Snow is avoided
「………やってられっかっ!!」
そう声高に叫んで、シードは手にしていた大きなスコップを放り投げた。
力任せに放られたスコップはが真っ白い地面に落ちてその部分を窪ませる。それを横目に、シードは苛立たしげに少し伸びた前髪を掻き上げた。
「新年早々このくそ寒い中、何でオレがこんなことしなきゃならねぇんだよっ!」
時は正月、仕事は非番。
と、くれば。本来ならば暖かな城内で、おっとり酒の一杯も飲んでいるハズだった。………ハズだったのだが。
正月早々、彼が刺すように冷たい空気の中で何をしているかと云えば。
雪かき、である。
この冬のハイランドは異常気象だった。
例年よりも早く雪が降ったかと思えば、いきなり春のように暖かな陽気になったり。朝起きたときは晴れ晴れと蒼く澄み渡っていた空が、昼過ぎにはネズミ色に変わって猛吹雪になったりと、急激な天候変化に国民は戸惑い振り回されっぱなしだ。
そんな気象の影響はシード達にも、もちろん影響していた。
なにしろずっとこの調子なものだから、予定がまったく立てられないのである。ちょっとやそっとの雪ならば予定をたてた演習を実行するのだが、さすがに目も開けていられない上に呼吸すらも満足にできないような天候状態では実行には無理があって。演習だけじゃない。公務でとなり村まで行くのも、吹雪けば馬が出せなくなるので中止になってしまう。
外が吹雪いて外出に制限がでてくる度に、シードは唇を尖らせて窓の外を見つめていた。
もちろん、彼が雪を嫌うのは公務に支障がでるからではない。公務をサボって外をうろつけなくなるからだ。城内は広いとはいっても昼間となれば至る所に人がいて、中庭のように誰にも邪魔されずにおっとりお昼寝というわけにはいかないのである。
「騒ぐな。騒いだところで、この事態が変わるわけでもあるまいし」
シードとは対照的に冷静な口調で云う。その間もクルガンは手を止めずに止むことなく降り続いている雪をかきつづけていた。
柄の長いスコップで積もった雪を一定の場所に投げながら、シードの方を横目で見る。
「騒いでいる暇があったらさっさとやったらどうだ?」
「いや、おめぇはいいさ。どうせ今日も仕事だったもんな。おめぇは仕事サボれてラッキーだろうが、オレは非番だったんだよ!昼過ぎまでおっとり寝てて、起きて寝起きの一杯……つー、オレの予定はどうなるよ?ああ?」
……何とも素敵でご立派な予定である。
そんなくらだらない予定はつぶれてしまって正解だ。それにお前じゃあるまいし、仕事がサボれてよかったなどと思うか。
と、クルガンは思ったが。思ったことをそのまま口にすると本当にへそを曲げて部屋に帰ってしまうかも知れないので、コメントは控えさせてもらった。
そのかわりに、シードが放り投げたスコップの方へ顎をしゃくって。
「埋まってるが、いいのか?」
いいわけがない。クルガンが動かすスコップが散らす雪と、空から新たに降る雪で放り投げたスコップの姿が見えなくなりつつあった。騒いでスコップを放り投げたところで、どうせ雪かきからは解放されないのだ。スコップをこのまま埋めてしまったら、掘り出すのに余計な労働力を使うだけである。
シードは忌々しそうに舌打ちをして、サラサラの雪の中に足を突っ込むとスコップの方へ歩いていった。スコップの形に綺麗に窪んだ場所で腰を屈めて、スコップの柄を掴んで引き上げる。
「だいたいな、何でオレ達がこんなことせにゃならんのよ?外警当たってるヤツの仕事だろーが」
云っても仕方のないコトを云いながら、それでもシードは再び雪をよけ始めた。
本来ならば、これはシード達の仕事ではない。下級兵士達と、城内の下働きの者達の仕事だ。それを何故彼らも一緒になってやっているのかというと、それにはそれなりの理由があって。
「仕方がないだろう。旗が見つかるまでの辛抱だ、諦めてやるんだな」
そう。彼らはただ雪をかいているワケではなくて、絶え間なく降り続ける雪をよけつつ『国旗』を探しているのである。なんでそんなモノを探しているのかというと、風に飛ばされてどこかにいってしまったからだ。
