〜 第54回 〜
<2000.10.29 公開>
会社の不祥事 |
雪印の食中毒事件、三菱の欠陥情報隠しなど、今年は品質管理を強く問いただされている。 会社でもそれぞれの事件が起こった時に、反省というか教訓として受けとめようとしている動きがあった。 だけど、事は起こってしまった。 うちの会社は、今回事件として問いらげられた会社とは直接のかかわりはなく、グループの1会社として存在している。 電鉄と百貨店の経営者が一緒みたいなかんじ? だけど、社員のほとんどは所属が本社で、各会社に出向として働きに出ていることになっている。 だから、まったく影響がないわけでもない。 数年前に子会社で社長自ら不良品と知りながら、混ぜて販売させていたことが社員からの内部告発と言う形で一般に知れ渡った。 このことはTVのニュースで知った。 そりゃ、ビックリしてしまう。 そういう情報が社員にはすぐに知らされないんだろう? その後出てきた冷蔵庫の欠陥だって、社内からの情報はなく報道関係からの情報で知った。 直接の関係者じゃなくても、グループとしてダメージを負ってしまっているのだから、すぐに情報を流してくれてもいいのに。 信じられないだろうけど、今回の社長辞任の話も内部への情報は遅れていた。 たまたまメール中継をする担当者のうち何人かが会議でいなくて遅れてしまったのだけど、そういう重要なものは中継する人を減らして一斉配信すれば良いのにと、翌日に見ることになったあたしは思ってしまった。 会社を出たとたんに報道関係者がいるのってあんまり良い感じでもないんだけど。 大きな会社になってくれば、内部の動きは役所的になってくるのかもしれない。 大した事がないと思われたら情報は流れない。 今回の事件ですら、不良品を混ぜて売ったことを問題と思う人もいれば、内部告発なんてする?ととても保守的な考えの人もいる。 下のものは上に逆らっては行けないという考えが引き起こした事件なのに。 会社も大きくなってくるといろんな人がいる。 その中には今回のことのように都合の悪いことはごまかしてしまう人もいるし、その場さえ乗りきれば何とかなると思っている人もいる。(大きな事でじゃないけど) 軍隊的な指導を受けた人は上に逆らうことは出来ないし、言われるがまま働いている。 過去には自分の言うことを聞く人に対して優先的に評価してきた上司もいるだろうし、それでも中でいろいろと反発してる人もいる。 ただ、会社としてはある目標に向かうためには、従順な人がいれば楽だ。 内部告発した人は、会社からの評価は低かったかもしれないけど、世間的にはとっても良い感じ。 会社としてちゃんと声を聞く体制になるそうだけど、今後内部告発者を出さないために、逆にひどい仕打ちをしたりしないかとちょっと心配な面もある。 社員から内部告発する気力を失えば、会社としては何が起ころうと安泰だったりするのだから。 今回のことで、会社としていい方向に動いてくれたらと思う。 わからないままずーっと行くよりも今わかって良かったと思う。 ダメージはたしかに大きい。 製造業で1つでも品質にかかわる問題があると他の商品ですら欠陥のように扱われてしまうこともあるんだから。 出せるウミは今のうちに出し切ってしまうことが出来るなら、良い会社になるんじゃないかな。 いろいろ厳しいかもしれないけどね。 *あくまでのあたし個人の意見です。 |
健康診断 |
この時期には、会社で健康診断なるものが行われる。 会社の義務として社員の健康診断を行うことが定められている。 だけど、大した事はないのに憂鬱だったりする。 検査項目は、あたしだと尿検査に始まり、聴力、身長/体重測定、視力検査、血圧測定、内科検診、肺部レントゲン撮影。 だけど、聴力は担当の人の話が聞こえたらOK(そりゃ大抵の人はOKでしょ)、身長は前年のもの(最後に計ったのって?)といきなり形だけな感じ。 内科検診は心音を聞いたくらいでなんか怪しい感じだし(それでも数年前よりはまし?)。 全体的になんだかって感じで終わってしまう。 検査では引っかからずに、後で病気が発見されてそのまま亡くなった方がいた。 これを知っている人にはあんまり検査を信用されていない。 ちゃんと有効に活用されている人もいるんだけど、検査に当たりハズレがあって、こんなことでいいんだろうか? 他のとこの検診を聞くと、血液検査はみんなに入っていたりする。 血液検査があるとちゃんとした感じもするんだけど、でも本当かなぁ。 ただ形だけで毎年抜き取られて行くのもちょっとやな感じがする。 どれが正当な健康診断なのかわからないけど、でも不安に見える感じは辞めて欲しい。 検査結果までも疑わしくなってしまう。 カゼをひいたまま検査受けてるのに、「今健康だと思う」にチェックしていると何も言われないのってやっぱり怪しいのかも。 |
知識の出所 |
今までいろいろ考えたり、書いたりしているけど、一体その知識はどこから出て来たものなんだろう。 学校で習ってくること、人付き合いの中から出てくるもの、本や雑誌など、誰かの言葉から得たもの、TVからの情報... 純粋100%自分のものって自分の出せる知識のどれくらいなのか考えると、10%もないような気がしてきた。 いろんなことに影響を受けて、自分なりの言葉に変換されて、何時の間にか自然発生した知識のように振舞ってしまっている。 なんかとっても情けない感じ。 考え方を変えてみたら、一杯ある情報のなかで自分に適した、必要とした情報を無意識で摂取していて、一つ一つを表現するためにその中から引用している。 そのうちのわずかなものが、摂取してきた知識を踏まえて自分なりに考えたものだとすれば、なんかちょっと楽な感じもする。 すべてがコピーであるのとはちょっと違うかも。 なぜこんなこと書いてるのか、自分では自分の考えとして持っていたものが、実は他の人の意見でたまたま前にその文章を読んでいたという事が最近あったため。 なんか、今までの考えがどれも誰かの意見の焼回しみたいに感じてしまった。 だけど、自分の中にあった意見がたまたま誰かの言葉として世に出ていてそれを目にしただけのことなのかもしれない。 ただ強く影響を受けてしまっていただけかもしれないけど。 誰かのコピーだからといって考えるのを辞めてしまうより、より良い感じの表現はないかなと模索できればなぁとちょっと思う。 その中に純粋100%の自分の意見が織り込めることが出来たら、それはそれで1つのものとして成り立つのかもしれない。 |