急で、夢であったかのような感覚すらする。 伯母の死は悲しいことだ。 だけど、悲しんでばかりいると伯母から逆に怒られる。 伯母が望む形で見送るのが一番なら、悲しまないのがいいと思う... |
読経 |
宗教や宗派によるのかもしれないけど、法事にお経の一部を読ませる場合がある。 日ごろそんなの読んでいないから、戸惑ってしまう。 渡される経文には、ちゃんとフリ仮名がふってある。 場合によっては音の強弱記号なんてのもついている。 お坊さんに合わせて読むのだけど、かなり恥ずかしい感じ。 だけど、葬儀なんて時にはそんなことはいってられない。 声は出せないけど、せめてもと心ではちゃんと読んでいる。 他のことは何も考えないで、ただひたすらお経を読む。 一心不乱というか、お経だけを追っているのは、すごい集中力だなと思う。 他の人の声が一つになって同じ言葉を唱えている。 誰もが知っているわけでもないのに、合わせたように声がそろう。 空気がピーンと張り詰めて、なんともいえない独特の空気が流れだしている。 悲しい時にお経を読んでいると、悲しみを一時忘れてしまう。 お経を読むのが精一杯。 だけど、何も考えない間があるから、悲しみが落ち着いていき、生きていけるのかもしれない。 だけど、やっぱり、まだ声には出して読めない。 経験を重ねるうちに自然と読めるのかなぁ。 お年寄りが自然に読んでいるように。 |
おばさんと呼ぶ? |
おばさんとお姉さんの境が曖昧で、今のあたしはどっちつかず。 いとこは子供に「おばさんと言え」と教育しようとしているが、そうは簡単にさせません。 あたしが子供の時に、伯母はおばさんと言われたくなくて、「○○ちゃん」と呼ばせるよう教育していた。 確かに当時20代前半独身なのに、「おばさん」は許せなかっただろう。そのせいか、独身の伯母は「お姉さん」扱いしなくちゃ行けないと子供心に思っていた。 おばさん定義には、やっぱり独身は外せない。 人生の半分も生きていないのに、結婚もしていない、子供も居ないのに、いきなりおばさんはキツイ感じ。 だけど、かなり歳を取ってしまっていたら仕方ないのかもしれないのだけど。 小さい子供はお母さんの歳を基準におばさんかおねえさんかを判断しているとか。 だけど、お母さん年齢が10代だとちょっと困るかなぁ。 「おばさん」って女の人は言われることが多いけど、同じ数だけ「おじさん」と男の人が言われているかといえば、かなり疑問。 男の人は簡単に「おばさん」というけど、そう言うあなたがすでに「おじさん」。 その割に「おじさん」と呼ばれたら、かなりショックがあるらしい。 嫌なら言わなきゃいいのに。 人生半分超えるまでは、まだまだお姉さんだよ。 80歳の人から見たらあたしはまだまだ子供だよ... 別に「お嬢さん」って言えとはいってないんだからさ、いいじゃん。 |