『眠り王子─スウィーツ帝国の逆襲─』


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《第三話・どちらを選ぶ?編》一*戸惑い





 いちご狩りに、思わぬ外泊。
 この土日は妙に濃かったなと思いながら、白雪琳子(しらゆき りんこ)は穂刈(ほかり)駅からまっすぐにのびる道路を歩いていた。
 駅から徒歩五分。秋丸ビルの四階から八階にオフィスを持つ秋丸商事に勤務している琳子は、週明けの月曜日特有の空気を背負いながら、出勤していた。
 土日があまりにも印象深くてすっかり忘れていたが、金曜日にお局さまである溝部沙矢果(みぞべ さやか)とやりあったことを思い出し、さらに憂鬱さが増した。
 沙矢果のこともだが、それよりも野次馬根性のほかの社員の対応もしなければならないのかと思うと、天気がいいことも相まって、ぶらりと旅に出たくなってしまった。
 そう思っているうちに秋丸ビルにたどり着いてしまったので、その考えはすっぱりと諦めた。
 一階から三階は店舗が入っていて、営業は十時からなので、シャッターが降りている。この時間、四階に上がるためには裏へ回ってエレベーターに乗るか、非常階段を上るしかない。
 琳子はシャッターを一瞥して、裏へと回った。
 警備員に朝の挨拶をして、いつものように非常階段へと足を運んだ。

「よっ」

 一階から二階へ上っている半ば、聞き覚えのある声がした。琳子は足を止め、下を見ると、宮王子樹(みやおうじ いつき)が一段飛ばしで上ってきているところだった。
 引きつりそうになる顔に必死に笑みを浮かべ、琳子は朝の挨拶を口にした。

「おはようございます」
「おはよ。ゆっくり休めたか?」

 日曜日、樹と悠太の二人は琳子を家まで送り、昼を作って三人で昼食を摂った。食器の片付けは二人が請け負ってくれ、片付け終わると、二人は琳子の部屋を辞した。
 いなくなったことでほっとしたものの、やっぱり淋しさを覚え、それを忘れるためにたまっていた洗濯物を回し、掃除も念入りにしたことを思い出した。
 そのせいか、夜はいつもより早く床に就いたし、よく眠れたおかげでそこそこいい目覚めではあった。

「はい。おかげさまで」

 その答えに樹は安堵の表情を浮かべ、琳子に歩調を合わせて五階まで並んで上った。
 特に会話はなかった。
 琳子は踊り場で会釈をすると、樹は優しく頭を撫で、七階の営業部に向かって駆け上がっていった。

 別にセクハラ用語を連発する樹がいいわけではないのだが、まるで借りてきた猫のように大人しいことに、琳子は樹にどう接すればいいのか分からない。戸惑いながら更衣室に向かい、制服に着替えた。
 飲み物を用意して、琳子が席に座ろうとしたところ、例の話を聞かない後輩・大島鈴花(おおしま すずか)が声を掛けてきた。

「りんこ先輩、おはよぉございまぁす」
「おはようございます」

 鈴花の気の抜けた挨拶に、琳子はきっちりとした挨拶を返し、そっとため息をついた。

「金曜日は災難でしたね」

 触れてほしくない話題を出され、琳子は顔をしかめた。しかし、空気を読めない鈴花はさらに琳子の傷をえぐっていく。

「お局……っと、さすがの溝部先輩も社長に呼ばれてこってりしぼられたみたいで、合コンに遅れてきた上に、妙におとなしかったんですよぉ」

(そんな報告は必要ないわよ)

 と心の中で突っ込みを入れ、琳子は椅子に座って準備を始めた。
 それを見てもなお、なにかしゃべろうとしていた鈴花に琳子はぴしゃりと言い放った。

「大島さん、朝礼が始まりますよ。先週みたいに、みんなの前で怒られたいんですか?」
「やっ! そ、そんなことはっ」

 鈴花は名残惜しそうな空気を残し、しぶしぶと自分の席へと戻っていった。
 喉元過ぎればなんとやらというか、まったく懲りている様子のない鈴花に、琳子は呆れた。

 始業開始のチャイムが鳴ると同時に、月曜日定例の朝礼が始まった。
 年度が変わることから体制も変わること、新入社員も少ないが採用したこと、そういった連絡事項などが通達され、終わりとなった。

