・雨の音しづかにききて夜の明けの安寝の妻をそのままにおく
私は、この妻の歌の多いのにあきれながらもこの終末の妻の二首を書き留めて、にこっと笑った。だが笑ったずぐそのあと涙がぼたぼた流れ落ちるのをどうすることもできないでいる。悲しいのではない。安田静雄の神のごとき大きな魂に引き込まれて感きわまったのである。
〈淡路の国語学者安田喜代門とふるさとを歌った安田静雄〉と刷り込んである『安田文法の文献と淡路残照の世界』―歌謡研究所載資料集―に載る東籬男(塚崎進)の「浪花短歌の誕生―安田静雄論―」 の一節である。
安田静雄には『上町台地』と『淡路残照』の二冊ある。「上町台地」つまり大阪上本町の台地の生活から書き起して安田短歌を語りつくして、安田静雄の人と作品を剔抉してくれた好論文である。塚崎論文に引きずられて一冊通読してしまった。本の間に謹呈の紙片が挟んであった。
地中海同人の皆様へ
歌碑再建のご通知、事後になりました事、謹んでお詫び申し上げます。この冊子にて替えさせていただきます。
《 安田武雄
安田ふさゑ
安田真清
平成八年九月三十目発行・編集、安田兄弟顕彰歌碑の会代表安田武雄と奥付はなっている。武雄氏は静雄の長男で、本書の結び《二》の中に次のように述べる。
「資料集作成にあたり、多くの方々のご協力を得ました。故郷・淡路関係の資料を提供して下さった田村昭治氏、地中海誌の調査と校正を賜った山村金三郎氏、父の評論の再掲載を快諾して下さった塚崎進氏、(略)本当に有難うございます。(略)伯父は中古(平安)時代の論考が多く、またそれ以前の上代についても研究した国語学者であり、古代研究者であったと思います。父は、兄を尊敬しながら戦前は神社に奉職、戦後は教員として平凡に生き、民俗学方面に著作があります。この書を伯父の十七年忌記念、父の二五年祭記念として捧げます。(略)」
順序が逆になったが、結び《一》を安田直清(喜代門長男)安田ふさゑ(静雄妻)の連名に記す。
「安田静雄の歌碑を再建(兄弟歌碑)して、約二年の歳月が経ちました。この度、関係者の皆様にお配りするこの資料集が、完成する運びとなりました。遺族と致しましても心が軽くなるとともに、ひとしお感慨深いものもあります。さて、安田喜代門が逝去して、早くも十七年が経過しました。誕生からは丁度百年であります。この度の発刊は、これを記念するものとなりました。(略)今回の冊子の調査方法を少し記して置きますと、それは静雄の蔵書が基になって居りますことです。殆どと言っていい程その中で発見し得た事です。
(略)主要な著書論文を列挙して見ますと、……
一、国語法概説と高等国語法 (中興館発行)
二、口訳対照古今和歌集 (中興館発行)
三、上代歌謡の研究第一、第二巻 (中文館発行)
四、古今集時代の研究 (六文館発行)
五、万葉集の真義(日本文学論纂)
(佐佐木博士還暦記念論文集所載・明治書院)
六、平安朝文法概説 (短歌講座第九巻所載・改造社)
七、中古の国語 (国語史学)
(国語科学講座第五巻所載・明治書院)
八、古今集の研究(和歌文学編)
(日本文学講座第六巻所載・改造社)
九、上代に於ける仮名遣い(特殊研究編)
(上代日本文学講座第三巻所載・春陽堂)
十、上代の方言区画(言語民族論叢)
(金田一博士古稀記念論文集所載・三省堂)
十一、勅撰和歌集の生まれ方(特に古今和歌集を中心に)
(国学院雑誌第六九巻四号所載)
十二、国語講座一〜三の語法学史(白帝社発行)
十三、万葉集の正しい姿 (明徳印刷出版印刷)
十四、国語の本質T及びU (明徳印刷出版印刷)
……かと思います。(略)振り返るならば古き時代も過ぎ去りつつあります。そしてまた、顧みられる事もなく終わるのが普通だと思いますが、世代を越えて菜領が残り、引き続き研究され、生き続けてゆくものもある様に思います。(略)遺著類の紹介が《目録》のみでありますが、将来の再発見と発掘の参考にして下されば、僅少の意義があるかと存じます。(以下略)」
別頁に文学博士安田喜代門の膨大な著書論説の概略が収載されてある。その資料保管の多くが弟静雄の蔵書である。「源氏物語を五十回通読した。みなそらんじている」が喜代門博士の自慢であったという。
さて、喜代門、静雄兄弟の出生地は兵庫県津名郡五色町鮎原という美しい地名である。両者共に国学院大学に学ぶが兄は国漠科卒業、教職の道一筋に歩み、大東文化大学、二松学舎大学、
国士舘短期大学と各教授を歴任し昭和五五年四月、東京武蔵野市にて没した。享年八五歳。
弟静雄は明治三八年生まれ。兄と十歳違いである。国学院大学神道部卒業、神職各社を経て中学校教諭となる。淡路の人形浄瑠璃の研究、俳諧の考察を重ね、自らも句作した。昭和三六年、地中海同人として参加、四〇年八月歌集『上町台地』を刊行した。地中海九十号で特集号を組み、阿部正路、西田長男、松田栄太郎、米田登他の批評が本書に転載されてある。
昭和四十六年淡路、河上天満宮に建てた歌碑は、五四年十月の台風十六号の集中豪雨で本殿うしろの山崩れにて流失、平成六年四月、「しきしまのやまとことばをきはめてそわが日の本のみちは知らるる 喜代門」「ほのぼのとい寝る夜ごとに父母の夢を見ているわれはうつそみ 静雄」の兄弟歌碑が郷里淡路鮎原の安田家の公園墓地に再建された。
「気の遠くなるほど退屈な海山と空の緑の色」と都会っ子の塚崎進は前記論文に記している淡路にはその後香川進、阪口保、椎名の歌碑も建った。遠い空に淡路の畠山が浮かんでくる。