Rest



「いい天気だなー」
 目映い朝の光が射し込む食堂で、シードは大きくのびをした。
 長く続いた雨天が昨日の夕方頃からようやく収まり、本日は朝から快晴である。
 季節の方も晩春から初夏へと移り変わり、開け放された両側の窓から爽やかな風が吹き込んで頬を撫でてゆく。窓際に置かれた観葉植物の葉も、吹き込んでくる風でゆっくりと揺れていた。
 3種類のパンに山盛りのスクランブルエッグ、厚切りのハムに香草ソーセージ。さらに別の小鉢に朝もぎのトマトとレタス。ちょっとバランスを崩したら何かしら床にこぼれ落ちてしまいそうなトレーをテーブルに置くと、シードはセルフサービスのコーヒーを取りにそちらへ歩いてゆく。
 シードがサーバを持ち上げたとき、後ろから名前を呼ばれた。
「シード」
 自分の名を呼ぶ声に、イスを引く音が重なって聞こえる。それからカタンという小さな音と、新聞を広げた時の紙が擦れるような音。
「おーっす」
 耳慣れた声に振り返りもせずに返事を返して、シードはコーヒーを注いだカップを一旦テーブルの上に置いた。そうして別のカップを取り上げると、それにもコーヒーを注ぐ。自分の分は砂糖無しのミルクたっぷり、もう一つは砂糖無しミルク無しのブラック。別に自分の分もブラックでも良いのだが、朝は胃に優しい朝食を心がけるべくミルクを入れるようにしていた。……「コーヒーにミルクを入れる前に、その量を何とかした方が良い」と云う外野の声は、どうやらシードには聞こえていないようである。
 クルガンの前にブラックコーヒーを置きながら、シードは小首を傾げた。
「なに。おめぇ今日非番なの?」
 新聞に隠れてよくは見えないが、今日はいつもと感じの違う格好をしているようだ。軍服でもなければ普段のかちっとした格好でもなく、洗いざらしたコットンシャツをゆったりと襟を開けて着ている。
「そうだが。それが?」
 広げた新聞から少しだけ顔を上げてクルガンが答える。
 パンを無造作にちぎって口に運びながら、シードは楽しそうにクルガンに話しかけた。
「そんなら今日は暇っちゅーコトで。天気も良いし、どっか遊びに行こーぜ」
「……………」
 クルガンは無言で新聞を再び眼前に引き上げる。どうやら『きっぱり無視』の態度でいくらしい。
「久しぶりに雲一つねぇ青空だし、風も気持いーし。ピクニックなんかいいよな、うん。弁当持って」
 無視されるのはいつものコトなので、それくらいでは引き下がらない。テーブルに手をついて身を乗り出すと、新聞を引っ張って相手の顔をのぞき込んだ。
「なー。折角久しぶりに晴れたんだぜー?今日遊びに行かないでいつ行くよ?」
「……俺は非番かもしれんが、お前は仕事があるだろう」
 苦々しい口調でクルガンが云うが、当のシードはお気楽な笑みを浮かべて片手を振った。
「そこら辺は心配ねぇって。今日の分も明日やるから」
「……………そう云ってお前が次の日仕事をしたためしは無い」
「大丈夫。今回はするって、もー絶対!だっておめぇ、こんなに良い天気なんだぞ?城ん中に籠もってるの勿体ないと思わん?」
「全く思わん。俺はお前と違って暇ではない」
 会話だけ聞いていると、まるで疲れが溜まって昼寝をしていたい父親と遊びに行く気満々の子供の会話である。どう贔屓目に聞いても、戦場を赤く染める猛将とハイランドきっての知将と云われる人物にふさわしい会話だとは思えない。
「んなジジくせぇコト云ってねぇでよー。何もマチルダまで行こうとか、クリスタルバレーまで行こうとか云ってないだろー」
「行きたければ一人で行け。ああ、何だったらそのまま帰ってこなくても一向に構わないぞ」
「だから誰もそんなトコまで行く話はしてねぇって。近くの丘で良いからさ、行こうぜ。な?」
 しつこい。今日は、いつになくしつこい。雨天が続いたせいでしばらく外で鍛錬もできなければ昼寝もできなかったので、相当外で遊びたいらしい。
 ついにクルガンは眉をひそめると、新聞ごしにシードを睨んだ。
「……………そんなに外に出たければ、外ですることがあるだろうが」
「外ですること…?」 
「たまには自分の馬を自分で洗ってやったらどうだ。月に一度くらい世話してやらんと、誰が主人なのか忘れられるぞ」
 げっと顔をしかめて、シードは持っていたフォークをハムに突き刺した。彼らくらいの地位になれば自分の馬の世話なんぞ、よほどの馬好きでない限り日常的にはまずしない。だが、クルガンの云うコトはもっともである。乗るだけ乗り回してそれだけでは、自分の愛馬ですとは胸を張ってとても云えない…と、わかってはいる。わかっては、いるのだが。
「忘れねーよ。アイツは主人に似て賢いからな」
 痛いところを突かれて、シードはもそもそとハムを噛みながら反論した。
 が、その反論をクルガンは鼻で笑う。
「ふん。主人に似て、か。それでは気の毒だがもう忘れられた頃だな」
「どーいう意味だ、そりゃ」
「言葉のままだ」
 こういう流れになってしまうと、もう駄目である。話がまずい方向に向いてきたので、シードはそこで言葉を切って悔しそうにスクランブルエッグをかき込んだ。説教を始めるとクルガンは長いのだ。説教をされるのはいつものコトとはいえ、朝から、しかも食事中にはされたくない。
 聞こえよがしにでっかいため息をついて、シードはおかわりをするために空になった皿を持って立ち上がった。どうやらやりこめられて悔しい気持を食べることでやり過ごすつもりのようである。
 シードの「遊びに行こう」攻撃を首尾良く撃退したクルガンは、涼しい顔でコーヒーを口に運んだ。




