A doze




 午後の軍議で使う資料をまとめるために持ち出していた書物を戻しに書庫へと足を運んだクルガンは、この場所にいるはずのない人間の姿を窓際の机に見つけて驚いた。
 云うまでもなく、その人間とはシードである。
 自他共に認める活字嫌いの彼が、何処を見ても書物しかないこの部屋にいることはもの凄く珍しい。下級士官の頃は誰それの雑用だ、と人が持ち出した書物の返却に何度か訪れはしただろうが、彼が将軍職に就いてからはおそらくここに来るのは初めてだろう。……少なくともクルガンの知る限りでは、初めてだった。
「シード、珍しい場所で会うな」
 思わずかけた声に、けれど反応は無い。
 聞こえない距離ではないはずだ、とそう思ってからすぐに、声が返らない理由に気がつく。
 ……………なんてコトはない、本を開いたまま居眠りしているのだ。
 離れた場所から姿勢だけみれば本を読んでいるように見えるのだが、よーく見ると彼の頭が微かに船をこいでいる。
 机の上に何やら分厚い書物を広げて、その脇に何冊も本を積んで。さも『勉強してます』という雰囲気を演出してはいるが、本当に演出だけのようである。
 クルガンは呆れたように嘆息して、シードが「とりあえず」目の前に開いている本に目をやった。クルガンの立っている位置からではあまりよくは見えないが、見覚えのある本だ。何の本だったかしばし考えて、その内容に彼は苦笑した。
 あれは、ハイランドの歴史をつづった本だ。
 先日の会議で、自国の歴史すらよくわかっていなかったシードに「自国の歴史くらいソラで答えられるようになれ」と怒った(呆れていただけで、怒っていたワケではないのだが)のが効いたのか。たとえ居眠りしていようと、とりあえず本を開いてみようという気になっただけでもシードにしてみれば褒められたことだろう。
 シードはバカではなのだ。いや、ある意味バカかも知れないが、それは日常生活においての言動の問題と彼の性格上の問題であって、記憶力や吸収力は普通の成人男性並かそれよりもやや高いだろうと思われる。それなのに書類の内容や一度習っているはずの自国の歴史を覚えていられないのは、それが『自分が生きてゆく上で必要な事柄』だと思っていないからだ。確かに兵士として生きてゆくのならば、ハイランドの初代皇帝のフルネームを覚えているよりも背後から襲ってきた相手にどう切り返すかを考えて覚えた方が利口ではある。……もっとも、シードがこんな小難しいことを考えているハズはないが。
 背後の窓から不意に吹き込んできた風に、シードの真っ赤な髪がサラサラと揺れた。
 見慣れているはずで見慣れていない、そんなシードの姿にクルガンが本を抱えたまま足を止めていると、本に突っ込むのでは無いかというような姿勢で船をこいでいたシードがゆっくりと頭をあげた。
 窓越しに広がる抜けるような青空を背景にシードは少しだけ首を右に傾けると、目線の先にいるクルガンに向かって少し笑った。
「……何時?」
 軽く小首を傾げて、長い前髪の下で2、3度瞬きをしてクルガンに聞いてくる。
 クルガンは入り口脇の棚に持っていた本を置くと、上着の内ポケットから時計を取り出した。時間を確認して、すぐにまたポケットへと時計を戻して。
「あと三時間というところだな」
 シードが知りたいコト、……今が何時かではなくて、午後の軍議が始まるまでにどのくらい時間があるか。を答えてやった。
「………さんじかん……」
 まだ頭の中が寝ているのだろう。気の抜けたような声で云って、シードは前髪を掻き上げた。
 その姿を横目にクルガンは本を持ち直すと、元々あった棚に本を返却するために狭い室内に乱立する書棚へと足を向けた。
 図書館ではなく、あくまでも書庫なので室内は驚くほど狭い。いや。広さ自体は結構あるのかも知れないが、なにぶん所狭しと本棚がひしめいているので人が歩ける空間がえらく狭いのだ。そのただでさえ少ないスペースに無理矢理小さな机とイスを入れてあるので、窮屈さはもうどうしようもなかった。
 あまり人がよりつくような場所ではないので、幸いなことに今は彼ら二人しか室内にはいないから良いようなものの、これで他にまだ誰かいたら息苦しさを感じるのではないだろうかと思われる。
 クルガンが書棚に本を戻していると、シードが誰にいうのでもなく呟いた。
「……それじゃー、もう少し寝るかなぁ…」
 彼の言葉に、クルガンは呆れたように云って眉を寄せた。
「何?昼寝するのか…?」
 正確に云えばまだ正午を回っていないので昼寝ではないのだが、クルガンにしてみれば一度ベッドを降りてからその辺で居眠りをするのはみんな昼寝にカウントされるらしい。