今日の天候も凄いが、昨日と一昨日の天候はもうもの凄かった。外に一歩でも踏み出したが最後、城門で遭難しそうなくらいの猛吹雪。現に昨日の城門警備に当たっていた人間は、短時間交代にしていたにも関わらず顔が凍傷の一歩手前の状態にまでなったらしい。
その風と雪のせいで、城正面に掲げられていた『国旗』が行方知れずになってしまったのだ。火も灯せないほどの吹雪の中で、旗の有無に気を配っていられる人間がいるはずもなく。雪がある程度止んで、門番の兵士がふと顔を上げた時にはすでに何処かへ飛び去ったあとだった。
別に旗の換えが無いわけではない。そんなモノはその気になればいくらでもあるのだが。
問題なのは飛んでいった旗がただの『国旗』ではなかったということだ。見た目は何の変哲もない旗なのだが、背負ってる年月が違う。飛ばされていった旗は、もう何十年という長い年月、あの位置で国と国民を見守り続けた旗なのだ。さすがに建国当初に掲げてあった旗ではないが、それでも長い長い年月あの位置にあった。もしあの旗を降ろして別の旗にかえるのならば、それなりの手順を踏まなくてはならないのである。
そんなわけで、城中の人間総出で雪かきないし旗探しをしているのだった。
手の放せない仕事がある者以外はすべてと云っても過言ではないくらいの人数で、城内、城外、演習場は云うに及ばず、城下街から城の裏手に広がる雑木林まで至る所で旗探しだ。
だがどれだけの人数をだそうと、狭い場所で大きなモノを探しているワケではないのだ、人手が足りているわけではなく。
クルガンとシードは二人で城の裏手にあたる場所で雪をかきつつ、旗を探していた。決して狭い場所ではないが自分達より下の者がこの場所の3倍から4倍はある演習場を二人でやっていると思えば、まだマシな方である。
「………出てくるのかよ、ホントに」
うんざりした口調で呟いて、シードは冬枯れした木々を眺めた。
葉を落とした枝に雪が降り積もって、真っ白な葉を付けているかのようである。よけてもよけても降り積もる雪と同じように、積もった重みで雪を落としてはまた積もらせて。
風と、雪と。止むことなく続くそれらの中で、旗一枚を探すのは至難の業だ。
「出てきたら奇跡だな」
外で旗を探している誰もが思っていて、それでも口に出さないコトをさらりと云って。
クルガンの言葉に、シードは脱力した。
「……それを云っちゃおしまいだろーが」
「訊かれたから答えたまでだ。見つかろうが見つかるまいが、上が納得するまではこの作業を止めるわけにはいかないがな」
位が高かろうが低かろうが、所詮は宮仕えだ。皇族、もしくは軍の最高指導者でもない限り、どの程度の位にいても彼らの決めたコトは絶対なのである。
クルガンは手を止めると、小さく吐息を吐いた。煙草の煙かと思うくらいに真っ白く吐息が色をなす。
それから、汗でずれた手袋を外すと、コートのポケットから新しい手袋を取りだした。仕立ての良い軍人コートと同色の、品の良い手袋だ。本来は雪かきなどの作業をするときにはめるような手袋ではないのだが、背に腹は代えられない。
手袋を取り替えて、若干ずれたイヤーマフをなおして。ふとシードの方に視線をやると、いいかげんあきらめがついたのか猛烈な勢いで雪をかいていた。
凄い勢いでスコップを動かすものだから、コートは胸の辺りから裾まで真っ白である。軍でそろいのコートだからクルガンのモノと仕立ても生地も色さえも一緒なのだが、全然知らない人から見たらまるで別物に見えそうだ。
雪だらけのコートの裾を翻して、シードはザックザックと雪の中を進んで行く。雪をかいているというよりも、散らかして遊んでいるような印象すら受けるその姿を見ながら、クルガンは自分も作業を再開すべくスコップに雪をのせた。
その時。
突風が吹いた。コートの裾をバサバサと煽り、地に枝に降り積もった雪を巻き上げて風が通り抜ける。
積もった雪が気温が低くい為に粉雪だったものだから、たまらない。吹いたのは風なのに、まるで突然の猛吹雪かのように雪が風に舞い上がった。
目も開けていられない勢いで吹きぬける冷たい雪を孕んだ風に、二人はスコップを手放し腕で顔面を覆う。だが、クルガンがそのタイミングを外したらしい。
「………っ……」
細く開けていた目をかすめた何かに、クルガンは低く呻いた。