「くっそ〜!どうしてアイツはああなんだかな〜」
 朝食後。シードの執務室。
 馬を洗ってやる気は無いようで、机に向かってペンを握っていた。大体どこかに遊びに行くならともかく、馬舎で馬なんぞ洗っていたら仕事をしろと副官につかまるのがオチだ。結局仕事をする羽目になるのならば、最初から無駄な労力を使わない方がいい。
 すっかり拗ねた表情で、シードはぶつくさと文句をこぼしていた。
 それでも文句を聴いてくれる副官が居ればまだましなのだが、生憎とシードと入れ違いに用事を足しに出ていってしまった。すぐに戻る、とは云っていたが書類に書物に…と何やらたくさん荷物を持って出ていったので暫くは戻ってこないだろう。
「たまにはオレの息抜きにつき合ってやろうとか思わんのかね、アイツは」
 ……クルガンが聴いていたら「お前は息抜きしかしていないだろう」とツッコミが入りそうな台詞である。
 副官が「これだけは今日中に決済して下さい」と三回くらい云って目の前に置いていった書類に視線を落として、シードはインク壺にペン先を突っ込む。
 その乱暴な動作にインクが机に跳ねたが、そんなことはお構いなしだ。
「なーにが『お前と違って暇じゃない』だよ。オレだって年がら年中暇してるワケじゃねぇっつーの」
 元より「遊びに行きましょう」と誘って「はいそうですね」と返事が返ってくるとは思っていないが、それでもやっぱり、断られると腹がたつもので。だいたいすぐに説教の方向へ話を持っていこうとするのも気に入らない。確かにここしばらく馬を洗ってやった記憶はないが、何もあそこでああいうふうに云わなくてもいいのではないだろうか。自分はこの間洗ってやったからって、偉そうに人のことまで口出ししないで欲しい。
 つらつらとそんなコトを考えながら、シードは手元の書類に乱雑にサインを入れた。そうして机の上に山と積まれた書類から次の一枚を取り上げる。もう、ほとんど流れ作業のノリである。いつもならばサラッと読み流す程度には目を通すのだが、今日は一文も読まずにサインをするだけ。朝食時のクルガンとのやりとりが、相当腹に据えかねているらしい。
 そんな調子で何枚目かの書類にサインを入れていたとき、ガリッと机を引っ掻くような音と共に書類が破けた。どうやら怒りのあまりにペンを握る手に不必要な力が入っていたらしい。
 シードは苛ただしげに書類を摘み上げると、光に透かしてみた。そんなに目立つほど破けてはいないが、放っておいてばれない程度の破け方でもない。裏から紙を貼って修復するしかなさそうである。
 破けるのではなくて、ペンのインクが滲んだ程度であったらホワイト修正で済んだのに。そう思って、シードはチッと舌打ちした。
 摘んでいた書類を机の上に落として、シードは引き出しを開けて中をのぞき込む。
 が、ついていない時と云うのは本当にどこまでもついていないモノで。
 いつもならば白紙の紙が入っているハズのその引き出しには、今日に限って何も入っていなかった。
「何で何にも入ってねぇんだ!?」
 それは自分で使い切った後、補充をしておかなかったからである。はっきり云って書類が破けたのも、引き出しに紙が入っていないのも彼の自業自得なのだが、そんなコトを彼が思うはずが無くて。
「あー、くそ!もういいっ!もー、ヤメだヤメ!!」
 そう大声で云い放つと、手に持っていたペンを放り投げた。
 こうなるともうダメである。
 目の前に期限の切れた書類があろうと、横で副官がお小言をいっていようと全然全く気にしない。とっととペンを放り投げてイスから立ち上がってしまう。
 本日も類にもれずに、シードはバンっと机に手をつくとイスから立ち上がった。その勢いで机の端に置かれていたサイン済みの書類がバサバサと床に落ちたが、それにはもちろん目もくれない。
「だいたいこんな天気の良い日にデスクワークなんぞするもんじゃねぇっつーの」
 云いながら、シードは机の後方にある窓にツカツカと歩み寄った。
 風を入れるために半分程度開けてあった両開きの窓を全開に開けると、シードは窓から身を乗り出すといつものように窓のすぐ近くにある太い木の枝に飛び移った。
 樹齢何十年のかなりの巨木で、大人の男が一人飛び移ったくらいではびくともしない。実際この木は入り口から出入りするには都合の悪い時や、今日のように手っ取り早く外に出たいときによく使っていた。
 ちなみにシードの部屋は二階である。最初のうちは副官も「危ないのでおやめください」と一生懸命止めていたのだが、あまりに頻繁にシードがこの窓から出入りするので最近ではもう呆れて何も云わない。
 シードは慣れた動作で枝を下へとつたってゆくと、危なげなく地面へと着地した。
「さーて。どーすっかな……」
 呟いて。シードはその場で腕組みをして考えた。     





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