「んー。………なに、おめぇ眠たくねぇの?」
 開いた本の上に両腕を交差させて、それを枕に頭をのせる。もう寝る準備は万端である。
「お前と一緒にするな。こんな時間に昼寝をしなければならないほど俺は自己管理がなってなくはない」 
「そうかぁ……。でもアレだぞ、俺が今眠てぇのは半分以上おめぇのせいなんだぞ…」
 口の中で呟きながら、シードは腕にのせた頭を少しだけ傾けてクルガンの声のする方へ視線を投げかける。
 狭い室内、ほとんど音にならかったようなシードの声はクルガンにちゃんと届いたらしい。シードの言葉に、クルガンは本を入れていた手を一瞬止めた。
 どうやら、思い当たる節があるようだ。
 ……確かに、昨晩の行為はちょっと激しかったかも知れない。そう考えて、クルガンは苦笑した。
 このところ二人とも何かと忙しくてすれ違ってばかりだったので、結構長い間『そういう行為』とはご無沙汰だったのがいけなかったのか。年甲斐もなく、がっついたようにお互いを求めあってしまったのだ。いつもならばどこかに理性の欠片が残っていて、シードの翌日の負担を思ってセーブするのだが、昨夜に限ってはその欠片すらシードを求める思いに溶けてなくなってしまっていたらしい。
 それほどにシードが欲しかったのか。
 それとも、自分で思うほど大人になれてはいないのか。
 そのどちらだとしても、我がコトながらひどく気恥ずかしいような気がして、クルガンは意識して不機嫌そうな表情を作った。
 攻める側の自分が「激しかったかも知れない」と思うのだから、受ける側の彼にしてみれば「〜かも知れない」ではなくて「激しかった」コトになるのだろうか。それによく考えてみれば、二人とも意識を手放したのは明け方近くなのだから、彼が眠たいのは仕方がないのかも知れない。…今日に限っては。
 こう思ってしまうと、居眠りをしていて、さらにまだもう少し居眠りをしようと云う彼にクルガンは何も云えなくなってしまった。
 シードは返事がないことには全然まったくかまわずに、夢うつつのまま話し続ける。
「オレがもうヤだっつってんのに、おめぇがしつけーからオレは眠たいんだっつーのー」
 半分寝ているせいか、いつもよりもコドモっぽい話し方になっている上に、スピードも妙にゆっくりだ。組んだ腕の上から半分だけのぞかせた顔に浮かべた笑みはひどく無防備に、そして無邪気に見える。二十代も半ばを過ぎた男をつかまえて『無邪気』も『無防備』もないものだが、シードはなまじ顔の作り自体がえらく綺麗なのでこういう言葉を使ってもまったく違和感がないのだ。
 クルガンは手にしていた最後の一冊を書棚の隙間に押し込むと、シードの方へと歩く。机に突っ伏してすっかり寝の体勢に入っているシードに苦笑しつつ、彼の隣のイスを引いて腰掛けた。
 そうして、シードに向かって云った。
「会議が近くなったら起こしてやるから、時間まで寝ていろ」
「あー?…あんだって?」
「だから。起こしてやるから、寝ていても良いと云っているんだ」
 全くもって、珍しいお言葉である。いつもの彼ならば絶対に云うはずのない言葉に、寝ぼけた頭でも違和感を感じたらしくシードは半分閉じかけた瞼を無理に押し上げてクルガンを見上げた。
 シードの視線の意味はわかったが、クルガンはあえて相手にはせずに積んであった本の一冊に手を伸ばす。大して興味をそそられるような本でもなかったが、暇つぶしにはなるだろう。
 軍議で使う資料の制作は終わったし、持ち出した本も書棚に返した。後の予定は午後の軍議だけだし、こうしてシードにつき合ってゆっくりしてみるのもいいだろう……たまには、だが。
 そうしてクルガンが本の表紙を開いたとき、シードがゆっくりと口を開いた。
「……いちじかん」
「1時間…?」
「そー。1時間したら起こせな」
 別に起こすのはかまわないが、なぜ1時間なのか。今からならば三時間、いや、余裕を持って起きても2時間半は眠れるのに。そう思ったクルガンがその問いを口に出す前に、シードは続けて云った。
「起きて、コレ読むから……」
 コレ、とは云うまでもなく彼が腕の下に敷いている本のことだろう。驚いたことに、本気で読むつもりがあって開いていたらしい。 云うだけ云うと、シードはすぐに寝息をたてはじめた。よほど眠たかったとみえる。
 クルガンは微かに口元に笑みをたたえると、片手でくしゃくしゃとシードの髪をかき回して。
 手にした本に視線を落とした。
 

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