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天洋丸について

天洋丸船団について

堺屋水産では、天洋丸(本船)、第三天洋丸、第五天洋丸、第十八天洋丸、第二十八天洋丸、第二天洋丸の6隻を所有し、さらに加工業者の船の幸栄丸を含め、7隻で船団を構成しています。
各船のトン数は以下の通りです。
船名 トン数 馬力
天洋丸(本船) 14 330PS
第三天洋丸 4.96 380PS
第五天洋丸 19.47 500PS
第十八天洋丸 17 350PS
第二天洋丸 17.1 500PS
第二十八天洋丸 4.9 250PS
幸栄丸 7 330PS

天洋丸(本船)のうつりかわり

5トン型天洋丸
5トン型天洋丸
(和船双手巾着網)
戦前から堺屋商店という屋号で、煮干の加工を行っていましたが、戦後より5トン型和船双手巾着網(小型2そうまき網)を行うようになりました。その和船が初代天洋丸
≪2そうまき網 操業図≫
左側の船が真網(まあみ)と呼ばれ、網を左舷につけ魚群に対し反時計回りに廻って囲う。
右側の船が逆網(さかあみ)と呼ばれ、網を右舷につけ魚群に対し時計回りに廻って囲う。
なぜ天洋丸という名を?! ・・・・
仲間の船が天○丸とそろって名付けたため、天洋丸とした、とのこと。
マイワシの大漁は1949年頃までで、この頃は稚魚を煮干に加工していましたが、稚魚は年間のうち2ヶ月程度しか取れませんでした。あとは鮮魚や飼料とするために、遠くは牛深、壱岐、平戸に基地を構え出漁していました。
15トン型第一天洋丸
15トン型第二天洋丸
(和船双手巾着船)
1963年には、第一天洋丸第二天洋丸を購入し、15トン型和船双手巾着網(中型2そうまき網)を始めました。
第一天洋丸:真網(右図参照)
第二天洋丸:逆網(右図参照)
そして灯船としては第三天洋丸、第八天洋丸がありました。
なぜ第八?!・・・・
八は末広がり。その後も第二十八号、第十八号と八のつく船が登場。
15トン型第二天洋丸 経費節減のため、2そうまき網は結局一年間の操業で終えました。翌年からは1そうまき網に変更し、第二天洋丸のみとしました。
≪1そうまき網 操業図≫







上記の操業図は
文部科学省「漁業」2001
に掲載されていた図をもとに作成致しました。
15トン型第二天洋丸
(2代目)
1971年、町内でまき網漁業を廃業した方から、15トンの船を購入し、第二天洋丸(2代目)としました。その後、12年間操業しました。
15トン型第二天洋丸
(3代目)
1983年、15トンの木船を購入し、第二天洋丸(3代目)としました。第二天洋丸は2001年に廃船するまで、18年間操業しました。
現在の
15トン型天洋丸
第二天洋丸の老朽化により、2001年に現在の天洋丸を購入しました。そして、今まで第二天洋丸という名で許可を受けていましたが、心機一転、天洋丸にすっきりと変更されました。
2001年6月9日
色とりどりの大漁旗をはためかせ、進水式を執り行いました。

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