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INDEX
01 * 探索 - 図書館、文学館、古本屋
02 * 諸兄 - inspired by...
03 * 書誌 - 銀座百点、ちょっといい話、ミステリ、演劇雑誌
04 * 遊覧 - 洗足、お墓参り




01.  探索


中央区立図書館 / 公共図書館ではおそらくもっとも戸板康二の本が充実していると思われます。かつて未読の戸板康二著書や戦前の演劇書を次々と借り出しては読みふけったものでしたが、現在は「別置」となっている刊行年度の古い書籍の貸出が中止になってしまい館内での閲覧すら後日となってしまったので(電話で予約可能)、閲覧の際の利便性はだいぶ低下してしまいました。しかし、京橋図書館は地下の郷土資料室がなんといってもすばらしい。東京本がわんさとあっていつ出かけても大興奮、よどんだ空気もなんのその、いつも時間を忘れて夢中に閲覧してしまいます。「銀座百点」を創刊号から自由に閲覧できる便利さは全国一かと思います。いつもたいへんお世話になっております。 資料検索

早稲田大学演劇博物館 / 演劇博物館の1階に、演劇のすべてのジャンルに関する書物・雑誌を所蔵する「和書・洋書・貴重書閲覧室」なる図書室があります。戸板康二読みにおいてはなんだかんだでもっとも頻繁に通っている。お目当ての閉架資料は身分証明書を持参すれば一部の資料以外はすぐに閲覧可能、日曜日も開いている(ただし夏と冬に長期休館日がある)。コピーも10円でセルフコピーで気兼ねがなくてたいへんありがたい。ほとんどの資料は閉架ですが、「演芸画報」「演劇界」「悲劇喜劇」「歌舞伎 研究と批評」「キネマ旬報」といった雑誌の揃いは開架ですので、待ち時間に眺めては夢中になってしまうことしばしばで、それもまた愉しいです。「えー!」という資料がいつのまにか所蔵されていて驚くことが少なくないですので、頻繁に資料検索すべし、です。 資料検索(早稲田大学学術情報検索システム)

戸板女子短期大学図書館 / 戸板康二の旧蔵書を「戸板康二文庫」として所蔵しています。図書館は洋館の図書室を彷彿させるような瀟洒で上品な雰囲気。戸板康二文庫は吹き抜けの階段の脇の壁いっぱいの書棚に並んでいる。こちらは主に署名本。書庫にも戸板康二の旧蔵書が整理されて並んでいます。大学図書館なので閲覧には紹介状が必要ですが最寄りの公共図書館に問い合わせれば、わりと簡単に手続きができます。閲覧はしなくとも、データベース化されているので OPAC で戸板文庫を検索するのも一興。検索結果の「配架場所」が「図書館戸板文庫」となっていたらその本は戸板康二の旧蔵書。「図書館戸板文庫署」となっていたらそれは署名本として架蔵されているもので、これを見て思いがけない交流の事実を知ったりもできます。なにかと尽きません。 蔵書検索

神奈川県立近代文学館 / 図書、雑誌ともに所蔵資料がたいへん充実している上に、土日も開館していていつ行っても静かで落ち着いて閲覧できる、職員の方は親切で入場無料、横浜散歩もたのしく……というわけで、前々から大のお気に入りの通称「かなぶん」。戸板康二も同人だった串田孫一主宰の同人誌「冬夏」を一番多く所蔵している(「木下杢太郎文庫」)。申請後後日の閲覧となる「特別資料」でも戸板康二の書簡といった貴重資料を閲覧できます。中野重治宛戸板康二書簡が一番嬉しかった。 所蔵資料検索

日本近代文学館 / 日曜日は開いていなくて入場料300円、コピー代もかさみますが、こちらも大のお気に入り。用事を思いついて駒場にイソイソと向かう土曜日が一番好きな休日の過ごし方かも。4時半の閉館あとの駒場東大前(から中目黒へ歩いたりも)か池ノ上、代々木上原、渋谷のいずれかの寄り道もたのしい。風光明媚な駒場公園と閲覧室の黒い椅子、窓からは木漏れ日。明治製菓の戦前の PR 誌「スヰート」や慶應義塾関係の機関紙などここでしか閲覧できない雑誌多数。 所蔵雑誌検索

