Snow
「くっそ〜!寒い!寒い、寒い、寒い、さーむーいー!!」
云っても仕方のないことを大声で叫んで、シードはひどく面白くなさそうにその場に座り込んだ。
刺すような冷たさで吹く冬の風を少しでも防ごうと、外套の襟を片手で隙間無く合わせて上目遣いで空を見上げる。その瞳に、空から舞い降りる白いモノを認めて、シードは大きなため息を吐いた。
雪が、降っていた。
冷たい鉛色の雲に覆われた空から、音もなく静かに白い雪片が赤茶けた大地に落ちてくる。
雪は柔らかく音を吸い、とうに葉を落とした周辺の樹木や僅かに枯れた雑草の後が残る大地を薄墨色にぼかしてゆく。
シードが外に出てきた頃からやむことなく降り続いている白い乱舞。
見ているだけで凍ってしまいそうな冷たさを含んで、しんしんと雪はゆるやかに降りつもる。
愛用の剣を片腕に抱き込んで、シードはいまいましそうに空を睨んだ。
睨んだところで鈍色の空が返事を返してくれるわけでも無し、ましてや雪が降り止むなんて事は絶対にないのだが、空でも睨んでいないとやっていられない心境なのだろう。
「なんで年明け早々、オレがんな所で立ってなきゃならねぇんだよ!くそっ!」
誰に云うわけでもなく言葉を放って、シードは寒さに肩をすぼめた。
年明け早々。そう、本日はいわゆる「元旦」というやつだ。
彼の背後に立つ荘厳なハイランド城の中では、王族、貴族、軍上層部などが集まって華々しく新年会なんぞを繰り広げているはずである。まがりなりにも「将軍」であるシードも本来ならばその中にいるはずなのだが、何の因果かもうやることがなかったはずの城門警備の為に、冬の風吹きすさぶ外に一人寂しく立っていた。
彼が将軍にまでなって城門警備なんぞをしているのは、昨年末にルルノイエ地方にて猛威をふるった「風邪」のせいだ。
医者曰く「ハイランドでは見たことがない風邪」は、どうやらハルモニアの方から持ち込まれたものらしい。そう云われてみれば、昨年の初冬にかけて来たハルモニアからの客人や商人達は揃ってげふんげふんとやっていた気がする。
持ち込まれた風邪は比較的体力の乏しい入隊したての兵士達を中心に広がり、その結果警備兵の数が圧倒的に足りていないのだ。まさか高熱とひどい咳で寝込んでいる者を無理矢理外警に立たせるわけにもいかないので、風邪を引いていない人間、もしくはもう引いたけど治った人間、そして比較的症状が軽い人間が外警にかり出されているのである。
もちろんシードは一番最初の「風邪を引いていない人間」に該当するので、一番寒い城門の警備……しかも裏門の方に回されてしまった。同じ城門でも正門の方は二人でたつので負担が多少軽いが、裏門は普段はほとんど使われる事がないので一人で立つことになっているのだ。
しかしまぁ、仕方のないことだと思えば仕方のないことだ。
なんと云っても、まだ風邪を引いていないということは「ぶりかえす」ことも「もっとひどくなる」こともないのだから。
………この際、「これが原因で風邪を引いてしまう」という考えは無視のようである。
それでもまぁ、国境警備に回されなかっただけまし……なのかもしれない。
背後から聞こえてくる喧騒と、目前に広がる静寂。
自身の頭部に降り積もった雪を首を左右に振ることで払って、シードは小さな嚔を一つした。
「あぁもう、寒いなオイ」
軽く鼻をすすって、赤くなった手を擦り合わせる。手袋を持ってくるのを忘れてしまったのだが、一人での警備のために取りに戻るわけにもいかない。外警なんて本当に久方ぶりだったし、雪が降ったのもずいぶん久方ぶりだったので、外の寒さをいささか甘く見ていたようだ。
風邪を引かなかった自分の頑丈さをいっそ恨めしく思いながら、シードは濡れて重くなった前髪を掻き上げた。
白い息を吐きながら、首筋や袖口から入り込んでくる細かい結晶にますます身を縮めて。
「だから寒いって云ってんだろうがよ!!」
シードは再び同じような言葉を繰り返す。何度「寒い」と云ったところで、暖かくなるわけではないのだから誠に無駄な行為だ。
音もなく降りしきる雪。何もかもをただ白く塗りつぶすのが目的であるかのように、ただ静かに降り続いている。
それをしばし黙って見つめて、シードはいいかげんにキレたのかひときわ大きな声で云い放った。
「……だいたいな、新年一発目から裏門になんか誰も来やしねぇんだよ。半日くらい誰もいなくたって何の問題もないって、絶対!!」
…………そう云うことで俺は帰る!
