小形山では、十二天原と称して古くから遺物の出土する所として知られている。昭和39年(1964)中央自動車道建設工事事前調査として、仁科義男氏を団長とする山梨県中央自動車道考古学調査団が発掘調査を実施、関俊彦氏が縄文・弥生両時代にわたる配石遺構の存在を伝えてる。
 昭和46年(1971)12月には珍しい小型の獣面把手が採取され、翌47年(1972)3月には農道拡幅工事により、自動車の通行が可能になったため、地主が現状を変更する予定の由、伝聞したので教育委員会が都留文科大学考古学研究会に調査を依頼して発掘調査が行われ、縄文時代早期(B.C5,000年)の遺物と、縄文時代中期末加曽利E4式期(B.C2,500)に伴う敷石住居址1軒、その他配石遺構および学会の注目を浴びた耳飾をつけた縄文時代晩期の土偶が出土した。
 その後、昭和54年(1979)8月に中央自動車道四車線化工事に伴う緊急調査として発掘し、縄文時代後・晩期の住居址7軒、配石遺構、奈良時代の住居址2軒などが検出され、縄文中期の配石遺構に伴って人骨が3体分発見された、配石遺構。
 (アーチ橋はリニア実験線、隣の建物は実験センター、手前橋脚は、中央自動車道富士吉田線)
縄文時代晩期の土偶

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