木挽堂書店 / 戸板康二の著書を初めて買ったのは1999年2月、初めて足を踏み入れた奥村書店で『歌舞伎ダイジェスト』を買ったのがすべてのはじまりだった。同年夏に同じく奥村書店で、『歌舞伎ダイジェスト』と同じく暮しの手帖社発行の『歌舞伎への招待』を買って読んだことで一気に戸板康二に夢中になって、現在にいたっている。奥村書店なくして、わが「戸板康二道」はなかった。その演劇書専門の奥村書店が2007年秋、突然閉店してしまい、青天の霹靂でしたが、ほどなくして、奥村を独立された小林氏が歌舞伎座の近くで木挽堂書店を開店なさったと知りました。感傷的にならずに新しい本屋さんにエールを送りたい。影でこっそり、いっそうのご繁盛をお祈りしております。サイトには奥村での目録も引き続き掲載されており、戸板康二の著書タイトルとおおよその概要が古書価格とともに一望でき、たいへん便利。 → 総合目録:戸板康二著作 1/2/3/4/5



02.  諸兄


歌舞伎のちから 犬丸治劇評集 / 歌舞伎研究者(『市川新之助論』『天保十一年の忠臣蔵』)および劇評家として(「読売新聞」「テアトロ」「演劇界」等)ご活躍の犬丸治さんのウェブサイト。戸板康二については、
  • 歌舞伎学会誌「歌舞伎 研究と批評 12」(リブロポート、1993年12月発行)の《特集・戸板康二追悼》に寄せた「愛すれど淫せず 「戸板康二論」のためのノート〜
  • 「岩波講座 歌舞伎・文楽」第4巻『歌舞伎文化の諸相』(岩波書店、1998年10月発行)所収の「観客の視点(三)――劇評」
  • 戸板当世子編『「ちょっといい話」で綴る戸板康二伝』(戸板康二追悼文集編集委員会、1995年1月23日発行)巻末の戸板康二「年譜」作成
  • 『続 歌舞伎への招待』(岩波現代文庫、2004年2月)の解説執筆
  • 『歌舞伎ちょっといい話』(岩波現代文庫、2006年1月)の解説執筆
  • 『思い出す顔 戸板康二メモワール集』(講談社文芸文庫、2008年5月)の解説執筆
といった仕事をされております。戸板康二を読むようになったばかりの頃に犬丸さんの論考に触れたことで、以後のわたしの戸板康二道がいかに充実したことか(多分に自己満足ではあるけれども)、といった私的感慨のみならず、犬丸さん作成の年譜が、三回忌の1995年1月発行号より「別冊文藝春秋」にて始まり翌年完結して、1996年6月に刊行された矢野誠一著『戸板康二の歳月』(文藝春秋刊)という名著に寄与している点も強調しておきたい。歌舞伎学会誌に掲載の文章はウェブサイトに全文再録、あらたに画像も加えられ、ウェブならではの充実したページとなっています。新たに加わった「銀座百点」資料は間然するところのないすばらしさ。……という戸板康二がらみだけでなく、劇評の集積や日々の「余滴」など、ウェブサイト全体がとても充実しています。いつも更新をたのしみにしています。 (→ 愛すれど淫せず〜「戸板康二論」のためのノート〜 | 資料・「銀座百点」と戸板康二


