Firework
穏やかな、宵の刻だった。
太陽は西の山の端に没したばかり、空は光の余韻を残してまだほんのりと明るい。
それはひどく静かな風景で、地上に広がる黄昏の色までもが淡紫に柔らかく目に映った。
「なーに黄昏てんだよ、おめぇは」
テントの側の大樹に凭れて暮れゆく森林を眺めていたクルガンは、声のした方向に顔を巡らせた。何やら薄汚れた紙袋を手にこちらに近づいてくるシードを目に止めて、眉を寄せる。
「大人しく寝ていろと云ったはずだ。起き出してちょろちょろするほど回復してはいないだろう」
腕を上げて袖を通すのがつらいのか、肩に羽織っただけの上着。その下の鍛え上げられた肉体には、胸の辺りからきつく包帯が巻かれている。常人ならばまだベッドに起きあがることもできないと思われるような傷で、何をふらふらと出歩いているのか。
「そんなこともねぇよ。もう大分良い……まだ剣は振り回せそうにねぇけどな」
足下に紙袋を置いて、シードはひょいと肩をすくめた。その拍子に傷が痛んだのか、一瞬顔をしかめて小さく呻く。
クルガンはそれを見逃さずに、聞こえよがしなため息を吐いた。
「だから寝ていろと云っているのに。わざわざ起きてきて何がしたいんだお前は」
「いや……何がしたいってわけじゃねぇんだけどな……」
「ではさっさと自分のテントに戻れ」
「まぁそう云うなって。………なんとなくな、おめぇの顔が見たかったんだよ」
一瞬口ごもって、それからクルガンとは逆方向に顔を向けて。
だがそんなシードの言葉に、クルガンはひどく気の毒そうな表情で彼を見た。
そうして、緩く首を横に振る。
「…………解毒剤が間に合わなかったのか」
「どういう意味だ、そりゃ」
「そのままの意味だ。済まなかったな、頭に毒が回る前に投与してやれなくて」
「……………………」
右頬をピクピクと引きつらせながら、シードはクルガンの足下に腰を下ろした。
森林の中でも少し小高い場所に駐屯地を作っているために、場所を選べば驚くほど見晴らしが良い。クルガンと並んで夕暮れの風景をしばらく見つめてから、シードはごく何気なく云った。
「な、クルガン。花火やろーぜ?」
「花火……だと?」
「おう。こっち来る前に城下で見つけてよ、ガキの頃が懐かしくなってつい買っちまったんだよ」
云いながら、シードは先程地面に置いた紙袋に手を伸ばした。少し薄汚れた袋の中から何種類か花火の包みを取り出して、クルガンに見せる。
「……お前が何を懐かしがろうと別にかまわんが、わざわざこんな所にまでそういうモノを持ってくるな。この馬鹿者」
「いいじゃねぇか。別に打ち上げ花火やろーとか云ってるわけじゃねぇんだから」
「当たり前だ。どこの世界に自軍の駐屯地で打ち上げ花火をするバカが居る」
「だーから、打ち上げ花火は持ってきてねぇってば」
呆れたような言葉はいくつか出たが、特に反対もされなかったのでシードは色とりどりの花火の束から一本抜くと、肩の上から羽織っていた上着のポケットに手を突っ込んだ。煙草を入れている袋の中からマッチの箱を取り出す。
カシュカシュとマッチをする音が小さくする。が、一向に火がつく気配はない。シードは首を傾げて、マッチ箱を自分の目線まで持ち上げた。
特におかしいところはないようだが、何度やっても火がつかない。
「あーん?なんで火がつかねぇんだ?」
マッチ棒を取り替えて再度チャレンジしてみるが、火がつく様子はない。どうやら、マッチ棒ではなく箱がダメになっているようだ。
当然別のマッチなど持っているわけがなく、シードはちっと舌打ちすると持っていたマッチ箱を地面に投げ捨てた。
「こら。そういう物を外に捨てるな。弾みで火がついたらどうする気だ」
それまで黙ってシードがマッチと格闘しているのを見ていたクルガンが、ペシンと軽くシードの頭を叩いた。
「火がつかねぇから捨てたんだって」
「そういう問題ではない。こういう火の気のある物をそこら辺に迂闊に捨てるなと云っているんだ」
眉を寄せてシードに云って、クルガンは投げ捨てられたマッチ箱を拾い上げた。それを持ったまま、自分のテントにいったん引っ込んだ。新しいマッチ箱と水を入れたグラスを手に出てくると、シードの側にしゃがみ込む。
「かしてみろ」
マッチを擦って、花火の先に火をうつす。
シュウッという音と、細い煙が花火の先から上がる。程なくしてパッと鮮やかに金銀の火の粉が散って、薄闇に煌めいた。
「………ふーん」
「なんだ」
「……いや。ガキの頃見た花火はもっと綺麗だったような気がしてよ」
