TOKIのわがまま

〜 第24回 〜

<1999.8.29 公開>

 

エッセイ
エッセイってなんなの?って、いきなり母が言った。 ひとつのことについて、自分の思ったことを書いたものかぁと答えたけど、実際はなんなの?

辞書を見ると、随筆、散文と書かれている。 随筆を調べると、自分の思ったことを、気の向くままに書くことらしい。 散文は制限の無い普通の文章。 ということは、今書いているものは、エッセイであっているんだ。 日記も一種のエッセイかも?

エッセイは誰にでも書けるものだと思う。 思ったことを表現する手段のひとつであって、これと言った法則も無い。 自分の思ったことを絵にする人もいるし、音符に変えるひともいる。 

ただ、つらいことと言えば、常に何かを吸収していかないと書けなくなってくる。 物を見てなにかを感じとらないと、ネタはすぐに尽きてくる。 感じることを書いているつもりでも、月日がたつと、感じ方が変わってしまう。 どれも、本当のことなんだけど、その時その時で書いてることに多少のズレが起こってくる。

でも、自分が書いたことによって、普段考えなかったことをちょっと考えてもらえたりするとうれしいかも。 それでもやっぱり、あたしは文字を書くことしか出来ないから。
1999.8.29

 

サービス
一体いつから、サービスをめぐって、店員とお客の攻防が始まったのだろう。

最近、お客側のサービス提供要求が限度を超してきているような気がする。 というのは、駅の近くにスーパーがある。 カートを使って店内では買い物が出来るのだけど、そのカートを店外に放置して行くお客がいる。 駐車場だとまだわかるのだけど、近くにある電車の駅まで持って行って放置している。 それが、店側ではわからないから、翌朝まで置かれたままになっている。 持って行く人もどうどうとしていて、悪いと思っていないのもすごい。これも店のサービスとして当然なのだろうか?

電車にしても、ゴミをそのまま置いていったり、落としたりしている。 高い電車代を払っているからこれくらいは当然なのだろうか? 車内清掃代も料金に入ってるとしたら、ゴミが減れば電車代も下がるんじゃないの? あたしはそっちの方がいいんだけど。

もともとサービスって、お店がお客を集めたりするのにしていたことだったはず。 カートを使って買い物できるようになったこと自体がサービスだし、車内をきれいにするのもサービスのひとつだと思う。 だけど、いまのお客はそれ自体が当たり前になってしまって、よりいっそうのサービスを要求するあまりに、限度を超えた行動に出ていると思う。

お店は限度を越えたサービスのために、人員を増やし対応して行かなければいけない。 でも、その人件費を何処から出しているのか? 結局自分に帰ってきているだけのような気がする。
1999.8.29

 

向上心
人間、なんらかの向上心はあると思う。 出世欲も一種の向上心だし、生活改善もそう。 なにかを良くしたいと思うから、それに向かって何かをしようとする。

ただ、他力本願で他の人の成果を自分の成果のように変えていけるのは、向上心の中にはいれたくない。 だって、それは自分自身で得たものじゃないし、自分自身は何も変わっていない。 そういうのって、出世したり、生活が良くなっても、それ以上の発展が無いように思う。

何かを得ようとするなら、自分自身である程度の努力が必要かもしれない。 100%自分の力で出来るのがベストだけど、そういうのはそうそうない。 ある程度は誰かの力が必要になってくる。 でも、誰かの力を借りてる限りはそれ以上の何かを得ないと、力を借りた人に悪い気がする。 

あたし自身、向上心があっても、うまく前に進めているとはいえない。 でも、まったく向上心がない人より、少しはある人のほうがいいような気もする。 別の角度から見れば、向上心もただの欲だから、ないほうがいいのかもしれないのだけど。
1999.8.29

 

[History]


http://www.ne.jp/asahi/toki/times/ 
Update : 1999/09/09.