演劇評論家 上村以和於オフィシャルサイト / 1999年夏に『歌舞伎への招待』を買ったのを機に急激に戸板康二に夢中になり、上記の奥村書店に行っては少しずつ著書を買っては読んではまた奥村書店、の繰り返しとなった。そんな折の奥村書店でふらりと手に取ったのが、上村以和於著『演劇の季節』(関西書院、1997年5月発行)という本でした。近代文学は十代の頃からあれこれ読んでおりましたので、演劇とか劇評が大きな位置を占めていた近代日本文学、といった視点に初めて思いが及んで、目が覚めるようでした。つまり、戸板康二を知り歌舞伎見物が日常となったことで、ますます近代日本文学がおもしろくなった。そんなある日、神保町で『折口信夫坐談』を買ってホクホクとなった直後で(図書館で借りて以来念願の本だったので)、通りがかりの店頭で手に取った歌舞伎学会誌の最新号の目次で上村さんが「近代歌舞伎批評家論」を連載なさっているのを知った。『折口信夫坐談』を買った直後に手に取った最新号で扱われていたのはなんと奇遇なことに折口信夫! ということで衝動買いして以来、毎号欠かさず愛読しバックナンバーもすべてチェックしたのは言うまでもない。その「近代歌舞伎批評家論」は折口信夫没後五十年にあたる2003年9月に慶應義塾出版会より、『時代のなかの歌舞伎――近代歌舞伎批評家論』として刊行されました。以後、大切に架蔵しています。ある意味「戸板康二ダイジェスト」のバイブル的な本なのでした。……などと、長々と私的体験を書き連ねてしまうのでしたが、現在の歌舞伎評論や劇評の書き手のなかで上村以和於さんは随一の文章家だと常々思っていたら、サイト内の「上村以和於への百の質問」に、一番好きな劇評家として戸板康二の名前をあげ、《文章が好きなのです。そういう批評家はほかにいませんからね。文は人なりというけど、文章そのものが好きにならなければ、いくらいいことを言っていても、それだけでは「好き」にはなれません。批評も結局は文章です。》というふうに書かれてあるのを見て、嬉しかった。今後もますますのご活躍を、と切に願っています。

本読みの快楽 / 金子拓さんのウェブサイト。現在はウェブサイトの更新は中断なさっている模様で、ブログ形式の「新・読前読後」をメインとして精力的に書き続けておられます(→ 新・読前読後)。「戸板康二」で検索して出会ったのが最初でしたでしょうか。歌舞伎かミステリのどちらか一方だけにとどまらない、広い意味での「読書人」としての戸板康二読みといったものが金子さんの「読前読後」からただよっていることにたいへん共感を覚え、嬉しいあまりにぶしつけにもメイルをお出ししたところ(ふだんは人見知りゆえよほどのことがなければ未知の人にメイルを出す勇気は出ない)、懇切なお返事をいただいて狂喜乱舞、以来、「戸板康二ダイジェスト」開設前から戸板康二道の「書友」としてお見知り置きいただいております。当時は「ブログ」なんてものはまだなかった。2004年1月発行の「ブッキッシュ」第6号《戸板康二への招待》は金子さんの企画で、氏のご厚意で誌面に「戸板康二ダイジェスト」も参加する機会に恵まれました。

綺堂事物-岡本綺堂案内 Okamoto Kido Project / 和井府清十郎さん制作の岡本綺堂についてのウェブサイト。長年の愛読サイトです。こんなふうにして戸板康二に関するウェブサイトを作れたらどんなにいいだろう、というようなことが頭に浮かんだことが「戸板康二ダイジェスト」開設の大きなきっかけでした。遠く及ばず現在に至っていますが、永遠の目標としていつまでも仰ぎみていたいと思うのでした。(と同時に綺堂をもっと読み込みたい)。



03.  書誌


銀座百点 (犬丸治さんの「歌舞伎のちから」に「資料・「銀座百点」と戸板康二」) / 上記の犬丸治さん作成の「銀座百点」資料。犬丸さんによって、戸板康二と「銀座サロン」について、「まえがき 「戸板康二・人物誌」の可能性」として間然するところなく論じられるだけでなく、その例証としてその資料として、「演劇合評会」「銀座サロン」の記事リスト(昭和35年より戸板康二が退く昭和54年まで)が網羅されている(昭和35年から昭和44年まで昭和45年から昭和54年まで)。また、『句会で会った人』でも一章設けて回想されている「銀座百点忘年句会」の資料(click)とその他「銀座百点」に掲載された戸板康二のエッセイやグラビア記事のリスト(click)が完備されており、ここに「銀座百点」と戸板康二の資料が集大成している格好です。この資料に鼓舞されて、「演劇合評会」「銀座サロン」の各論として、それぞれの記事を詳細に読んでいく企画を「戸板康二ダイジェスト」で準備中です(3年以上も前から…)。

