ピー、という機械音。
どうやら、お亡くなりになったようですね。いつ聞いても、断末魔のようで好きになれません。
「ちょっと! なになに、これで終わりなの!?」
札を回収に来て、僕のやっていることをこっそりのぞいていたらしいそらさんが抗議の声を上げる。
僕は今、数日前に札を預けた林原こうじの病室に来ている。連れてくる気はなかったのに、こっそりとそらさんが混じっていまして。さらに、のぞき見までするなんて、趣味の悪い方ですね、本当に。
「しっ、人がきます。とりあえず、戻りますよ」
僕は不本意ながらそらさんの腕をつかむ。黄色い淡い光が僕たちを包み込み、一瞬後には時雨堂へと到着。
「ちょっと、説明しなさいよ、羽深(はぶか)しぐれ!」
そらさんは僕をフルネームで呼び、掴みかかってくる。相変わらず手が早い人で困りますね。『彼女』が招き入れない限り、絶対に入れない人ですね。できたら『彼女』を説得して、今後一切、入れないようにしたいのですが、そらさんのことを気に入っているみたいで、どうやらそれは無理のようです。
「説明もなにも。ありませんよ。見たままです。あまりにもつまらないものに貴重な札を使ってしまったことに僕は今、後悔しているんです」
本当に、つまらない人生でした。現実ではうじうじと悩み、夢の中ではこれが理想だ、と言っていましたが。
新井がいないことで仕事がスムーズに進むのはいいのですが、最近では新井が絡んできた少しゆがんだ現実と理想の世界を好むお客さまが増えていまして、そちらは品切れ状態なんですよね。以前の商品は不良在庫と化してしまって、困っています。それなのに、肝心の新井はどこに行ったのか、最近ではさっぱり現れない。困ったことになってきました。
結局、そらさんの新井探しのお手伝いを不本意ながらしなくてはならなくなりました。
僕はお茶を入れ、そらさんに座るように促す。
「僕の仕事は、ご存知の通り、現実世界を生きるのが辛くなった人たちに白い札を配ることなんです」
「そんなの、嫌でも分かってるわよ。わたしももらったし」
そらさんはお茶を飲みながら、しかめっ面をしている。
「これ以上、なんの説明がいりますか?」
そらさんの不機嫌の原因が分からず、僕は首をかしげる。
「だって。あの林原とかいう冴えないおじさん、死んじゃったじゃない!」
「そうですが。なにか不満でも?」
僕の答えが予想外だったのか、そらさんは目を見開き、僕のことを汚いものでも見たかのような視線を向ける。
「林原さんが望んだ結末ですよ。あの人は、自分の理想の世界で生を全うすることを選択したんです。現実世界の肉体など、入れ物にすぎませんよ。必要ないじゃないですか」
「ちょっと! それ、本気で──」
「本気ですよ? 僕はいつだって真面目で本気です」
「信じらんない」
そらさんは泣きそうな顔で僕のことを睨みつけている。
「人はいずれ、死ぬんですよ。あなただって、このまま歳をとり、老いて──やがて死んでいく」
「そんなこと、分かってるわよ! だけど」
そらさんは唇をかみしめ、こぶしを握り締める。
「あの人は、末期癌に侵されていた。理想の世界から現実の世界に戻ってきたとしても、苦痛に満ちた余生しか残されていなかった。彼の選択は、正しかったのですよ。理想の世界で幸せのうちに生を全うする。いい選択ではないですか」
「あなた……本当に人間なの?」
「さあ? 僕は人間のつもりですが。そらさんが違う、と思うのなら……違うのかもしれませんね」
僕はそらさんの反応があまりにもおかしくて、くすくすと笑う。
そう。『彼女』も最初、同じことを言っていましたよ、そらさん。あなたもきっと、そのうち分かりますよ。
人生とは、どれだけ理不尽で、どれだけ不平等で──そして、どれだけ悲しいものなのか。
「ああ、そう言えば。津久井さんが買っていった札がどこかに行方不明なんですよね。そらさん、探していただけませんか」
