〜 第59回 〜
<2001.1.7 公開>
大金持ち神話 |
「大金持ちになりたい。」と答える人は多い。 大金持ちになれば、豪邸に住める、好きなブランド品を持てる、海外にだって何度でも、高級料理を好きなだけ食べられる。 裕福であれば、お金での苦労はない。 世の中お金で何とかなることが実際に多いから、そう思わざるを得ない。 だけど、苦労を知らずに大金持ちであることは、何不自由ない分どこか不幸に感じてしまう。 本当に幸せになれるんだろうか? 宝くじで1等を当てたらどうなんだろう。 ある人は大金を初めて手にしたため、上手に使うことが出来ず、無茶な金遣いをしてしまい結果的に不幸になったそうだ。 また、魔物にでもつかれたように人が変わる人もいるらしい。 生きている間に自分が生活していく上で充分に足りていて、たまには旅行に行こうかなくらいのお金があればいいとあたしは思う。 大金を持つことはすごいとは思うけど、「絶対」と言う感じではない。 欲しいものが高価なものであれば、「お金があれば」と思う。 手に入れるために努力するのは一見地味でむなしく見えるけど、手にするまでの想像は楽しいだろうし、手にした時の充実感はかなりある。 資本主義に反しているかもしれないけど、毎日がそれなり生活できたら良いんじゃないのって思う。 会社の経営方針は上向きしかないけど、そんなに儲けてどうするんだろうか? 儲けたお金をさらに儲けるために設備投資といって使うけど、その分費用がかかっていくから結局儲からない気もする。 資本主義もそろそろ限界が来ている感じ。 大金持ちになることは、みんなが幸せになることなんだろうか? |
幼児虐待 |
ここ数年、幼児虐待がニュースになっている。 小さな子供が親の暴力によって傷つき、最悪な場合死に至る。 外国では大きくなってから親を幼児虐待で訴える子もいるらしい。 毎日子供と直面し、自分の時間を費やして育児をする。 最初のうちはかわいし、幼いと思うから苦にならないかもしれない。 だけど、育児本というマニュアル通りにはいかないし、言うとおりにしてくれないわがままな子供にだんだんいらいらし、ストレスがたまってくる。 わめくし部屋は汚すし、たえられない。 言葉での注意で聞かないから、手が出る。 最初のうちは軽いものだろうけど、そのうちたたくことでストレスが減少する感じがしてだんだんエスカレートしていく。 ストレスのはけ口を持っている人は、深刻な状態には陥らない。 話しをする仲間がいたり、育児をひととき離れて趣味の時間を持つ人もいる。 育児書だけを頼るんじゃなくて、「ちょっと違う感じだけど」と相談する人がいるといいらしい。 どうも変な感じで、幼児虐待を聞くとSF小説を思い出す。 一部のSF小説では、幼児時期を国の施設で過ごす。 ある程度成長してから、親元又は里親の元に行き、暮す。 一定のレベルが保たれた中で人格形成がされる幼児期を過ごすことで優秀な子供を育てるということらしい。 だけど、近い将来、あんまり幼児虐待が増えるようだと、幼児を守るために親が育てることが出来なくなるんじゃないかなと思ってしまう。 一部の子供だけが施設に入るといじめの対象になりやすいから、すべての子供に義務づけたりして。 少子化が進む世の中、侮れない。 実際に子供を育てる事がないから、どの程度大変なのかわからない。 育児書を頼るようになるのもわかる気がする。 何事も100%に近いことがすべてであるようにみえるけど多少悪くても健康に生きていたらいい気がする。 幼児虐待は親も子も傷つく。 傷つく前に誰にでも気軽に相談できるような社会が出来たらと思う。 |
一年の計 |
一年の計は元旦にあり。 「一年間の計画を年の初めに決めなさい」ということだけど、改めて今年はこれをするぞというものがない。 去年にやり残したものは小さな物で、当てはまらないだろう。 ビデオ壊れたままだ、眼鏡をいい加減新調しなきゃ、パスポート取っとかないと、運転免許なぁ、とかとか、大した物が出てこない。 新たなことをする気持ちはないというより、厄年と言うこともあって控えたいと考えている。 とはいえ、大掛かりな新たなことをしようと長期プランで考えていることがあるはずもなく... 何かしたいと思うときに行動に移せるような準備くらいはしておきたいなと軽く思っている。 パソコン系、Web系の知識がもうちょっとあれば、多少は心強いかも。 今の実力ではもう何の役にも立たない気がする。 小さな目標、「このホームページがまた1年続けられるように!」では、ちょっと甘いかしら? |