ちょっといい話 (金子拓さんの「本読みの快楽」に『ちょっといい話』索引」) / 上記の金子拓さん作成の、文春文庫版『ちょっといい話』の人名索引。『ちょっといい話』でよくあるのが、あの人物のあのエピソードが面白かったなあと後日追憶して、本文を探し始めてみるとこれがなかなか見つからなくて、どんどんページを繰っていつのまにか違うところを読みふけって、結局当初の目的を忘れてしまうということ(それが醍醐味でもあるのですが)。そんなときの強い味方が、この人名索引です。戸板康二がらみでマイナーな人物を Google で検索して、数少ない検索結果のなかにこのページがヒット、ということも度々ありました(例:藤木秀吉、牛島肇などなど)。人名索引を「戸板康二ダイジェスト」でもアップしてゆきたいのですが、なかなか実現をみず。『回想の戦中戦後』と『思い出す顔』の人名索引を私的に拵えてみたら、以来たいへん重宝しておりますので、いつの日か必ず……。

ミステリ戸板康二著作リスト / 戸板康二を読み始めたころウェブで「戸板康二」を検索すると、本業の劇評家としての戸板康二よりもむしろ、推理作家としての戸板康二への言及の方がずっとずっと多くて、「推理作家としての戸板康二」がウェブ上で充実していることに目を見張ったものでした。戸板康二のその方面での仕事に思いっきり疎かった身としては(当時は本も入手困難だった)、どんなにか参考になったことだろうと思うと、胸が熱くなる。そんな数多いすばらしき「推理作家としての戸板康二」関連の記事のなかで、最高峰に位置するものとして、謎宮会のなかの戸板康二著作リストを挙げておきます。

演劇雑誌の総目次: 戸板康二の仕事の現場であった演劇雑誌の資料として、歌舞伎学会誌「歌舞伎 研究と批評」に掲載されている演劇雑誌の総目次を日ごろから重宝しています。ここでは、戸板康二が寄稿している演劇雑誌のうち、ウェブに細目が公開されている以下の2誌を。「戸板康二ダイジェスト」でも各種資料をこしらえたいものです。

04.  遊覧


洗足商店街 / 戸板康二が戦前から居を構えていたのが現・品川区荏原7丁目。最寄りは目黒線(旧目蒲線)の洗足駅でした。戸板康二は《住宅街と商店街とが交錯するうちの周辺では、荏原、小山、旗の台の町名が、だんだら縞に並走するのでややこしい。そのため誰でも尋ねられると、私鉄東急最寄りの駅名で答えるようだ。私は「洗足の住人です」という。》というふうに、「品川区と私」と題して記しています(「東京人」1992年11月号)。行きつけだった「谷口理容室」がとうとう2007年に消えてしまいましたが、古色蒼然とした町の本屋さん「洗心堂」、メインバンク(だったと思われる)現三井住友銀行、駅前のポストなど、駅前にはうっすらと戸板康二在りし頃を髣髴とさせるものが残っています(徒歩数分の戸板康二邸もおそらく今もそのままの姿で残っているものと思われますが、未確認)。目黒線に乗り合わせるたびに洗足駅を通過するといつもそこはかとなく嬉しい。たまに時間があるときはわざわざ下車してコーヒーを飲んでのんびりすることもしばしば。ある夕べ、駅前のイタリアレストラン「トラットリアトリノ」で食事をしたこともあります。とてもおいしかったです。近所の人びとが家族で気軽に食べにきているというくつろいだ雰囲気もとてもよかった。

文学者掃苔禄 / 文学者の墓地を訪ねその芸術と生涯を偲ぶ「掃苔」の記録とデータベース。膨大な文学者のそれぞれのページは、作品の引用と生前の挿話と墓地の印象とがたくみに織り込まれていて、「掃苔」という名の営為がページそのものに具現している。そんな「文学者掃苔禄」のなかに戸板康二のページもあります。こちらを初めて拝見してから幾年月、2006年1月に初めて戸板康二の墓地を訪ね、やっと長年の宿願を果たしたものでした。鶴見の総持寺はたいへん大きなお寺。墓地の入り口の係員の方に伺うと、戸板康二のお墓は案内図に載っておらず、祖母である戸板学園の創始者の戸板関子の案内の方はありました。戸板康二のお墓は関子女史の隣りにあります。石原裕次郎のお墓があることで有名な総持寺ですが、長谷川時雨のお墓もあり、文芸の香り(のようなもの)はそれなりにあります。明治製菓の創業者である相馬半治のお墓もあり、内田誠宣伝部長の明治製菓入社のコネとなった台湾総督の内田嘉吉のお墓もあります。その息子内田誠のお墓も総持寺にあったかどうかは追って確認したい。



(April 2009)



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