accept a person's wager
「……あー?何、まだ何か書けってか?」
夕刻。シードの執務室である。
本日決済予定の書類をすべて済ませてホッと一息ついていたところに、副官…クライスが思い出したように何やら紙切れを取り出してシードに差し出したのだ。
手にしていたマグカップを机に置いて、シードは手渡された紙切れに心底嫌そうな表情を浮かべる。それに軽く笑って、クライスは「書類ではありませんよ」と首を横に振った。
「アンケート、だそうです。私の分と一緒に持っていきますので、早々に記入なさってください」
「アンケート?何の」
労働待遇改善の為のアンケート…とかだったら嬉しいのだが。と、そんなコトを考えながら四つ折りの紙を広げて、中に書かれている設問を読み上げた。
「『貴方の理想の結婚相手はどんな人?』………って、何だコリャ?」
上記の設問に始まって、紙切れには『今の恋人はどんな人?』だの『つき合う相手に求めるモノは?』だのといった、愚にもつかないような設問が所狭しと並んでいる。一体コレは誰がなんの目的で作ったアンケートなのだろうか。
目を瞬かせて紙切れを見つめているシードに苦笑して、クライスが云った。
「城内の女性陣が作ったアンケートだそうです。一般兵士から少年兵、軍師殿や軍医殿に至るまでほぼ城中の独身男性に配られているようで……ああ、さすがにルカ様には渡されていないご様子ですが」
当たり前だ。この国の何処を探しても、こんなくだらないアンケートをルカに手渡せる人間はいないだろう。
「くだらねぇ…オレはこんなモン知らねーよ。おめぇ適当に書いとけ」
女というのは本当に何を考えているのか。国境付近では小競り合いが続いており、いつ戦争に突入するかわからないといった状態だというのに、全く持ってお気楽なコトである。だが。こんな鬱蒼としたご時世だからこそ、彼女たちにとってはこういった他愛のない息抜きみたいなモノが必要なのかも知れない。
女心に疎いシードはさっぱり理解できないといった様子で、手にしていたアンケート用紙を弾くようにして机に落とした。
「……ジル様も一枚噛んでいらっしゃるとの事ですから、ご自分で書かれた方がよろしいかと。それに私も同じアンケートを貰っておりますので、同じ筆跡で二枚提出するのはどうかと思いますが?」
云いながらシードが落としたアンケート用紙を拾いあげて、もう一度手渡す。げっそりした顔でそれを再び受け取って、シードは机の上に転がしてあった万年筆を取り上げた。
ジル様もお堅い皇女様だと思いきや、何気に普通の少女だったらしい。皇女様が一枚噛んでいるのならば書いて提出しなければさすがにまずいだろう。
「オレこういうの苦手なんだよなー。何書いても文句云われるんだぜ、きっと」
だいたい『理想の相手』なんてものは、好きになった相手が『理想の相手』なのだ。どんな人?……などと訊かれたところで明確な答えがでるわけがない。それに『今の恋人はどんな人?』なんて訊かれても、正直に答えられるワケがない。まさか『銀髪で厳つくていつも眉間にしわを寄せてる、説教好きの男の人』だなんて書けやしない。……シード的には別に書いてもいいのだが、クルガンは怒り狂うと思われるので。
「適当に書かれれば宜しいのですよ。適当にそれらしい事が書いてあれば、それで彼女たちは満足するのですから」
「その適当ってのが難しいんだっつーの。あー、面倒くせぇ。こんなモン書くんなら始末書書く方がよっぽど楽だよなぁ」
「…………その発言はどうかと思われますが」
いくらなんでも始末書と一緒にされたら作った女性陣が気の毒だろう。
本気で悩んでいるシードを余所に、クライスは決済済みの書類を集めて枚数を数えていた。それを横目に、シードはクライスに向かって手を差し出した。いきなり自分に差し出された手のひらに、クライスが微かに首を傾ける。
「何です?」
「涼しい顔してるっつーコトはおめぇ、自分のは記入済みなんだろ。見せろ」
その言葉にクライスはニッコリ微笑んで、
「嫌です」
と短く云った。当然である。丸写しされるのが判っていて見せるはずがない。予想通りの返答だったのかさして落胆もせずに、シードはちっと軽く舌打ちした。
「やっぱダメか……くっそ…どうすっかなぁ…」
