〜 第14回 〜
<1999.4.12 公開>
10年遅れのお届け物 |
先日、伯母が遊びに来た時、ダンボールの箱を持ってきた。 中身は、国から、7年前に亡くなった祖父への、銀杯と賞状だった。 祖父は、戦争中、満州に渡っており、そこから出兵した。 しかし、敗戦になり、シベリア抑留、捕虜となっていた。 栄養失調にかかっていたため、早く帰国出来たのだけど。 平成になる前、シベリア抑留された人に、慰安金が出ることになって、申請し、お金も受け取っていた。 が、政府として、なにがあったのかわからないけど、平成元年になってから 申請した人を対象に、感謝状を出すことになったようだ。 ちょうど平成元年に祖父は、伯母の家の近くに引越しをし、数年後、そこで亡くなった。 保証人になっていた伯母も数年前に、引越しをしてしまった。 しかし、調べに調べられた結果、伯母のところにものは届いた。 届いた賞状の年月日が平成元年。 調べるのに10年も経っている。 たぶん、申請していた人が、政府が動くまでに、亡くなったりして、連絡がつかないものが多くて、時間がかかったんだろう。 だけど、ほんとに賞状や物、お金をもらったら、捕虜になった時の精神的苦痛とかが、消えるのだろうか? 当時の話はあまり聞かなかったけど、でも、戦争で死んでいく人を見るより、収容所で死んでいく人を見るほうが多かったと思う。 あたしには、生きて帰ってきてるんだからって思うけど、祖父にとってはつらいことだったかもしれない。 なんか、戦争があったという事実が身近に感じられ、また、政府の対応の遅さがつくづく嫌になった。 |
キティちゃん |
今、現在使用しているPHSは、キティちゃん。 買った物じゃなく、雑誌のプレゼントに当たったもので、そのときPHSがほしかったあたしは、まぁいいかって気持ちで応募していた。 キティちゃん自体は、そんなにかわいいとか思ったことはない。 でも、高校の時は、キティちゃんのイラストが入ったカバンを持っていた。 伯母が作ったものが家にあったのと、大きさがちょうど学校に行くのによかったので持ち歩いていたと思う。 高校の先輩が、キティちゃんが嫌いだった。 なぜか、一人じゃなかった。 「ブタネコ」といって見るのも嫌いだと言っていた。 別にあたし自身がそれでいじめられたりはしなかったけど。 ここ何年か、また、はやっている。 でも、あんまり興味がない。 前よりは、かわいいとは思う。 だけどなぁ... |
病院 |
病院に行くのは苦手だ。 別にすごく嫌な思いはしたことはない。 でも、自分から行くぞって気にはなれない。 歯医者は別なんだけど。 小さい時、行っていた小児科は産婦人科と一緒で、子供が遊べるとこがあった。 そこで遊ぶのが楽しくて、行くことがきらいじゃなかった。 注射器を見るのは大嫌いだったけど。 病院に行く機会が減って、病院に対する免疫がなくなったような気がする。 薬品のにおいも、いまいち好きじゃない。 もしかしたら、別の理由で嫌になったのかも? 思い当たることといえば、伯母や祖父が入院していた時の、なんか重苦しい雰囲気が病院と結びついてしまうのかもしれない。 確かに、お見舞いに行くのもあまり好きじゃない。 体調が悪かったりすることがある。 だけど、行くのが嫌で我慢する。 今のとこ、それでなんとかなってるけど、ならなくなったらどうしよう。 病院が楽しい場所になったらいいのに。 |