咄嗟に目をつむるが、時既に遅し。舞い上がった雪にゴミか何かが混ざっていたのだろう、目が痛む。
クルガンは痛む方の目を片手で押さえて、もう一方の腕で顔前を庇った。
「凄え風。あーあー、頭真っ白じゃねぇかよ。くっそー」
やがて風が弱まって。シードは雪で真っ白になってしまった自分の頭をぶんぶんと振って雪を払うと、クルガンの方を向いた。 俯くような姿勢で片目を押さえているクルガンを見て、シードは慌てて彼に駆け寄った。
「どうしたっ!?目に何か入ったか?」
心配そうに自分をのぞき込むシードを片手で制して、目を押さえていたほうの手を離す。
「枝か何かが掠っただけだ、騒ぐほどのことじゃない」
云いながら、痛む方の目で何度かパシパシと瞬きをしてみる。若干痛むが、見えないわけではないし大丈夫だろう。
生理的な涙で潤む視界を不快に思いながら、クルガンは無意識に目を擦ろうと指先を目に持っていく。その手を、シードが慌てて掴んだ。
それから、クルガンの目を見て。
「革手袋はめたまんま目ぇこすってどうするよ。……ああダメだ。赤くなっちまってる、傷はついてねぇとおもうけど目薬さしといた方がいいんじゃねぇか?」
「……目にゴミが入ったくらいで何を」
まるで自分が痛いかのような表情で云うシードに呆れたような口調で返して。
自分が痛いのは全然全く気にしないくせに、人の痛いのはダメらしい。普通は逆だと思うのだが。
「ほら。続きをしないと、いつまでたっても雪の中だぞ」
まだ心配そうな顔で自分を見ているシードを促して、自分もまたスコップを動かし始める。
突っ立ったまま、何やら小難しい顔でクルガンを見て。
それから。シードは先程自分が立っていた場所まで戻って、雪に突き立てたスコップの柄を掴んだ。そうしてスコップを握りしめたまま再びクルガンの横に戻ると黙って雪かきを始めた。
「……シード?」
二人で同じ場所をやって、いったい何の意味があるのか。
ただでさえロクに進んでいなかった作業が、もっと進まなくなるだけだと思うのだが。
シードが何を考えているのかわからなくて、クルガンが訝しげな視線で彼を見る。だが、それに気が付かないふりをしてシードは黙々と作業を進めた。
そこで、再び風が吹いた。先程よりは勢いが弱いものの、雪が舞い上がるのは変わらない。
顔を顰めて腕を上げて……。そこで、クルガンは自分の顔にほとんど雪が当たっていないことに気が付いた。ふと横を見れば、シードが風が吹いてくる方に立って雪を被っている。
何を考えているのかと思えば、どうやら再び風が吹いた時に雪よけになるつもりだったらしい。
女子供じゃあるまいし、こんな気のつかわれ方をされてもさして嬉しくはない。嬉しくないどころか、何となく釈然としないモノまで感じてしまう。逆の立場だったなら、シードだってこう感じるはずだ。
それがわかっているのか、いないのか。
だが、いくらクルガンでも面と向かってこうも云えずに。
クルガンは少々大袈裟にため息を吐くと、コートの中に手を入れた。内ポケットを探って、そこから黒い革製の眼鏡ケースを取り出した。フレームレスの洒落たデザインの眼鏡を取りだして、かける。
「シード。向こうをやれ、これではいつまでたっても終わらん」
呼ばれて、クルガンの方を向いて。
充血した目を庇うようにかけられた眼鏡を認めて、シードは目を見開いた。普段は長時間のデスクワークの時にしかかけない眼鏡を彼がしていることで、自分の考えていたことが彼にバレバレなことに気が付く。
伺うように見たクルガンの表情は不機嫌そのものである。シードはどうしようかと空を仰いで、
「そ、そーだな。うん。サクサクやんねぇと、いつまでたっても終わらねぇもんな」
白々しく云うと後ずさるような格好で元々作業していた場所へと戻った。
作業を再開するシードを後目に、眼鏡ケースを内ポケットに戻しながら。
まあ、やり方は頂けなかったが、まあ気持は受け取ってやってもいいかも知れない。
旗が見つかって(もしくは上のお偉方が諦めて)晴れてお役御免になったら、たまには酒の一杯もおごってやろうか。
と、そんなことを考えて。
クルガンは痛む方の目を何度か瞬かせて、自らもスコップを持ち直した。
ちなみに。
奇跡的に旗が見つかったのは、これより一昼夜も先の話である。