ブツブツと呟きながら、シードは机に肘をついて頭をのせる。そうして5分くらいたっただろうか、何かを思いついたのか突然椅子から立ち上がった。硬質な床と椅子の足が勢い良く触れ合って、結構な音をたてる。それに驚いて、クライスはシードの方に視線をやった。
「……シード様?」
「コレ、クルガンのトコにも勿論いってんだよな?」
「ええ…アーキスがお渡ししている筈ですが…」
聴くが早いが、シードは自分のアンケート用紙を元通りに四つ折りにして懐に入れた。そうして開け放たれていた後方の窓からいつも通りに木に飛び移ると、クライスに向かってひらひらと片手を振った。
「ちょっとクルガンのアンケート覗いてくる。あんま遅くなんねぇと思うけど、もしアレだったら鍵閉めて帰っててもいーぞ?」
自分の云いたいことだけ云って、シードはさっさと行ってしまった。
クライスは彼を呼び止めようと声を発しかけて、やめた。今日分の仕事はもう終わっているので、このままシードが戻ってこなくてもなんら問題はない。本当は終業にする前に明日の予定を確認したかったのだが、呼び戻してまで確認するような重大な予定は入っていないのでまぁいいだろう。
それにしても。
「……一体何度云えば、窓から出入りなさるのを止めてくださるのやら」
開け放たれた窓とそこからのぞく大樹を見つめて、クライスは軽くため息を吐いた。
「何度云えばわかるんだ、お前は。そこは出入り口じゃない」
窓際の樹木を登って窓から入ってきたシードを出迎えたのは、苦々しいクルガンの声であった。
「この間そっちから入ったら怒ったじゃねぇか。おめぇはオレに一体どうすれっつーんだよ」
「そんな事は……」
手元の書類から顔を上げて、クルガンは眉をひそめた。
「云った。オレがドア壊したって、おめぇ、えらい小言云ってただろうが」
云われてみれば、確かにそんな事を云ったような気もする。が、小言と云われるのは心外だ。
クルガンにしてみれば、当然の事を云っただけなのだから。
元々ギシギシ音はしていたのだが、近いウチに直そうと思っていた所を再起不能なまでに壊してくれたのはシードである。蝶番がいかれて立て付けが悪くなっていたところを、何を思ったのかシードがもの凄い力で開けたらドアが外れてしまったのだ。
ドアが外れた時のあの鈍い音と笑って誤魔化そうとしたシードの顔を思い出して、クルガンは小さく吐息を漏らした。
「俺は、ドアの開け閉めは静かにしろと云っただけだ」
とりあえず訂正はしてみたが、なにやら捜し物をしているらしいシードはまったく聞いちゃいない。クルガンの机の端に重ねてあった決済済みの書類をとりあげて、目的のモノがないかチェックしている。
「……シード、何を探している?」
「あー?いや、ちょっとな……ホラ。アレだ…」
書類の束の中には彼の捜し物はなかったようで、今度は副官の机の上を引っかき回している。振り返らずに声を返した。
「『アレ』ではわからん」
「だから、アレだ。女共から回ってきたヤツ」
女性達から回ってきた物で、書類。その言葉にクルガンは自分の手元に視線を落とした。そうして、まだ記入途中のそれをシードに見えるように持ち上げた。
「お前が云っているのは、これの事か?」
「コレってどれだよ……」
云いながらクルガンの方に目を向けて。
「おー、ソレ!ソレだよ、オレがさがしてたのは」
クルガンの手に目的の物を見つけると、シードは嬉しそうに彼の机に歩み寄った。クルガンの手からアンケート用紙を取り上げて、それを読み始める。
特に読まれて困ることが書いてあるわけではないから別に良いが、何か一言くらいあるべきではないだろうか。クルガンはもう一度、深々と吐息を吐いた。その時。
「……って、オイ!!クルガン!!」
やたらとでかい声で名前を呼んで、シードは手にしていた紙を机の上に叩きつけた。
「…………なんだ。至近距離でいきなり怒鳴るな、耳が痛い」
「コレはなんだ、コレは!!理想の結婚相手、『聡明で口数の少ない年上の女』ってのは、誰のコトだ!!?」
問題の設問を指さして、シードが怒鳴る。
「誰でもない。『理想』を書けと云われたから書いたまでだが?」
シードがいきなり怒鳴りだした訳がよくわからずに、クルガンは訝しげに答えた。が、その答えがまた気にいらなかったらしく、シードは違うとばかりに片手で自分を指さした。
「誰でもねぇって、オイ!おめぇの『理想の相手』は目の前にいるだろーが!!」
