サイクリング同好会夏合宿(1年次)
この合宿ではメンバーを4つの班に分けてそれぞれのコースを通り、
最終日に最終集合地(旭川)で4つの班が合流することになっている。
私は函館をスタート地点にするコースを選んだ。
この班は、1〜3年生まで各2名の6人編成で、
3年の2人は途中から参加することになった。
まずは夏合宿の心得でも見てみます?
函館に向かって・・・(8/16〜8/17)
2000年8月16日23時?分、大きな荷物を担いだ男が埼玉県大宮駅を北海道に向かって旅立った。
友人達と5人で夜行列車に乗り込み、ほとんどトランプをして過ごす。
朝飯を賭けてトランプ、馬鹿なことに徹夜であった。
結局勝利を収めることができ、朝飯をゲットした。
前夜の徹夜がたたり、次に乗る電車の中で寝に入る。
そして同じ鈍行電車に3時間以上ずっと乗っているという初体験をした。
しかし、5台の自転車とその他5人分の荷物は、他人にとってはそうとう邪魔だったろうな〜。
青森駅から青函トンネルを通る列車に乗り換え、函館へ。
函館には17日の夜に到着。そこで5人でラーメンを食う。
5人の中で函館から出発するのは私ともう一人だけなので函館で他の3人とは27日までお別れ。
TIS、函館に立つ(8/17〜8/18)
そして私達2人は函館駅構内で寝袋を広げて寝た。
驚いたのが私達以外にも同じような人が結構いたこと。
はっきりいって、駅で寝るのが普通だよと言う感じだった。
一応函館集合は19日だったので1日ヒマができるはずだったが、
2人の先輩も18日のお昼頃に函館駅で合流できた。
なぜか1日早く集合してしまった私達は、予定にはなかった函館山を登りに行った。
しかし、途中から自転車は入ってはいけないという看板があり、しかたなく、徒歩で登る。
頂上に着いてから30分後に、飽きたので下山。
その後駅に戻り、飯を食って適当に時間をつぶして駅で就寝。
合宿本番開始(8/19〜8/20)
前日にメンバーはそろっていたんで、予定より早めに出発。
とりあえず、近くにあったスーパーで食料の買い出し。
この荷物はもちろん1年が持つことに・・・。
「おい!油そんなに使わないだろう!!」と思いつつ、
先輩は2リットルはありそうな食用油や米などを買っていく(当然1年が持つ…)。
重い・・・。
今日は1日目ということもありコースは短めだったので、
まだ日の高いうちにこの日の宿、
函館ワールド牧場に到着。とりあえず、風呂に入りゆっくりと過ごす。
その後、飯の準備を開始する。飯の準備も1年の仕事。
(しかし、私の相方の1年はいままで1回も包丁を持ったことがないという
珍しい奴だった。したがって、その日から野菜などを切る役目は
私がほぼ独占するはめになる。)
米を炊いておかずをつくる。
この合宿ではなぜか肉を食うことが禁止されているので、おかずは野菜でボリューム感を
出さなければならない。したがって野菜炒めのようなものがおかずになることが多かった。
(この合宿でのおかずは「ごはんがすすむくん」にずいぶんお世話になりました)
作った飯を食べ、コッヘル等を片付けてからテントで就寝。
2日目の朝、再び米を炊く。今度は朝の分と昼の分を炊く。あと味噌汁を作る。
朝飯は米と味噌汁とふりかけ。昼飯は米と買っておいたシーチキン等の缶詰とふりかけ。
足りないと思うかもしれないが米をいっぱい食べるので一応大丈夫でした。
怒るおばさん(8/20)
やっと本格的に走ることになる。
ちなみに、1日の走行距離はだいたい100q弱ってところです。
この日は海岸線沿いをず〜っと走っていった。
向かい風が厳しく少々てこずったが、なぜか予定より15qほど先に進むことができた。
そして先輩がパーキングエリア(以後PA)で泊まろうと言い、近くのPAで自炊を始めた。
そして米を炊き始めてしばらくすると、PAの人らしいおばさんに
「ちょっと、あんたたちなにやってんの!!」と怒られた。
そして近くの(このPAが管理しているらしい)キャンプ場(ふるさとの丘キャンプ場)に泊まることになる。
米を炊いている途中で移動したので米は悲惨なことになっていた・・・。
でも、食わなきゃやばいので食う。
あ〜なんで先輩はあんなところで泊まるなんて言い出したんだ!?