昔。今よりもずっとずっと子供だった頃に見た花火はもっと綺麗だったような気がして。
「俺らがガキの頃より技術が進んでるんだろーから、昔よりも綺麗に見えるはずなんだけどなー」
「……理屈はな」
クルガンは立ち上がると、先程と同じように木の幹に背中を預けてシードの方を見た。
「昔よりも綺麗に見えないのは、俺達が『大人』になったからだ。シード」
純粋に綺麗なモノを「綺麗だ」と云えたあの頃。己が正しいと感じたモノを素直に言葉にできて、それを無条件に信じていられた少年時代。これらの本来なら簡単であるはずのことができなくなってしまったのは、いったいいつの頃からだったか。
いつまでもあの頃のまま、同じ場所で時を止めていることなどできるはずは無いけれど。自身が大人になってしまったことを思い知らされる度に感じる一抹の寂しさ。
花火はすぐに燃え尽きた。燃え尽きた花火を水の入ったグラスに入れると、ジュっという小さな音と共に燃え終わった花火の独特の匂いがたつ。
シードはそれを横目に、 別の一本をまた束から抜いた。クルガンが持ってきた新しいマッチで火をつける。
薄緑色の炎が小さくともって、赤や青の光の滴が地面にまかれる。
それをしばし見つめて。シードは云った。
「…………なぁ。何で…なんにも云わねぇんだ?」
クルガンが怪訝な表情を浮かべた。
いきなり話題が飛ぶのはいつものことなのだが、シードの発した言葉の意味がわからない。今まで散々会話しておいて、「何も云わない」とはどういう意味なのか。
「耳まで毒に犯されてたのか?」
「バカにするのも大概にしねぇと本気で怒るぞ」
クルガンの答えにムッときたのか、シードがクルガンを下から見上げるように睨み付けた。それを見て、クルガンは口の端で笑う。
「その姿で凄んでも様にならんぞ、シード。……で?さっきの言葉はどういう意味なんだ?」
「いや、だから……。いつも俺がどっか怪我したらしつこいくらいのイヤミとよくもまぁ口が回るなぁと思うような説教を長々とするくせに、今回はなんで何にも云わねぇのかと思ってよ」
この間、腕を怪我したときは包帯が外れるまで会う度にイヤミ。その前に額を縫った時は傷口を消毒するところから始まって、包帯を巻き終わるまで説教。左肩をやられた時は剣が振れるようになるまで、なんだかグチグチとイヤミと説教が入り交じったような事を云われていたような覚えがある。
副官は「心配していらっしゃるのですよ」とか何とか云っていたが、アレは絶対楽しんで云っていたとしかシードには思えない。
「この間勢い余って部屋のドア壊した時も手ぇ捻っただけでグダグダ云ってたのに……」
「あれはお前が俺の部屋のドアを壊したからだ。人の話を真面目に聞いていたのか、お前は」
「聞いてたってばよ…………半分ぐらいは」
馬の耳に念仏。シードの耳に説教。
そんな言葉が脳裏に浮かんで、クルガンははぁっと一つため息を落とした。
「つまりなんだ。説教をして欲しかったと云うことか?」
ずばり云われて、シードは眉を寄せてとうに燃え尽きていた花火をクルガンの方に向ける。
「バカかおめぇ。なんでオレがわざわざ好きこのんでおめぇの説教を聞きたがるんだよ」
クルガンは自分に向けられた花火をシードの手から奪い取ると、グラスに入れた。
「バカはお前だ。こういうモノを他人に向けるな」
この言葉は無視して、シードは落ち着か無さげに手の中のマッチ箱を軽く振った。箱の中にはあまりマッチ棒が残っていないのか、マッチ棒が箱に触れるカシャカシャという音がする。
「オレが云いたかったのは、なんで今回に限って何にも云わねぇのかっつーことだ」
別に説教が聞きたいわけではない。あんな鬱陶しいもの、聞かなくてもすむのなら聞きたくないに決まっている。
ただ。
ただ、いつも怪我をしたときには当たり前のように云われていた言葉が無くて少しだけ不安になった。
聞きたいわけじゃなくて。当然云われても真面目になんか聞くはずなくて。それでも、いつもの言葉が無いと考えてしまう。特に今回は、彼に迷惑をかけたから尚更に。
「……あの攻撃はお前じゃなくても避けられなかった。ただそれだけだ」
ひどく静かな声音。見上げたクルガンの表情は、薄闇に紛れてしまってシードの位置からはよく見えない。
シードはまた新しい花火を手にとって、だが火はつけずにそのままクルガンの次の言葉を待つ。
「電雷球を弾いたところまではともかく、あの剣先がああくるとは予測のしようがなかった。……戦場に立つからにはいつどこからどういう風に剣先がきても避けられるように冷静に状況を見ながら戦うべきなのだが、お前にそこまで高度な行動がとれるとは思っていないからな」
