〜 第16回 〜
<1999.5.9 公開>
やさしさ |
「やさしい」人って、本当はどんな人なんでしょうか? たまに、「やさしいね」って言われることがあるのですが、何が「やさしい」のか、ふと思ったりしたのです。 男の人の女の人への「やさしさ」は、最近だと「なんでもやってあげる」ってところでしょうか? でも、男の人って、下手になんでもやってあげると、下心があるようにみられて、ちょっとかわいそうな感じもします。 ただの親切心だったりするのに。 相手に「やさしい」と感じる時って、自分がして欲しいことをやってくれた時だったり、怒ることなく接してる時だったりします。 だけど、本当にこれが「やさしさ」なんでしょうか? 時と場合によっては、逆の時もあるように思います。 何もしないこと、怒ることも、「やさしさ」だと思うのです。 ただ、相手にそれが伝わるかどうか。 本当に困っている時に手を貸したり、すごく反省している時に怒らないのはいいんですが、最初からしてもらうことを期待してる人に手を貸したり、反省の色がまったくない人におこらないのは、相手をただ甘やかしてるだけだと思います。 本当に相手のことを考えるから、手を貸さない、怒る。 「やさしく」することが、ただの自己満足になってはいけないと思います。 あたしは「やさしい」人なのか? 「天使」的というよりは「悪魔」的なやさしさを持っているかもしれないですね。 |
牛乳 |
牛乳は嫌い。 小学校卒業以来、飲んでいない。 何が嫌いかと聞かれるとつらいけど、匂い、味が好きになれない。 どうしても飲めないというわけじゃないんだけど。 幼稚園に上がるまでは、今では信じられないだろうけど、好きだった。 自分の記憶でも牛乳をグラスにいれてもらっているのがある。 幼稚園で牛乳を見た時は、嫌いだとは思っていなかったと思う。 ただ、牛乳が飲めない子に先生が、コーヒー牛乳をもうすこし牛乳で薄めていたのを与えていたのを見て、いいなぁとはおもっていた。 そして、幼稚園での牛乳の味がちょっと違った。 母親に後になって聞いた話だけど、あたしに牛乳を飲ませる時、栄養剤を少し混ぜていたらしい。 あたしはその味を牛乳だと思っていた。 今考えると、当時飲んでた牛乳は少し甘かったような。 小学校に入ってから、牛乳が嫌いと自覚し出している。 幼稚園では、毎日牛乳を飲むことはなかったから、何とも思ってなかったんだろうけど、小学校では毎日飲む。 だんだんそれが嫌になってしまっていた。 牛乳を飲んでる時に、ふざける子もいたから、飲むこと自体が精神的に嫌になっていったのかもしれない。 今は飲まなくても、なんとかなっているけど、結婚して子供でも出来たらそうはいかないと思う。 いまのところ、ココアを牛乳で作って飲んだらいいかなぁくらいには思っている。 体のことを考えたら、少しでも飲めるようになっていたほうがいいんだけど。 |
引越し |
ゴールデンウィークをはさんで、社内の引越しがあった。 考えてみれば、ここのとこ、2年に1度のペースで引越しをしている。 社内の引越しがこれで2回。 自宅の引越しが1回。 何が大変かと言われると、やはり荷造り。 今必要なものと、不必要なものと見分けてつめていかないといけない。 家だと、冬物、夏物で少しは詰めれるけど、会社では、そんなに簡単に分けられていないし、詰めてもそれが急に必要になったりするから、ちょっとめんどう。 あと、いらないものの処分。 ほんとにいらないのか、これも判断が難しいけど、捨てないと、今度の場所では入らない可能性もある。 意外と荷造りよりも手間がかかる。 引っ越した先で捨てるという手もあるのだけど、荷物が増えるもの、ちょっとうっとうしい。 荷解きも、入れる場所がちゃんと決まっていないと、手間だったりする。 最初に荷造りした時に、入れる場所を考えて出来ていれば一番楽なんだけど、引越しの忙しいさなかに、そこまで考えるのは、かなり難しい。 まったく同じ収納場所、同じタンスに同じように入れるのなら問題はないのだけど。 この引越し周期で行くと、次は自宅の引越し? 今はちょっと遠慮します。 荷造りから考えると、ちょっと... |