と、続けようとして。
突然背後から、ぱかんと後頭部を叩かれた。
「なっ!?」
叩かれた箇所を片手で押さえて、シードは後ろを振り返った。外套に包まれた長い足が、目にはいる。足を見ただけで誰かがわかって、シードは顔を上げた。
「ってぇな!何すんだよ、いきなり!」
「……お前が悪い。新年早々、何を考えているんだお前は」
見上げれば、そこにはやはり予想通りの人物が苦い表情で立っていた。彼が通常着ている服と同じように、白と黒を基調とした外套を身に纏って、手には何やらバスケットのような物を持っている。
「ほっとけ!おめぇも、このくそ寒い中でぼけっと表につったてりゃ俺の気持ちがわかるっつーの」
苛ただしげにシードが云うと、クルガンは口の端で小さく笑って肩をすくめた。
「すまんが俺には「ぼけっと立っている」なんて事はできないから、お前の気持ちは理解してやれそうにない」
その言葉に、シードはじとっとクルガンを睨み付けた。
「……新年早々感じ悪ぃな、おめぇはよ」
「褒め言葉として受け取っておいてやる。……そんなことよりも、ほら」
云いながら、バスケットとは別に持っていた手袋をシードに向かって差し出した。それを見て、シードは破顔した。赤く悴んだ手を伸ばして、茶色の革手袋を受け取る。ポケットの中にでも入れてきてくれたのか、手にはめるとほんのり暖かかった。手袋を手にはめて、手首の位置にあるボタンを留めているとずぼっと頭に何かはめられる。耳に柔らかい毛の感触を感じて、シードはクルガンに向かってにかっと笑った。
「ずいぶんと気が利くじゃねぇか」
バンドをずらしてイヤーマフの位置を調節してやりながら、クルガンは呆れたような表情でシードを見た。
「お前の底が浅いんだ、馬鹿者。どうせ薄着で出ていったのだろうと思って一応の用意をしてきてみれば、案の定だ」
「んな事云ったって、オレが出てきたときはまだ雪は降ってなかったんだって」
「雪が降ろうと降るまいと関係ない。冬にそんな格好で表に出てくるところがすでにおかしいんだ」
「外警なんて随分やってなかったから、黙って立ってるのがこんなに寒ぃと思わなかったんだよ。これで身体でも動かしてりゃそんなに寒く感じねぇんだろうけどな」
確かに、黙って立ってるのは動いているよりもずっと寒い。しかもご丁寧に雪まで降っているので、黙って立っていると頭上に肩にと積もってゆき、寒さがさらにこたえる。だが、身体を動かせば暖かくなるからといって、人気のない裏門で剣の素振りや腕立て伏せをやるのもどうかと思われるところだ。
「ところで、おめぇはもう当番終わったのか?」
手袋とイヤーマフを貰ってひとごこちついたのか、シードは思い出したようにクルガンに訊ねた。
クルガンは「何を今更」と言いたげな表情でシードを一別すると、シードの横に腰を下ろした。
「交代もせずに俺が持ち場を離れるか。本来ならもう少し時間が残っていたが、交代が早めにきたのでな」
クルガンは手にしていたバスケットを開くと中からステンのポットとカップをとりだした。ポットには保温用の布が巻かれており、注ぎ口からは暖かそうな湯気が立ち上っている。
「ほら」
シードの手に取りだしたカップを握らせると、クルガンはポットを傾けて中の液体をカップに注ぐ。琥珀色の液体がカップに満ちて、深い香りのする湯気がシードの顔にかかった。
それを一口すすって、シードは満面の笑みを浮かべた。
「美味い……」
頬を赤くして幸せそうにカップに口を付けるシードを見つめて、クルガンが柔らかく笑った。
「喜んでもらえて幸いだ」
自分の分も注いでポットをバスケットに戻すと、今度は紙でくるまれた包みを取り出してシードに差し出す。小首を傾げてカップを地面に置いて、シードは受け取った包みをがさがさと開けた。中から出てきたのはサンドイッチだ。
「どーしたんだ、おめぇ。何か親切すぎて気味が悪ぃぞ?」
うろんな目つきで自分を見るシードに、クルガンはさも心外だといったようすで片眉をあげた。
「気味が悪いとは、お言葉だな。食べないなら返してくれてもかまわんぞ」
「誰も食わねぇとは云ってねぇだろ。食う、食うって、ありがたく食わしていただきますー」
