〜 第19回 〜
<1999.6.20 公開>
タバコ |
タバコが嫌いだったりする。 もともと、香りのきついものが苦手だったりするんだけど。 家族自体、タバコを吸っていない。 あたし自身も吸ったことはないし、吸いたいとも思わない。 親戚とかは吸っていたりするけど。 服にタバコの香りがついてしまったまま帰宅すると、妹からの迫害?を受けてしまう。 逆パターンもあったりするんだけどね。 タバコを吸う人がすべて嫌いというわけでもない。 ちゃんとマナーを守ってるなら、文句も言わない。 だけど、マナーの悪い人は多い。 禁煙場所での喫煙、タバコのポイ捨て、ながら歩き... 毎朝、通勤時に見る光景だ。 そして、そういうひとは、だいたい決まっていたりする。 お年を召した方と、若いサラリーマン。 たぶん親子ほど離れている。 たぶん、親がマナーが悪いから、それが当たり前になっているんだと思う。 タバコのマナーを見てると、車の運転のように、その人の隠れた性格が出ているような気もする。 他人に気を使っていたり、使わなかったり。 気が短いか、長いかとか。 吸ってる人は、その時気分がいいかもしれない。 でも、嫌いな人は、そのことで、気分を害している。 禁煙場所が増えるのは、喫煙者いじめみたいに言われるけど、害をなしているのは、タバコの方だったりする。 喫煙者がタバコが原因で体を壊すのは、自業自得だけど、非喫煙者がタバコで体を壊すのは、一種の環境問題だったりする。 非喫煙者が、明らかにタバコが原因で体を壊したなら、社会的に何らかの代償があってもいいと思う。 あくまでも、マナーが悪い場合の話ですけど。 |
父親 |
父親は、あまり好きではない。 他の人にこう言うと、大抵、「そんな風に言うもんじゃない」とお叱りを受けてしまう。 しかし、普通の父親の定義が、どういうのかわからないが、うちの父親は、たぶんずれている。 それもいいほうにと言うより、悪いほうに。 子供の教育に関心がないと言えば、うるさい親を持つ人には、いい親だと思われる。 だけど、無関心過ぎても... ただ無関心なはずなのに、自分の考えとは違う方向に進むと、嫌がらせを無意識にしだすから、たちが悪い。 学校行事には、一度も参加したことがない。 父兄参観には来たことがないし、運動会も学芸会も... 父親が言うには、子供のしつけ、教育は、学校がするものだそうだ。 それじゃ、今の親と変わらない。 学校行事に参加しない理由は、教師はお仕着せがましくて嫌いなんだそうだ。 そんな人に、子供のしつけ、教育を任せた気持ちはわからない。 どっちかっていうと、ただ、休みの日には、競馬がしたかっただけだと思うんだけど。 仕事で参加できないほうが、子供にしたらよっぽど楽だと思う。 「女は大学に行くべきではない」(短大、専門学校も)という考えをもっていて、あたしが大学に行こうとするのを、国公立でないとダメなんて無茶な要求をだしてきた。 挙句に、浪人してもダメだったときには、「ザマーミロ」発言なんかしてくれて。 勉強しているのを黙ってみていたなんて言うけど、ちょっと遅くまでしようものなら、「早く寝ろ」と邪魔をしたり、大きな家でもないのに、大音量でTVを見てくれたり... なんとか行った専門学校の費用も、母親が工面したのと、あたしの貯金でまかなっている。 父親は結局、何にもしていない。 就職にしても、文句をつけている。 高校卒業して、公務員にさせたかったようだが、あたしは父親がやってる公務員が大嫌いだった。 高校の時点で一度義理で受験はしている。 大学受験前の夏休みを、試験科目の違う公務員の試験勉強のためにつぶしてまで。 受ける時も、一般事務か学校事務かで口出しをしている。 あたしはどうせ受けるなら、学校事務がよかったのに、一般事務で受けさせられている。 なる気のないものはやっぱり落ちる。 今の仕事だって、勝手にしろと言ってる割に、文句が多い。 一般企業でなにが悪い。 小さい時には、今ほど嫌には、なってなかった。 大きくなるにつれて、うちの父親はなんかおかしいと思い出す。 自分が一番大切で、そのために、家族がちょっと苦しんでても気付かない。 家族の言葉よりも、他人の言葉を信用する。 自分の価値観を強要しようとする。 自分と考えが違うと、相手を見下した言い方しか出来ない。 最悪、暴力を使えばいいと思っているようだ。(しょっちゅう、暴れている訳じゃないんだけど) 親じゃなかったら、つきあいなんかしていない。 外面だけはいいから、他の人はそんなのを知らない。 結局、この人は、大人になりきれてないんだと最近は思う。 家族のために働いていたら、なにをやってもいい訳でもないと思う。 自分のわがままで、子供の未来を決めるのは勝手だけど、子供が死ぬまで、なにが起きるのかわからないんだから、限度を超えた無責任な干渉はやめて欲しい。 |
日記 |
日記を毎日付け続けるのは、苦手である。 学校の担任によっては、1年間、毎日付けたものを週一回提出なんてしないといけなかった。 ただ、友達との交換日記や、クラブのパート日誌は、あまり苦痛ではなかったりする。 1995年から、毎日ではないが、日記のようなものを付けている。 最初は余った手帳に、2、3年前よりスケジュール帳に、メモ程度その日のあったこと、思ったことを書いている。 毎日ではなく、どっちかって言うと、まとめ書きになってはいるが。 手帳に書くと、1年のスケジュールなんかも一緒に残るので、ちょっといいかも知れない。 この方法をとってる人は少なからず存在している。 始めたきっかけは、毎日がなんか単調で、退屈し出していたから。 始めようと思ったのは、始めるよりまだ前のことだったりするけど。 付け出すと、その日に何にもないと書くことがなくて、困ってしまうこともある。 だけど、なにか付けようと思うと、そのために何かしようと思ったりもする。 今まで、ただなんとなくやってきたことが、ちょっとだけど、違う見方になって来たりもする。 ただ、付け始めた1995年って、阪神大震災やサリン事件など、大きな事件が多くて、自分自身、ちょっと嫌になったりもしたんだけど。 |