「は? なんでわたし?」
「今日、あなたは僕に勝手についてきた。これは厳罰ものですよ。本来なら、あなたは苦痛に満ちた夢を毎晩見ることになるところですが。僕とあなたの仲ですし、なによりも『彼女』があなたのことを気に入っています。それに」
僕は一度、そこで言葉を切り、お茶を口にする。
「うん、今日も上手に淹れられました」
いい味に思わず笑みがこぼれる。
「あなたと僕の利害が一致していますからね」
「どういうことよ」
そらさんは硬い表情で僕を見ている。
「以前は先ほどの林原さんのような夢でも売れていたんです。しかし」
お茶を口に含み、口内をうるおす。僕らしくもなく、妙な緊張をしていますね。
「不本意ながら、新井が現れてから、札の売上がよくなったんですよ」
「売上? あんた、一体──」
「僕ですか? 時雨堂の雇われ店主、ですよ」
目を細めてそらさんを見る。そらさんは眉をひそめている。
「僕が慈善事業で白い札を配っているとでも思っていたんですか?」
そらさんは首を横に振っている。
そうでしょうね。あの白い札がどういうものか知っていれば、
「ただより高いものはない」
という言葉を実感できるでしょうから。
「僕は、白い札を無償で提供する。白い札を使用した人から回収して、黒い札として希望者に有償で提供する」
「仕入れをただでして、法外な値段でふっかけるって」
「そらさん、白い札を作るのは、ただでは済まないんですよ。それを無償提供している。そうして回収したものを売って、なにがいけないんですか」
そらさんのお父さまは貿易商をされているようですから、そのあたりはよくご存知だと思います。
商品を安く仕入れ、必要経費と利益を乗せて売らなくては生きていけないということに。
「商売の基本ですよ。文句を言われる筋合いはありません」
そらさんは口を開きかけ、視線を落として口を閉じる。
「津久井さんは僕の商品のリピーターだったんです。先日、お売りした札の代金を払う前に亡くなってしまったようで、お金を回収できていないんです。なので、札を回収に行きたいのですが、ちょっと僕も簡単に動けない事態になりまして」
「なんでよ。暇そうじゃない」
「失礼ですね。僕はこれでも、忙しいんですよ。最近では、新井が現れなくなったからか『彼女』が次々と白い札の希望者を引き寄せてくれるので、店を空けるわけにいかなくなっているんです」
そらさんは僕を睨んでいる。
名前の由来の美しい空色の瞳がきれいですね。
「津久井さんが買って行った黒い札は、全部で五枚。これをすべて回収してきていただければ、今日のことはなかったことにしてさし上げます」
「あんた、本当にいい性格してるわねっ! わたしがいない間に新井が現れたら、どうするのよ」
「ああ、それなんですけど」
眼鏡の蔓を人差し指で押し上げ、そらさんを見る。
「僕としては、新井がいると仕事がスムーズに行かなくて嫌なんですけど、彼のゆがめる世界は人気が高くてですね。ぜひとも出て来ていただきたくて。しかし、どうもそらさんがここにいると、現れてくれないんですよ」
「どういうことよっ!」
「そらさん、新井になにをしたんですか? あの人、相当あなたのこと、嫌っているようですよ」
笑みを浮かべ、そう告げると、そらさんの顔色が変わった。
「嘘よ……。わたしのこと、嫌い、だなんて」
「そうとしか思えません。あんな厚顔無恥な新井があなたがいると気配さえ感じさせないなんて。よほどあなたのことが嫌いだとしか思えませんね」
そらさんの反応が楽しくて、僕は喉の奥でくつくつと笑った。
いいですね、その絶望に満ちた表情。
「ということでそらさん。札の回収、頼みましたよ」
僕はそう告げ、カップに残っていたお茶を飲み干し、奥へと消える。
白い札、もう少し作っておきましょうか。
今度はどんな人が現れるのでしょうか。
楽しみですね。