そこらにあるもんで、その時どきのもんで・・・
手前はそばの花 |
美山は京都市内から車で1時間半ほど北の山里です。 峠一つ越えると川はもう日本海に向かって流れるのです。 箱庭のように可愛らしくみえる美山北集落に民宿が3軒あります。 3軒とも定員が10数人、季節メニューが「地鶏のすき焼き」であることも、 同じです。でも、それぞれのお味があるそうです。 お世話になった「久や」さんではすき焼きぬきの田舎料理をお願いしました。 シーズンオフでお客は私たちだけでした。 「いい水菜が採れたから」とサクサク生で食べたい水菜と豚肉と、 しみじみ美味しい地元のお豆腐の水炊き、茄子のしぎ焼き、ゴマが香ばしい キュウリもみ、野菜のてんぷら、煮豆、ぜんまいの煮もの。 素朴な料理・・どれにも、水菜は水菜の、キュウリはキュウリの、茗荷は茗 荷の清らかな香りと味がありました。 「久や」を切り盛りしているのは83歳のお母さんです。 学校の先生だった息子さんが退職後手伝っています。 お母さんは料理を一手に引き受けているだけではありません。 庭先の畑で野菜を育て、柚子や橙でポン酢を蓄え、キューと美味しい沢庵を 漬け、柿の葉や笹やオオバコをブレンドしたやさしいお茶をつくります。 |
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夕食のあと(片づけを手伝いました・・そんな雰囲気)、お母さんは「正座できんようなりましてん」と、 炉辺にぬいぐるみのように足を投げだして座って、いろいろお話をして下さいました。 山間の過疎地に30棟のかやぶきの家が残っていました。それが平成5年に重要伝統的建物保存地区に指定さ れ、雑誌などて紹介されると、他所から人が来るようになって、3軒が民宿を始めました。 それ以外の家も年寄りだけの家族では余ってしまう作物を道路で無人販売をするようになって、楽しみが増え 元気になったそうです。 春には集落のみんなで一年分の草もち用のよもぎを摘み、一臼分ずつに小分けして保存しているそうです。 粟もトチの実も同じです。そういう共同作業も保存が決まって復活しました。 「そこらにあるもんで、その時どきのもんで。何でもできるんでありがたいですよー」といわれます。 なんていい言葉! そんな恵みを何のお手伝いもせずに頂けるのは本当にもったいないことです。 |
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かやぶき民家の一つが美山民族資料館になっていて、身近な材料、木や藁で、工夫され 使い古された農具や民具が展示されています。 80歳近いとお見受けする、かくしゃくとしたおばあさんが案内して下さいました。 写真は風呂場。丸竹の床を抜けた湯は地面に埋めた桶に溜まるようになっています。 風呂場の横は牛の部屋です。牛も人も一つ屋根の下に暮らしてたんですね。 牛のおしっこも土の床を流れて湯と同じ桶に溜まります。それを家の外から汲み出して 肥やしにするのです。感動的! 昔の暮らしはエコで合理的な知恵に満ちみちていたんですね。 |
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散歩の途中に、風の又三郎が転校してきた山の小学校がありました。(のような・・・ですけど) 小学校は都会から山間留学してくる子供たちがいて、かろうじて存続できているそうです。 街から来た子供たちは寮に住み、毎週木曜日に、交替で引き受けている一般の家庭に「ただいまー」と帰って きて一晩過ごし、次の朝「いってきまーす」と登校するのです。 美山の人々が、保存指定をきっかけに、本来の山里の暮らしぶりに立ち戻り、それを誇りに思い、多くの人に 伝えようとしていることををひしひしと感じました。 |
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民家の中、外は暑くてもひんやり |
美山にはお年寄りが目立ちます。 京都の北山から美山までずーっと、道中の山は北山杉におおわれています。 先祖代々、子孫のために植え継いできた宝の北山杉が今は売れないんだそう です。若い人は山の仕事で生活できないので、この豊かな山里を出て行かな ければなりません。 美山の魅力は「かやぶき民家」だけではなくそこにある人々の暮らしだと思 います。 おばあさんたちがお元気でなくなったらどうなるんでしょう。 若い人が帰ってきて美山を守って行くことができるでしょうか。 |
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山は北山杉 手前は粟畑 |
自然も変わってきました。鹿が人の数より増え、畑を荒らします。 原生林の下草をみんな食べてしまって、森がおかしくなっています。 温暖化で楢の木が次々に枯れて、これでは秋の紅葉が汚くなる、と、 「久や」のお母さんの話しです。 昼はミーン、ミンミンミンミー、 夕暮れにはカナカナカナ・・・、 まだセミが鳴いていました。 夜は虫の音が。 夏と秋の間の美山でした。 |
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