館内では、地元有志が撮影した62号の写真が8月31日まで展示されます。
じつは、”さよなら写真展”で展示した写真なんですけどね(笑)


真鍋社長をはじめ、琴電の皆様が一同揃って記念撮影。
右から2番目のお方が、鋼体車体の設計及び製作指揮を取った、元電車部長の高木亙さん


ことでん初の保存車両となった62号。
その美しい姿と素晴らしい展示環境には、感慨無量であります。

皆様もぜひ、62号に会いに来てくださいね!!


※さぬきこどもの国は、高松空港に隣接しており、無料送迎バスが出ています。
詳しくは、さぬきこどもの国HP参照のこと。



”お〜の”の主観。

今回の写真は、私が参加できなかったので、地元の”坪内氏”に撮影を御願い致しました。
素晴らしい写真をありがとうございました!

62号の表情。
なんて穏やかな顔をしているんでしょう・・・
乗客を安全に輸送するという重責から開放されて、ほっとしているんでしょうね。
これからは、こども達を相手にのんびりと隠居を楽しむ、といったところです。

先日、発刊されたJTB本、”琴電 古典電車の楽園”(著者:後藤氏)より、川波氏執筆の62号のエピソードを紹介します。

62号が鋼体化改造された昭和28年は、国体の主会場が志度線の屋島陸上競技場であった関係もあり、
国体開催に間に合わせるべく、62号は突貫工事で製作された。
湘南形電車80系のスタイルの全面2枚窓を採用、側面はこんぴら1号「10000形」のスタイルの影響が見て取れる。
竣工した62号の側面には、大きく”TKR”のロゴマークが入れられた。
昭和28年という時期を考えると、日本における「CI」のはしり・・・
といっても過言ではないだろう。

62号は設計から製作まで”一貫して自社直営で取り組んだ初の車両”で、設計者 高木亙氏(元電車部長)をはじめ、
鋼体化改造に携わった当時の琴電技術陣の心意気が伝わってくるような電車であった・・・
というわけで、62号は琴電にとって”特別な意味合いを持つ電車”なのである。

今だから言えることであるが、62号の保存は”綱渡り”であった。
というのは、現在長尾線で活躍中の”ことちゃん遍路号”導入に際し、
代替で廃車となる車両の解体費用が補助金に含まれる関係上、
62&67は新車導入と同時に廃車解体されるのが”決まり”だったのです。
(実際、67号はイベント終了直後に解体)

彼等の最後の花道を飾ってあげよう、と提案したのが地元先輩の”川波氏”
今里の”バーミヤン”で、62&67イベントの企画を持ち出された時、
こんなイベント出来るわけが無い!正直、そう思いました(笑)
その時は、62&67号がいつまで走る事ができるかも分からない状態でしたから・・・

しかし、旧型車を使ったイベントを模索していた琴電に”さよなら運転”の主旨を理解して頂き、
レトロ色の62&67さよなら運転をメインに、大正浪漫、レトロ体験!という、
”旧型電車を主題にしたイベント”が開催される運びとなったのです。

スタンプラリー記念ブック(無料!)、買収国電夢の併結や仏生山工場初公開。
”62&67さよなら”に花を添える、旧型電車総出演。
琴電の皆様の、並々ならぬご苦労により、イベントは大成功でありました。
また、地元鉄道ファン皆のボランティアによるサポートも、大きく貢献しました。

「日本最古の電車引退」「全国から鉄道ファンがイベントに参加」等々・・・
このイベントは、再建中の琴電のイベントということで、マスコミやメディアに大きく取り上げられました。
そこで、”香川県”の目に止まり・・・
この貴重な電車を、有効活用しながら後世に伝える事が出来ないものかと保存話しが持ちあがり、
紆余曲折を経て、7月12日の”62号披露式”、記念すべきその日を迎えたのであります。
62号を愛する人々の”熱意”が「行政」を動かした・・・と言えるでしょう。

多くの人々の”思い入れ”や”夢”とともに、62号が後世に残ると言う事の素晴らしさ・・・
この電車が”讃岐の宝”、”郷土の誇り”として認識された事が何よりも嬉しい。
写真を見ても分かる通り、展示施設、管理体制、有効活用の点では
日本でも指折りの”最良の保存形態”であると私は思います。

62号は”日本最古の電車”というけれど、改造だらけなので、保存する意味が無い。
と、思われている方もいるかもしれません。
しかし、その時代時代で”ベストの状態”で走り続けるためには、改造は必然的なものだったのです。
今、我々の前に存在する62号は、一週間限定の”有終の美仕様”ですね(笑)

また、台枠は製造当時のものであり、大正初期の木造車の台枠構造は、
産業遺産としての資料的価値が非常に高いものと思われます。
姿形は変われど、62号の”魂”は最後の時まで息づいていた・・・という証でもあります。

大正2年から平成14年の”89年”の長きに渡り、激動の時代を走り続けた功績は、
62号にとって一番の勲章であります。
琴電が最高の技術・整備で手をかけてきた”日本最古の電車”は、
”さぬきこどもの国”という安住の地で、永遠に愛され、語り継がれていくことでしょう。

62号保存に際し、御尽力された全ての皆様に心より感謝致します。
本当にありがとうございました!!

62号披露式 No.3