Time flies
真夜中。
ベッドの中でクルガンはふと目を開いた。枕元の時計を見て眉をひそめると、再び目を閉じて眠りに入ろうとする。
少しばかりの肌寒さを感じたのか、自分の隣で寝息を立てているはずの温もりを引き寄せようと無意識に手を伸ばした。が、その手はシーツの上をさまようばかりで、目的の温もりは一向に見あたらない。
空を掴むばかりの手に、クルガンは薄目を開けて自分の隣を見た。
視線の先には真っ白なシーツが波打っているだけで、いつもならばとなりでぐうぐう寝ているはずの男は、いない。
クルガンは小さく吐息をつくと、シーツを探っていた手を止め、そのまま眠ろうと瞳を閉じる。
用を足しにでも行ったのだろうと眠たい頭で考えて、彼はそのまま自分の思考が眠りに閉ざされるのを待った。
待ったが、一向に眠りは訪れない。そしてシードも帰ってこない。
それでも彼はなかば意地になったように目を閉じて眠ろうと努力をしたが、何度か寝返りを繰り返してやがて諦めたようにベッドの上に身体を起こした。
ベッドサイドの椅子にかけてあったガウンを羽織ると、部屋履きをはいて立ち上がる。
暗闇になれた目でよく見れば、寝室と二間続きになっている私室へのドアが少し開いていた。
「……開けたら閉めろといつも云っているだろう」
と、ここで云っても仕方のないことを呟いて彼は眉間に皺をよせた。
彼が歩く度に、部屋履きと床がこすれて耳障りな音を立てる。日中はまるで気にならない生活音が、しんと静まり返った部屋の中にやけに響いて聞こえた。
八分開きくらいになっていたドアに手をかけて、私室の方に入る。
ドアのすぐ横に置いてあったランプをつけた。その途端、
「あれ?クルガン?」
真っ暗な中で、一人ぼうっと椅子に腰掛けていたシードが、彼をみて眩しそうに瞬きをした。
「どうした?」
「それはこちらのセリフだ。こんな時間に何をしている?」
いつもは朝が来ても寝穢くいつまでも寝ている男だ。現に今夜だって行為が終わるとシャワーを浴びる間も惜しんで寝入ってしまったのだ。それがこんな時刻に、明かりもつけないでぼんやりと椅子に座っている。
「ちょっとな……色々と考え事をな」
「何を」
問われて、シードはクルガンに向かって少し笑った。
「別にたいしたことじゃねぇよ。ただ、ちょっとな。…………いつまでこうしていられるのかなと思ってな」
「…………」
「俺がいて、お前がいて、気のいい奴らがいて、この国があって、…………お前の隣で眠って。こういうのがずっと続いたらいいのになぁ」
「シード」
「わかってるって。……んなこたぁ、絶対無理だ」
シードは椅子に片足をあげると、その上に顎をのせた。視線を中にさまよわせる。
「どんなにがんばったって、無理だ。んなことはわかってる。ただ、後どのくらいお前の隣で眠れるのかと思ったら、眠れなくなった」
決戦の日は、近い。まだ具体的には見えてきていないが、刻一刻と決戦の時が近づいている。
事は、ジョウイの思うとおりに進んでいた。それは、自分たちが望んだこと。ジョウイの思いが成就することを、自分たちが望んだのだ。その結果、この国がどうなるかはわかっている。そして、自分たちがおそらく生きてはいないだろう事も。だが、この国を、この国の民を守るために、ひいては自分たちが生まれ落ちたこの大地を守るために、仕方のないことなのだ。
「あー、誤解すんなよ?死ぬのが怖いわけじゃないぞ?」
死ぬのが怖いわけではない。軍人として生きて、軍人として散る。それが自分の選んだ人生だ。軍人は自分の天職だと思っているから、それに関しては不満も不安もない。
時が流れれば、変わらないものなど何も無い。今こうしている間も、時間は無情にも過ぎてゆく。
「刻」という大きな、何よりも大きな流れの前では、自分たちはあまりに無力だった。流れゆく時の中で、自分たちが変わらずに引き留めておけるものなど、なにひとつとしてない。それも、わかっている。
