〜 第80回 〜
<2001.10.28 公開>
守られている |
「自分を守ってくれているものがいつまでもいると思っていると危険」というようなことがある本に書いてあった。 著者が言われたもので、詳しい真意はわからなかったそう。 神霊がかったことで脅しをかけられたようでもないみたい。 ときどき、何かが守ってくれているかもと思うことはある。 急に寄り道したくなって帰りが遅くなったら、いつもの時間帯、通路近くであった飛び降り自殺を目撃することなく済んだことがある。 1本早い時間の電車に乗らなきゃいけない気がして乗ったら、後続の電車から事故のために止まってしまったこともある。 直感や運というよりも、誰かに守られている感じが強い。 人が亡くなったら、誰かを守護するものになるとどこかで思っている。 守護することが当たり前かどうかはわからない。 守られるものが家族であったり、親戚であったりいろいろある。 霊の存在を確実に信じているとは言えないんだけど、どんな理由もなく、だけど守ってくれているなにかがいる。 困った時にお願いしてしまうのは、神様か亡くなった親族が多いのではないだろうか? 守られてることを当たり前だと思うのは、どこか違う気がする。 守られているから何をやってもうまくいくんだと思うのは勝手だけど、それでいいんだろうか。 自分の力で成し遂げたことの方が気分がいい。 「危険」という言葉があったのは、去った時に困難にぶつかってしまうと自分の力だけで対応することが出来ないからかもしれない。 極端な場合、道路に飛び出しても今までは助かってたものが、去ってしまったら車に引かれてしまうことになる。 守られていることは今だけだと思っていないといけないかもしれない。 自分からお願いして守ってもらうのはあくまでも困った時だけ。 守ってもらったらちゃんと感謝の気持ちを持たないと、本当に去ってしまうかも。 |
がんばる人 |
何かにがんばっている人がいると、あたしも何かをしないと...なんて思うんだけど、どれをやるかはわからない。 がんばっている人にとっては、やりたいことをするためには当たり前のことだったり、がんばっているつもりなんてぜんぜんないこともある。 興味があるからやっているだけなのに、尊敬なんてされると困ってしまう場合もあるみたい。 本人にとってはささやかなことなんだろうけど、同じようにしようと思ってもなかなか出来ないもの。 やっぱり尊敬してしまうんだよね。 がんばっているかがんばってないかは、本人でないとわからない。 だけど、自分の目標のために行動している姿を目にするのは、自分を見つめなおす機会になる。 がんばっている人は、本人が気付かないうちに周りも力づけている。 めげそうになった時に、誰かががんばっているんだと思うと不思議と力が沸いてくる。 がんばる人は周りも活性化させている。 あたしのまわりは、やりたいことがあるとちゃんと行動に移せる人が多い。 そんな中で出来ないいい訳を並べたりすると、「さっさと行動しなさい」と叱咤される。 やりたいことをやっているのは当たり前のことであって、あたしもやっぱりがんばらないといけないなと反省なんかもしてしまう。 がんばる人は、本人が願わなくてもやっぱ尊敬されちゃうんだよね... あたしもがんばらないといけないね。 |
海外に住む |
日本を離れて日本語の通じない海外に住むというのは、どんな感じなんだろう。 仕事で仕方なくというのではない限り、海外旅行に行ってうろたえてしまうようじゃ、なかなか難しいとは思う。 伯母がオーストラリアに何年か移住しようと考えている。 KANさんが来年からフランスに移住する。 会社では海外に駐在している人がいる。 考えたら自分の周りでも海外に住むことを考えたり、実際に住んでいる、住んでいた人達がいる。 ちょっと離れたところにいくだけで、もう逢えなくなるわけじゃない。 だけど、日本のようなとりあえず治安がいい国にいると、海外にいて大丈夫なんだろうかと思う。 すべての場所が危険とは限らない。 治安の悪化している地域の情報が入ったりするとやっぱりちょっと不安だ。 海外に住むってことは、どこかかっこいい感じ。 それぞれが何らかの目的があって海外に住むんだろうけど、どんな不安よりも自分の意志が強いんだろう。 日本国内にいてすら、まだまだ満足に生きていないあたしには、ちょっと難しいかな。 旅行だけで精一杯かもしれない。 いろいろ考えるよりも最後はやっぱり、勢いなのかな。 |