ナッシュのあの一撃は、シードじゃなくても避けられなかった。いつものように何も考えずに無鉄砲に突っ込んでいっての負傷ならば、いいだけ説教も文句もイヤミも云ってやるところなのだが。
「しかしまぁ、お望みとあらば説教をしてやらないこともない。今回の怪我は違っても、説教をすべき事柄は山ほど……」
「安心しろ。全然お望みじゃねぇから」
クルガンの語尾を遮るように云って、シードはどこかホッとしたような表情をした。
それを見て、クルガンがどこか人の悪い笑みを浮かべる。
「俺に見捨てられたとでも思ったか?」
多分に笑いを含んだ声。クルガンはくすくすと笑いながらシードの髪の毛に指先を伸ばした。
「バッ………カじゃねぇのか、おめぇ!?なんでオレがんな事思わなきゃなんねーんだよ!」
図星だったのか、シードは語気荒く云ってクルガンの手を振り払った。
が、その動きが傷にさわったのか、そのままの格好で動きを止めてしまう。唇を噛んで、痛みが過ぎるまでその場でじっとして。そんなシードを呆れたように、それでもどこか優しげな眼差しでクルガンは見つめる。
どれほどかそこに沈黙があって。それからシードは手にしていた花火と紙袋から新たにとりだした花火を数本まとめて持って、ゆっくりと立ち上がった。
「離れてたほうがいいぜ?ちょっとばかし派手にいくからよ」
まとめて持った数本に一気に火をつけた。一斉に上がる色とりどりの炎と煙。藍色の空間に、美しく光が散る。
「おーおー。やっぱこれくらい派手に火ぃつけると綺麗に見えるよなー」
そう云って満足気に笑って。ふと、シードは真顔になった。
「お前さ……アイツにトドメ、刺したのか?」
音をたてて火を放つ花火に視線を預けて、クルガンはそっけなく応じた。
「俺がトドメを刺していたら、お前は今ここにいないと思うが」
「そっか……。そうだよな」
呟いて、シードもまた自分の手の先でひどく美しく光を散らしている花火を見つめる。
勢いが徐々に無くなってゆき、やがて光がふっと途切れて辺りに静寂が戻った。シードはひどく緩慢な動作で状態を屈めると、地面に置かれたグラスに燃えカスを差し込む。
そうして。ひとつ大きく息を吐いて、ゆっくりと視線を巡らせた。正面から、クルガンの目を見る。
「次は、勝つ」
シードはクルガンに向かって、きっぱりと言い放つ。
「借りっぱなしってのは気分がわりぃからな。次にあったときに、倍にして返してやる」
ニヤリと笑って、シードはグラスと放り投げられたままの紙袋を拾い上げた。
「次があれば…な」
これだけの怪我をしたにもかかわらず全然まったく懲りていないらしい。クルガンがため息混じりに漏らす。
それを耳にして、シードがまた笑った。
「あるさ。機会が無ければ作るまでだ。なんとしても返すぜ、この借りは」
もう少し怪我の状態が良くなればナッシュを追いかけてグリンヒルまで飛んでいきそうな感じである。
シードの気持がわからないでもないクルガンは、苦笑してシードの手の内のグラスを取った。
「あんだよ?もう花火ならねーぞ」
「お前じゃあるまいし、花火なんぞいらん。お前に燃えカスを預けてそこら辺に捨てられたらたまらないから、俺が捨てるんだ」
「水に濡れてんだからどこ捨てたってかわんねぇって」
ま、捨てといてくれんなら楽でいいけど。そう続けて、シードはクルガンに背を向けた。
「じゃーな。どっかの誰かさんがうるせぇから自分のテントに帰るわ」
「シード」
歩き出すシードの背に、クルガンが声をかける。
「あー?」
立ち止まってクルガンの方を振り返るシード。クルガンは、彼に向かって一歩足を踏み出して云った。
「そんなに借りを返したいのなら、先に俺に返してくれもかまわんぞ。これから俺のテントでな」
口外に告げられた意味を理解して、シードが目に見えて慌てる。
「冗談。今お前に一晩つき合ったら死じまうって」
どうやら心底本気で云っている様子のシードを見て、クルガンはひっそりと笑った。
「もちろん、冗談だ。さっさと戻って寝ろ。いざと云うときに使い物にならんようでは困るからな」
「……………お前、ホントに性格悪いよな」
げんなりと呟いて、シードは再び歩き出す。2、3歩前に進んで、また立ち止まった。そうして、今度は振り返らずに。
「あともう2、3日もしたら、先にお前に返してやるよ」
云い置いて、シードは自分のテントに帰っていった。
闇に溶けて見えなくなるまで、彼の背中を見送って。クルガンは空を仰ぐ。
紫紺を深めた空に、宵の星が瞬いていた。