わかっていても、願わずにいられないときがある。
願いはただ一つだけ。
ただ。ただ、願わくば…………。
コトン、と目の前のテーブルにグラスが置かれた。底の方に、琥珀色の液体が注がれている。
「眠れないならこれでも飲め」
シードはニヤリとしてクルガンを見た。
「いいのか?いつ奇襲があるかわかんねぇから、酒は当分駄目だって云ってたくせに」
「これくらいなら呑んだうちにはいらん」
同じ酒のグラスを手にしてクルガンは執務用の大きな机に寄りかかった。それきり口をつぐむ。シードはちびちびとグラスを口に運びながら、窓の外を見つめた。
「……アイツ……なんてったかな、あの、同盟軍のちっちぇ奴」
「アレン殿のことか?」
「そうそう、アレンだアレン。……お前相変わらず余計なことまで覚えてんのな」
クルガンは呆れたようにため息をついた。自分たちが戦っている敵将の名前は、余計なことではない。どう考えても覚えていない方が、おおいに問題がある。が、クルガンはあえてそれを口にしなかった。口にするだけ無駄なことを、よくわかっていたので。
「この戦いがジョウイ殿の予定通りに進んだら……アイツがこの大陸まとめんのかな」
「たぶんな」
「そうなったとき、アイツは今と変わらねぇでいられんのかな」
クルガンはグラスを揺らした。グラスに注がれている液体が、微かな音を立てて揺れる。それを見つめてから、
「変わるかも知れないし、変わらないかも知れないさ。……少なくとも、あの性格で大陸を一つまとめるとすると気苦労は多いだろうがな」
「……だろーな」
シードはくすりと笑う。そして残りの酒を一口か二口で飲み干してしまうと、名残惜しげにグラスをテーブルに置いた。
以前グリンヒルで見た、アレンの強い光をたたえた瞳。彼の瞳が、今のままの輝きを保てるのならば、この国を、この大地を託すことに不安はない。
「…………俺はこの国が好きだ。この国が、ハイランドがすっげぇ好きだ」
いったん口を閉ざし、それからシードは自分の足下に視線を落とした。
「だから、俺はこの国を守って死ぬ。最後まで、最後の最後までこの国を『ハイランド』を守って死ぬ、そう決めた」
まるで自分自身に言い聞かせるようにシードが呟く。
行動と思考が矛盾している。だが、これが精一杯考えて出した結論。理性で理解しているのと、感情で理解することとは微妙に違う。理性はジョウイの考えが最良の方法だとわかっていても、感情はこの国を無くしたくはないと告げている。
だから。だから、矛盾した答えをあえて選んだ。
クルガンは何も語らないけれど、きっと彼も同じ事を考えているはずだから。
そんなシードをクルガンは黙って見つめていた。ややあって、
「飲み終わったのならもう寝ろ」
どちらかといえば、優しい口調で。
「もう一杯だめ?」
「駄目だ」
「いいだろー。なっ?なっ?あと一杯だけだから」
空のグラスを持ち上げて、猫なで声で云ってみたが、
「くどい」
と、取り合ってもらえず、シードはすごすごと立ち上がった。
「しゃあねぇなー。もう少し呑みてぇけど、クルガンが怒るからねっかな」
わざとらしい独り言を大きな声で云いながら寝室に向かおうとして、ふと足を止めた。
「なぁ、クルガン」
クルガンを振り返った。
何事か云おうとして、口をつぐむ。そして、
「やっぱなんでもねぇ……おやすみ」
シードは寝室のドアに手をかけると、ひらりと彼に手を振った。
「……シード」
「ん?」
「ドアを開けたら閉めろよ」
その言葉に、シードはにやりと笑った。
「あー、わかったわかった。じゃな、おめぇも早く寝ろよ」
勝手なセリフを残して寝室に消えてゆく。
クルガンは微苦笑すると、机にグラスを置いた。
窓の外を見上げる。
そして……思った。
あとどのくらい、こうしてシードと話すことができるのだろうか、と。
END