返せとばかりにサンドイッチの包みにのばされた手を遮って、シードは一切れ口にくわえた。結構な大きさのサンドイッチを二口で胃に収めて、地べたにおいたカップを手に取る。
「丁度ハラ減ってたんだ、助かったぜ。……これで酒があれば完璧だったんだけどなー、クルガン」
クルガンは軽く握った手で、コツンとシードの額を叩いた。
「調子に乗るな、馬鹿者。どこの世界に酒を飲みながら城門警備する兵士がいるんだ」
「へいへい。云ってみただけだよ。……しっかし、質素な正月だよなぁ……。飲めや歌えの大騒ぎ…とまではいかなくてもいいから、もちっと新年らしい雰囲気を味わいてぇ…」
確かに、真冬のおもてでコーヒーとサンドイッチじゃ、正月気分とはほど遠い。
シードの意見は至極もっともだったので、クルガンは苦笑した。
「同感だ。まぁそう腐るな。部屋に戻ったら酒につき合ってやる」
クルガンを横目で見て、シードは意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「そりゃ楽しみだ。おめぇが後生大事に隠してた例の酒、やっと飲ましてくれんのか」
「……仕方のない奴だな」
冗談で云ったのに、どうやら本当に飲ませてくれるらしい。
「ホントに飲ましてくれんのか?どういう風の吹き回しだよ」
「……新年早々、貧乏くじを引いたお前への労いだ」
笑いながら云って、クルガンは自分の手の内にあったカップに口を付けた。話をしているうちに大分冷めてしまったようで、温くなっている。手を伸ばしてシードの抱えているサンドイッチを一切れ手に取ると、温くなったコーヒーと共に口に運ぶ。
もう一切れ貰おうかとシードの方を見て、クルガンは軽く吐息をついた。
「あんだよ?」
サンドイッチで口をもごもごさせながらシードがクルガンを見やる。その視線を受け止めて、クルガンはサンドイッチに伸ばしかけていた手をシードの口元へとやった。
親指の先できゅっとシードの口元についたバターを拭って、クルガンは呆れたように云う。
「手の掛かる子供だ」
「うるせぇよ……、って人のこと云えねぇだろ。おめぇもついて…」
目ざとくクルガンの唇についていたバターを見つけてシードも手を伸ばしかける。が、そこで何か思いついたのか、それとも思い出したのか、動きを止めた。
「シード?」
抱えていたサンドイッチの包みを膝に、持っていたカップを再び雪の上に戻して。
シードは身を乗り出してクルガンの唇についたバターを自分の舌で舐めた。そうして、そのまま深く唇を合わせる。ひじょうに珍しいシードからのキスに、一瞬驚いたもののクルガンも積極的にキスに応じた。
ひとしきりキスを交わして唇を離すと、シードはにこっと笑って云った。
「明けましておめでとーございます」
云われてみれば、今年最初に会ったというのに挨拶をしていなかった事に気がつく。人手が足りないせいであっちへ行ったり、こっちへ行ったりしていて暮れの挨拶もろくにした記憶がない。親しき仲にもなんとやら、新年の挨拶ぐらいはやはりきちんとするべきだったか。
「明けましておめでとう。今年もまぁ、面倒をかけられると思うがよろしくしてやる」
あんまりと云えばあんまりな挨拶に、シードは憮然とした顔をした。
「どうしておめぇはそうなんだよ。人がおめぇの心遣いに感動して折角、新年明けましての初ちゅーをしてやったのによ」
「それは悪かったな。それじゃあ俺はこの礼に、部屋に戻ってから奉仕させて貰うとしよう」
何を奉仕してくれる気なのかと一瞬考えて、該当する事項は一つしかないことに気がつく。寒さからか照れからか、顔をほんのりと赤くしてシードは笑いをたたえるクルガンの目から顔をそらして、いささか大きな声をあげた。
「……………いらねぇよっ!」
シードの態度に声を立てて笑って、クルガンはシードの頭にうっすらと積もった雪を払ってやった。
こういうつき合いになってからずいぶんたつというのに、まだまだ純情なようである。この調子だと今年も一年、なかなか楽しませてもらえそうである。シードが聞いたら、怒りだしそうなことをクルガンは考える。
交代はまだもう少し来そうにない。
先程よりもまた少し寒くなったような感があるが、もう少しシードをからかって遊ぶのもまた一興。と、そんなことを考えながらクルガンは鈍色の空を見上げた。
雪は、まだ止みそうにない。