長野電鉄木島線・・・正式には、河東線の一部の末端区間を指している。
しなの鉄道(旧JR信越線)の屋代を起点に、
松代、須坂、小布施、信州中野、木島を結ぶ河東線の、
信州中野〜木島間12.9kmを、”木島線”と通称している。

河東線の由来は、千曲川の東側を走ることから名づけられた。
信越本線の走る西側の発展に、追い付け追い越せで、
50kmを越える路線を、5年という短期間で河東線を全通させたのである。
かつて木島線は、自社特急2000系の”のざわ”や、
スキーシーズンには、上野、名古屋から、直通急行が乗り入れていた時代もありました。
しかし、近年、モータリゼーションから、乗客は激減。
残念ながら、2002年3月末の廃止が決定している。

長野電鉄は、早い時期から、東急5000系を導入していたことから、
ついぞ足が向かなかった路線の一つであった。
学生時代、主に吊り掛け電車を追い掛けていた私にとって、
下部の尾灯を潰した”赤ガエル”には、全く興味が湧かなかったのである。

時が流れ、いつしか長電の車両は、元営団の3000系に変わっていた。
おでこの広い特徴あるスタイルから”マッコウクジラ”と呼ばれていた。
思えば東京時代、上野-茅場町間を、ぎゅうぎゅう詰のこの車両に揺られ、通勤していた。
夏の暑い時期、床下抵抗器からの凄まじい熱気は、今となってはいい思い出。

長野オリンピックを期に開通した信越道を、一路木島へ快調に飛ばす・・・
その時の私は、親しかった”旧友”に会いに行くような気分であった。

長野電鉄 木島線最後の夏を、2001.8.14に訪問した際の写真で、ご紹介します。



 長野電鉄木島線 No.1