〜 第57回 〜
<2000.12.10 公開>
単調な毎日 |
毎日が単調に過ぎて行く。 このままでいいのかなぁと思うこともあるけど、今の状態が苦痛であるとは思っていない。 一時期は変えなきゃと思っていたけど、結局今の状態に収まっている。 スケジュール帳は持っているけど、予定がびっしり詰まっていることは、まず、ない。 そのことに対して不安だと思ったことはない。 一時的に毎週何か予定が入ることもあるのだけど、あんまり立てこむと自分が疲れてしまう。 人によってはスケジュール帳が埋まっていないと不安でしかたないという。 スケジュール帳を持つことで不安になるなら、スケジュール帳を捨てちゃえばいいのに。 習い物にいくという手もあるんだけど、単調な毎日を変えるためだけに何かを習うのはなんだかあたしには合わない。 習い物によっては、人間関係が大変だったりする。 これがやりたいといった意志の硬いものなら、なんとかやって行けるのだろう。 今特にないからちょっとダメ。 誰かと繋がっていないと、とっても不安だと思うこともない。 そういえば、あの人はどうしている?と思ったときに、何らかの連絡が取れたらそれでいい。 まめな連絡がないから友達でなくなるとは思わない。 ある意味、束縛だけの友達関係なら、なくなっても対して影響はない。 自分でどうしたいのか、考えてみると特に希望はない。 単調な毎日だけど、それが不幸だとは思わない。 自分だけの時間を少しずつ楽しむことを覚えてきたからかも。 お気に入りの店で優雅に自分だけに時間を費やせるようになったら、ちょっとかっこいいと最近は思う。 まだ、そこまでの勇気はもてないんだけどね。 |
ボランティアセミナーの話 |
先日、会社で行われたボランティアセミナーに参加した。 視聴覚障害の方への話をメインに1時間半ほどの短いものだったのだけど、楽しいものだった。 ボランティアに参加することに対して、「こうでなければいけない」といったものはないみたい。 ボランティアだからといって行動を強制されることはないし、嫌なこと、苦手なことをしなければいけないということはなく、自分が出来ること、興味があることから始めて行けばいい。 人と接するのが苦手なら、事務仕事を手伝えばいい。 どうすればいいのかはわからなくても、ボランティア協会に問い合わせれば、何らかのアドバイスはもらえる。 ボランティアをする側はされる側のことを知ることから始めなきゃと思うけど、される側もする側のことを知らなきゃと思う。 たまたま視聴覚障害の方の話だったけど、見えないことを理解するのと同じように、見えることを理解しようとしているそう。 お互いの意識が共感して、事がスムーズに進んで行く。 <2つの勇気>を持ってくださいと、ボランティアコーディネータの方は言っていた。 <声をかける勇気>と<引き下がる勇気>。 声をかけることは勇気がいるけど、声をかけない限り、困っている人はそのままだったりする。 だけど、声をかけて見たけど、「結構です」と断られることもある。 <引き下がる勇気>は「わかりました」とこの場を立ち去る勇気。 ちょっとショックだったりするけど、声をかけた自分は誉めてあげてもいいんじゃない? 断られてもしつこく「何かしましょう」というのは、親切心からのものであってもやっぱり迷惑みたい。 朗読ボランティアの方の話もあった。 ただ本の内容をテープに落とすだけの仕事だと思っていたら、自宅に届く手紙類からDMを省いたり、回覧や会報を読んだりすることがあるそう。 対面朗読があったり、結構大変。 90分テープの片面45分ですら、2時間はかけて作成されている。 単行本なんて一人でしてもはやくて3ヶ月はかかるらしい。 読むからには正確に伝えることが必要で、漢字をちゃんと読めないといけない。 下調べや練習、録音、チェックなど、時間はかかる。 読むからには正しい日本語の発声が必要で、もうアナウンサー並の力が必要かも。 もっといろいろ、ためになる話はあったんだけど、まとめきれない。 ボランティアセミナーに参加したのは初めてだったけど、参加したことはよかったと思う。 これが実際の行動に結び付けばもっとすばらしいんだろう。 *大阪ボランティア協会 http://cw1.zaq.ne.jp/osakavol/ |
お弁当 |
会社でのお昼はお弁当。 といっても、母親作成のもので、あたし自身が作ることは滅多にない。 お弁当を持っていくことは幼稚園から始まっている。 中学、高校となると毎日のようにお弁当を持っていっていた。 だけど自分で作成しようとすると、何をいれたら良いのかわからない。 いろいろなパターンを見てきているのに、何も活かされていない。 ただ詰めればいいってものじゃなく、栄養を考えなきゃ行けない。 肉や魚ばかりにならないように、野菜を入れるようにしないといけない。 夏場になると腐らないように工夫しなければいけない。 お弁当を開いた時に、食欲をそそられるような色使いが必要。 なんだか、こんなことを考えて毎日お弁当を作ってもらっているのは申し訳ないとは思っているんだけど、感謝の気持ちが表せない。 「明日はお弁当いらない」って言うのが精一杯。 弊害があるとすれば、他の人がつくったお弁当を食べることに少し抵抗がある。 市販されているお弁当に対しては抵抗がないんだけど、他の人が作ってきたお弁当を食べるのはなんだか、ちょっと。 衛生面がどうってことはないんだけど、味覚の問題かな? まずいと言うのではなく、母親の味が壊されるのが怖い感じ。 市販のものだとそういう味って思えるんだけど、他の人のだと比べる行為が起こってしまうからちょっと怖い。 お弁当以外だったら、そう抵抗がないんだけど。 昔、「男は車出して、女はお弁当を作る」が普通でしょ?といわれたことがある。 そんなものなのかなぁ? 手作りのお弁当効果ってかなり有効? 自分であんまり料理しないから、逆に作ってあげるのが悪い気が今もする。 でもそういうのがいいのかなぁ。 考えるのは楽しそうとは思うんだけど。 お弁当って、難しい!!! |