〜 第50回 〜
<2000.9.3 公開>
祝50回 |
なんとか50回目の公開となってしまいました。 今月はここの50回というのもあるのですが、「TOKI’s Times」開設2周年、メインカウンタもそろそろ4000を突破。 細々?とやっている割には、つづいているよなぁと自分の事ながら、関心してしまってます。 最近の更新状態としては、このお題で書こうと数日前まで思っていたのもが、書く直前にはすべて忘れてしまってます。 いつでも書けるように、メモ帳は持ち歩いてるんだけど、役立たず状態です。 また、人が読むものなんだから、もうちょっとちゃんと調べて書かないとと思いつつ、いつもの「いっちゃえ!」であんまり思考のないまま、中途半端な状態で公開というものも。 書いた後に、状況や考え方が変わってしまってるものもあります。 後で見たりすると、ちょっとちがうんだよねと、自分で思うことも。 文章力のないまま、書いているのがちょっと恥ずかしいかも。 もうちょっと簡単明瞭な文章が書きたいです。 ここのところ、文章が長くなるようで、その分意味不明な表現が増えてます。 短い文章で収めきる力がない、その割には、中途半端に終わっている... 問題は山済みです。 2年近くで50回、100回に達するのはまた2年先... 100回まで書くぞと意気込むのが普通の流れだけど、1年先もわからない状態でして... 1回1回、大切に、丁寧に書いていくことを目標にします。 書いていくことで何か新たな試みが出来ればと、ちょっと思っていたりして? (ライターになるほどの腕は今のとこないですが) こんなものでも、楽しみにしてくれて、ありがとう! これからも、わがまま書きつづけるからね! |
口内炎 |
最近、連続して口内炎に泣かされている。 ものを食べるのがちょっとつらい。 だけど、この状況は最近だけのものじゃない。 高校生の頃から、たまに口内炎が出来るようになった。 それが社会人となると、一度出来ると治る頃にまたできるという状況が1ヶ月続くようになっている。 もう治ると安心しているところに新たな口内炎。 ちょっと憂鬱なものだったりする。 出来る場所も何年も経験すれば、特定されてくる。 頬か、唇の左右あたりが多い。 だけど、今回は新たな場所にできていた。 奥歯内側、下がすれる場所。 もう、食べるだけならいいのだけど、ものを飲む時、ひどい時は話をするのも苦痛だった。 痛みも去って行けば、ダイエット代わり、余計なものを食べなくてよかったと思えるのだけど。 何故良くなるのか、自分なりに考えてみた。 普通はビタミンB2不足といわれている。 だけど、今の食生活で不足するようなことはないらしい。 とすると、足りている栄養を吸収するだけの機能が低下しているのでは。 でも、あんまり医学的なことはわからない。 で単純な考えでいくと、疲れがたまってくると歯の噛みあわせがおかしくなり、知らない間に頬や唇を噛んでしまっているのが化膿していることが多いのでは。 一部当てはまらないものもあるんだけど、疲れがたまったときに抵抗力が下がっているのは認めてしまう。 口内炎もひどいと、なにかの病気になっていることがあるらしい。 あまり大きなものが出来るようなら病院にいってみたほうがいいそう。 あたしは行ったことがないので詳しいことはよくわからない。 口の中が憂鬱。 食事が苦痛。 あんまりうれしいことではないのだけど、即効性のある薬はあるのだろうか? 口の中に薬をつけるのは、ちょっと抵抗がある。 「焼いたらいい」 という方もいるのだけど、それもちょっと... 治るまでは、なにかの修行だと思えばいいのかもしれないけどね。 |
そこにある犠牲 |
楽に物事を手に入れるのは、簡単なことじゃない。 何かを犠牲にしないと得ることの出来ないものが、世の中には多い。 犠牲にする事もなく得ることが出来るものもあるけど、それなりに悩んだり苦しんだりしているものもある。 高学歴を得るのも、大抵の人が好きなことを我慢して勉強をしてきてるわけだし、スポーツが優れている人も、好きなだけでがんばっているだけじゃ語れない努力もある。 どんなに華やかな生活をしていても、それを目当てに近づいてくる人はいるし、がんばってやったことも、親のおかげというあんまりうれしくない評価がついてくる。 楽して思うままに欲しいものを手に入れられたら、本当にいいだろう。 だけど、本当にそれでいいのだろうか? すぐに得ることが出来ないからがんばるのだし、得たこともうれしいものだろう。 物に対しても、今はお金さえあれば、簡単に手に入れられる。 昔に比べて、子供は親から物を買ってもらいやすくなっている。 その分、我慢することができなくて、自分が壊れていく場合もあるよう。 何かを得るには、何らかの犠牲がある。 そのことを知る事はある程度は必要かもしれない。 ちょっと壁にぶつかった時に、そこであきらめるか、あるべきものとしてがんばるかは結果が違う。 犠牲にするものと得るものが、本当に納得出来るものか考えて進んで行けたらと思う。 大抵は後で犠牲にしたものに気付くから、難しいことなんだけど。 |