おばさんも米が炊けた後か、炊く前に言ってくれれば・・・。
(迷惑をかけてしまったおばさん、すいませんでした。絶対見てないでしょうけど・・・)
飯を食った後、今後は泊まる場所に気をつけようという話をして就寝。
誰の趣味?(8/21)
この日はR5を走って行き、道の駅ニセコで道道66に移り、「羊蹄山の湧き水」に寄る。
そこでは、おじさんおばさん達が一生懸命水を汲んでいた。
私たちも飲み水を汲み出発。
次に「細川たかし記念像」を見に行った。先輩の趣味らしい・・・。
本来ならその像が歌うらしいが、その時は故障のため歌ってくれなかった。
その後R230→R276と通り、その日泊まる予定だった道の駅フォーレスト276大滝を通過。
そして少し先のキャンプ場を目指す。しかし先輩のミスコースにより、さらに12qほど先にある
支笏湖沿いのモーラップキャンプ場という所に泊まることになった。
支笏湖に映る夕日は綺麗だった。
ちょっと料金が高かったのが痛いが・・・。
バトる!(8/22)
カラスの鳴き声に起こされる。支笏湖沿いの平地を心地よく走った後、
「7%」の看板があったけっこうきつい峠をこえる。
そして札幌市内に侵入。大通り公園で昼飯を食っていると、3年の先輩2人が合流。
しばらくの間風呂に入ったり、洗濯したりしてすごす。
5時くらいになったとき、他の1つの班と合流することになった。
そこで始まったのが「ラーメンバトル」である。
ラーメンバトルはここのサークルの伝統行事のようである。
私もこのときまで知らなかった行事である
(このサークルには新入りに秘密にされている行事が多々ある)。
ラーメンバトルとは、煮えたぎったでっかい鍋にインスタントラーメンを入れて、
数人がスタートの合図とともにラーメンを取り合うという。
すさまじくミニクイものである。
なかには、これだけのために「パンつかみ」を持ってきている先輩もいた。
なかなか盛り上がったが、途中で雨が降ってきたので片付けて就寝。
め〜ろ〜ん〜(8/23)
この日から3年の先輩2人を加えて6人で走ることになった。
この日は眺めの良い平地をず〜っと走った。
しかし、信号もほとんどなく風景もほとんど変わらないので、途中から眠くなってしまった。
なんとか居眠りすることなく、予定通りの場所に到着。
そして近くの温泉に入りゆっくりとする。
夕飯のときになんと夕張メロンを食べる。しかも、3年生のおごりで!
うまかった〜。ごちになりました。
だまされた!?(8/24)
この日は600mアップの日勝峠を通るため、気合を入れて出発。
しかし、峠に着く前にゆるやかな上りが延々と続きずいぶんへばった。
そして峠でもゆるめの坂が延々とくねくね曲がりながら続いた。
途中で「6%」の看板があったがそれでもゆるく感じた。
峠をのぼりきったら下るのだが、車と同じがそれ以上のスピードで下ってました。
あとでスピードメーターを持ってる人に何キロくらい出てたか聞いたら、
50キロをこえてたそうです。自転車でもスピード違反になるんですかね?
そして、峠をおりてすぐの清水ドライブインで「牛トロ丼」なるものを食べる。
食べていると、そこの店長が話しかけてきた。店長の話では私達の向かう方向に
清水温泉というのがあり、そこでキャンプもできるとのこと。
しかし行ってみると「キャンプできますか?」「できません」「・・・・・・。」
結局温泉に入った後、約8q夜道を走ることとなった。
泊まれそうな場所がなかなか見つからなかった。
そして悪いとは思いつつ小学校の校庭に侵入し、そこで寝る。
峠を2つ、もっと行く?(8/25)
小学校に泊まった私達。警備員とかに見つかるとやばいだろうと言うので、
午前3時に起きて、準備をすぐに終わらせ出発。
この日は、白樺峠→然別湖→幌鹿峠と皆で「キツイ!」と言いながら登る。
幌鹿峠を下っていると他の班が登って来ているところに遭遇。
声援をおくってすれ違う(こっちは猛スピードで下っている)。
この日の泊まる予定の糠平に着いたのが午後1時だったので、25qほど先まで走ることになった。
1時間ほど仮眠をとって再スタート。
そしてだいぶ進んだところで、バス停の脇に空き地があったのでそこにテントをはることにする。
この日のおかげで次の日の距離を短縮することができた。
なにも見えん!(8/26)
実質的にこの日で走行は最後みたいなもの。
しかし、朝から雨が降り寒かった。
この日は三国峠をこえることになっていた。
朝飯を食い、雨具を身につけスタートした。
三国峠の景色、それは真っ白・・・。
霧が濃くって数メートル先までしか見えない状況でした。
展望台らしき場所についても全然景色が見えませんでした。
しかたなく下る。下りでは風がぶつかり寒い!