「……………………」
沈黙。
いきなり何を言い出すかと思えば、この発言である。一瞬眩暈がして、クルガンは自分の額に指をやった。
「……………『私の理想の相手はシード将軍です』とでも書けと…?…できるか、馬鹿者」
「なんでオレがバカなんだよ!それじゃ何か、おめぇはオレじゃ結婚相手にゃ役不足だってか!!?」
役不足とかそういう問題の前に、自分達じゃ結婚すらできない事に気付いているのか、いないのか。
だいたい、自分で先程「私の恋人は『銀髪の〜』なんて書けるわけがない」と考えていたくせに、いざクルガンが自分と全く正反対の理想像を書いているのを見たらコレだ。クルガンじゃなくても、ため息の1つも吐きたくなる。
「そういう問題じゃないだろう……ただの『理想』だ。こんな女が実際にいるわけでもないのに、ガタガタ騒ぐな」
その『理想』が問題なのである。百歩譲って『聡明』と『口数が少ない』までは努力できるとしても、『年上』で『女』と云うのは自分ではどうすることもできないのだ。まぁ、努力するつもりは更々ないからどれも一緒なのだが。誰がどう客観的にみたとしても、クルガンが書いた『理想』の相手と自分では天と地くらいの差があるだろう。
うー、とシードが低く唸った。
「気にくわねーっ」
「こんなくだらん事で拗ねるな。女子供のお遊びだ、真剣に考える方がどうかしている。……男として度量が狭すぎるぞ、シード」
「いーや!おめぇ、9割方本気だろ!」
机に手を置いたままで、シードは上目遣いにクルガンを睨み付けた。
どうやらバレバレのようである。確かに本当にこういう女だったら楽だろう、という理想を書いた。だが、現実とは往々にして理想通りにはならないワケで。自分がまがりなりにも「つき合っている」相手は、理想とはかなりかけ離れた目の前の赤毛の男なのである。
「いい加減にしろ、子供かお前は」
云いながら、机の上に叩きつけられたままの紙切れを手前に引いた。さっさと書いてしまおうと、ペン立てからペンを抜く。
その様子を見ていたシードは、しばらく考えてから渋面で云った。
「………わかった。んじゃせめて『強くて明るい赤毛の人』って書け」
これが彼の精一杯の妥協点だったらしい。が、
「書けるか。寝言は寝てから云え」
にべもなく一蹴されてしまった。
「くっそぉぉー!!おめぇ最近オレへの愛が足りねぇぞ!!?」
拳を握って、シードはわめいた。
シードの言葉に、クルガンは紙切れから顔を上げて口の端を引き上げた。
「ほう、奇遇だな。俺もこんなくだらん事で大騒ぎする、お前の『愛』とやらが見えんと思っていたところだ」
「……っ!!」
1云えば3になって返ってくる。シードはくっと唇を噛んで、がしがしと頭をかきむしった。
「はいはいはい。わかった、よーくわかった。俺の愛が足りてねぇから、おめぇの愛も見えねーんだな?」
やけっぱちのように云って、机越しにクルガンの方へ身を乗り出す。それからクルガンの襟元に手をやって彼を自分の方に引き寄せて、引きつったような笑みを浮かべた。
「見せてやろうじゃねぇか、オレの溢れんばかりの愛ってヤツを」
「光栄だ。それでは、お前の『溢れんばかりの愛』とやらが確認できたら、この文面を考慮してやろう」
多分、無理だろうが。そう続けて、クルガンはニヤリと笑った。
その余裕の笑みがまた腹立たしくて、シードは掴んでいたクルガンの上着を乱暴に離した。
「くーっ!そうやって余裕こいてられんのも今のウチだからな!覚悟しとけよ!?」
踵を返すと、床を踏みならすようにしてシードは今度はちゃんとドアの方に向かった。
ドアノブに手をかけて、クルガンの方を振り返る。
「ほら、さっさと移動だ!移動!」
急かされて、クルガンはやれやれとばかりに腰を上げた。机の上の紙切れを四つ折りにして懐にしまって、律儀に座っていた椅子を机の方へと押した。
そうしてシードの方へと行きかけて、窓が開けっ放しなのを思い出し、それを閉めるために窓の方へと足をやる。両開きの窓に手をかけて、クルガンは微かに笑いを漏らした。
随分と意気込んでいるようだが、どこまであの威勢が持つことやら。なんにしても、今日は楽しませて頂けそうである。
「あーもう。何タラタラしてんだよ、早くしねぇと先に行っちまうぞ!」
苛立たしげなシードの声。それにまた少し笑って、クルガンはカーテンを引くと踵を返した。