「新入社員なんて、楽しみですねー。どんなイケメンくんが入ってくるんだろうっ」

 朝礼が終わるなり、鈴花はそんなことを口にして、業務部全員に呆れられていた。

     ***

 終業のチャイムが鳴り、琳子は大きく伸びをした。
 鈴花のように遠慮なく金曜日の沙矢果との出来事と、さらには樹と悠太の二人とどうなったのか聞かれると覚悟をしていた琳子だが、まったくそれは肩透かしに終わった。
 もちろん、その方がいいのでほっとしているのだが、逆に鈴花以外が聞いてこないことが気持ちが悪いと感じていた。
 今日は取り立てて急ぎの仕事もないし、気持ちがいいほどすっきりと区切りがついたので、琳子は片付けをして、定時で帰宅することにした。
 更衣室で着替え、琳子は階段で降りる。

「琳子さん!」

 階上から声を掛けられ見上げると、悠太が笑みを浮かべて駆け下りて来ているところだった。

「わぁ、偶然にも琳子さんに会えるなんて、ボクはなんてラッキーなんだろう!」

 そう言われ、琳子は嫌な予感がした。

「ボク、今日一日、琳子さんのために頑張ったんだ」

 悠太はさらににっこりと笑みを浮かべ、琳子を見つめた。琳子は思わず、後ずさる。

「琳子さんの後輩ちゃんを黙らせるのは大変だったけど、琳子さんを煩わせるような人は来なかったでしょ?」

 その言葉に、興味津々の視線を向けられることはあったものの、静かに過ごせた原因を知った。

「な……んて、言った、の?」

 とんでもないことを触れ回ったとしか思えなかったため、なんと言ったのか知りたくて聞いた。

「んー、今は内緒」

 ふふっと楽しそうに悠太は笑うと、琳子の腕を取った。

「そういうわけで、琳子さんからご褒美をもらいたいんだぁ」

 悠太の甘える声に、琳子はしかめっ面をした。

「やだなぁ、琳子さん。せっかくのかわいい顔が台無しになるよっ」

 悠太は人差し指と中指で琳子の眉間に触れ、そこに出来たしわを引っ張って伸ばす。

「だれのせいだと思ってるんですかっ!」

 琳子はつかまれていない方の手で悠太の手を振り払い、ため息を吐いた。

「ため息をつくと、幸せが逃げますよ?」

 くすくすと笑う声に、琳子は肩をがっくりと落とした。

「琳子さん、ちょっと付き合って欲しいところがあるんです。用事が済んだら、教えますから、ね?」

 すがるような上目遣いに、琳子は諦め、小さくうなずいた。

     ***

 悠太は機嫌よさそうに笑みを浮かべたまま、琳子と並んで駅前まで来ていた。
 てっきり駅前のどこかに用事なのか、または電車に乗ってどこかに行くのかと思っていたのに、そのどちらでもなかったので疑問に思った琳子は悠太に質問をした。

「悠太、どこに行くの?」
「ほら、樹に免許取れって言われたじゃない?」
「えぇ、そうね」

 いちご狩りに行き、琳子も免許を持っていると知った悠太は時間を見つけて取りに行くと言っていたのを思い出した。

「琳子さんはどこの教習所に通った?」
「え……あぁ」

 琳子はそういえばと思い出した。
 免許を取ったのはずいぶんと昔だったから忘れていたけれど、教習所に通っていたとき、駅前から出ている送迎バスを利用していた。

「樹に聞いたら、合宿で取ったっていうから参考にならなくて。勤めながら通うとなると、駅前から送迎バスが出ている教習所が候補だなと思って、今日のお昼にその中の一つの教習所の見学を申し込んだんですよ」

 琳子が通っていたのは、昔からある教習所で、父の甘太郎が通っていたというところだった。免許を取った当時はまだ実家暮らしで、近くから送迎バスも出ていたし、父が通っていたのならそこでいいかと特に深く考えないで選択した。

「どこがいいのか分からなくて、見学してから決めようと思ってるんだ。それで、教習所に通ったことのある琳子さんの意見も知りたいから、一緒に見学に来てくれるとうれしいなー」

 これから先、教習所に通うのも一人なのだから、見学も一人で行けばいいのに、と琳子は思ったけれど、上目遣いの悠太を見ていると、断るに断れなくなってしまった。

「……ついていくのはいいですけど、今日だけですよ」

 そう釘を刺しておかないと、別の教習所の見学にも連れ出されそうだったので告げると、悠太は安堵したように笑った。

「ここだけでいいです。ありがとう」

 前だったら『嫌だ』と言ってばっさり切っていたと思われるけれど、琳子は樹と悠太の二人にとことん付き合って、最終的にどちらと正式に付き合うか決定することにした。だったら、極力、接点を持った方がいいのだろう。

 嬉しそうな悠太と送迎バスが来るという場所に並び、琳子は小さくため息を吐いた。