なんとか我慢して下りきる。
そして泊まる場所に着き、これで合宿も終わりだな〜と思っていたのだが・・・。
ジンギスカン、胃につめて(8/26(夜))
夕飯前に先輩はこう言った。「あ、1年。ご飯だけ炊いといておかずはうちらが作るから」
そして先輩達4人は怪しげな笑みを浮かべながら、スーパーに消えていった・・・。
そして始まったのが焼肉パーティ(焼肉バトル)だった。合宿の間は基本的に肉禁止であるが、
どうやらこれもラーメンバトルと並ぶ、伝統行事のようだ。
今まで肉を食っていなかったのだから普通は喜ぶはずだが、普通じゃないんです!
買ってきた肉の量がすごいこと。1人約1キロほどのノルマが課せられた(このサークルでは食物を残すことは厳禁なんです)。
そのときの状況は酷いものでした(笑)。なんか脂身ばっかりの肉が大量に・・・。
この間、私は2度ほどトイレに向かった。最後の方は肉のにおいをかぐだけで吐きそうになった(泣)
それでもなんとかあと少しのところまで食べた。
そして最後に残ったのが、ジンギスカン!「誰だこんなもの買ったのは!」
と思いながらもジンギスカンの肉を口に入れ鼻をつまんでろくに噛まずにお茶で流し込む。
こんなふうに肉を食べたのは初めてだった・・・。
結局全部食べきるのに4時間ほどかかった・・・。
旭川の悪夢(8/27)
この日は最終集合地の旭川で他の3つの班と合流する日。
朝はみんな食欲がなく、朝飯は抜きで出発する。
昨日のうちにだいぶ進んでいたので、すぐに旭川入り。
それで、昼飯にラーメンを食べようと、とあるラーメン屋へ。
「まずい!」こんなまずいラーメン屋とは初めて出会った。
(それでも、まぁ食べれるものだったので食べきったが)
運が悪い・・・。
その後集合場所のキャンプ場に向かう。
そこで久々に他の班と合流。
皆いい顔してましたね〜。いろいろ話したり、休んだりして夕飯になる。
夕飯は今日も先輩達が作った。定番のカレーである。
しかしちょっと多すぎないかい・・・?
先輩達はなんとも大胆な失敗をしてくれた!
なんと米を80合も炊いたのである。
その時飯を食う人数はたしか27〜28人。
つまり1人あたり約3合食べろというのである。
みんな食べた。がんばって食べた。そして、力尽きた・・・。
その日、2000年8月27日、初めてこのサークル内で食物が残された。
その後ちょっとだけ酒盛りがあった後に就寝。
解散、そして帰宅(8/28〜)
この日、朝飯を食べ、写真を撮って解散となった。
その後私は、友人3人と1日旭川でぶらぶらして、
それから帰ろうということになった。
おみやげを見て回ったり、昼飯食ったりしてすごした。
そして、今日泊まる場所を探そうということになった。
旭川駅には泊まれなさそうなので、
案内所みたいなところでカプセルホテルの場所を聞いて行ってみたら、
なんとつぶれていた。
なんとか安く泊まりたい私達は「いくつか先の駅なら泊まれるだろう」
と考えて自転車に乗って走り出した。
しかし、雨が降り出し途中で夜になってしまった。
暗い中ライトを点けて結構走り、旭川から3つ目の駅に到着。
その駅は無人駅だったので、そこに泊まることに決定。
そして次の日の始発から電車の旅が始まった・・・。
帰りは夜行が使えないので18切符を使い鈍行で帰った。
旭川からは函館、仙台で寝て、2日半かけて帰宅した。
つかれた〜
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