《第二話・楽しいいちご狩り編》九*転機
あれからすぐお風呂を上がり、布団に入った。眠れないかと思ったがさすがに疲れていたらしく、ぐっすりと眠ってしまった。
琳子は目が覚めて、だんだんと神経が太くなっていることを自覚した。
樹の背中の傷には驚いたけど、その後のアレの方が衝撃的で、思い出しただけで顔が赤くなる。
「……琳子がなにか思い出してる」
樹の冷やかしの声に反論しようとするが、顔を見るとアレやらコレを思い出し、恥ずかしさのあまりにうずくまった。穴があれば入りたいとはこういう状況を言うのだろう。
訳が分からないのは悠太だ。首をかしげて樹を見ると、
「後で教えてやる」
とにやけた顔で言われた。
「言わなくてもいいですっ!」
琳子は恥ずかしくて仕方がない。樹は当分これで琳子をからかえると分かったようで、楽しそうだ。
着替えは昨日、買った服にした。悠太は最初、昨日、自分が買った服を着てほしいと言ったのだが、琳子と樹が却下した。
「とっておきの時に着せないとあれは意味がないだろう!」
樹の反論はどうかと思ったが、帰るためだけに着るのはもったいないと思ったので、琳子は普段着にした。
「琳子さんは朝風呂はいい?」
と聞かれ、大きくかぶりを振った。入ると言ったら三人で、と言いかねない雰囲気だったのもあり、断った。
「そっか、残念。せっかくだから三人で入ろうと思ったのに」
予想通りの言葉に琳子はがっくりと肩を落とした。
「あ……」
悠太は三人でと言った後になにかを思い出したようで、樹に視線を向けた。
「ああ、心配しなくていい。琳子に見られたから」
「なんだ。……っていつの間に?」
「夜中に」
悠太は眉間にしわを寄せ、樹を見た。樹は昨日の顛末を悠太に話し始めた。
琳子は聞きたくなくて脱衣室へ行って、着替えることにした。
着替えて夕食を食べた部屋に赴くと、すでに朝食が用意されていた。ボリュームたっぷりの和食に笑みが浮かぶ。
食べきれるかと心配していたが、樹と悠太の二人は朝にも関わらずよく食べた。あれだけあった料理も、すべてなくなった。
「明日から仕事だし、帰るとするか」
不満そうな樹の声に琳子は笑った。
離れから正門に向かうと理恵が待っていて、見送ってくれた。三人は車に乗り込む。今日も運転は樹だ。眼鏡をかけた姿を斜め後ろから見て、琳子は胸の高鳴りを覚えた。
「そういえば、宿代は?」
琳子の質問に悠太が身を乗り出して答えた。
「うん、心配ないよ。もう済ませてきたから」
琳子はあわてて財布を出そうとしたが、樹と悠太に止められた。
「とにかく、俺たちと一緒に行動するときは金の心配はするな」
「でも……」
「知ってましたか、琳子さん」
いきなり悠太に言われ、琳子は首をかしげた。
「琳子さんと付き合うと決めてから、なぜか出費が減ったんですよ」
「なぜかもなにも、今まで、いろんな女に金をかけてたからな。それがなくなって、琳子だけになったんだ。だから気にするな」
琳子は自分の給料を思い出し、いったいこの二人はどれだけ浪費していたのか考えて、眉をひそめた。
「よっし、とりあえず帰ろう」
樹はそういうとハンドルを握り、アクセルを踏み込んだ。
***
帰りの車内は穏やかな空気に包まれていた。
「今度はどこに行きましょうか」
悠太はすでに次の計画を立てはじめている。
「ケーキバイキングに付き合ってほしいのですが、琳子さんは甘いものは?」
「ごめんなさい、基本的には甘いものは苦手なんです」
悠太は苦笑して、樹を見た。
「また俺を誘うのか?」
「だって、一人で行くのは無理だよ」
「そんなに甘いものばっかり食べてたら、太るぞ」
悠太はその言葉に頬を膨らませた。
「男がそんな顔しても、かわいくもなんともないぞ」
「樹は相変わらず、冷たいなぁ」
「男に親切にしてもな」
琳子は後部座席から二人の会話を聞いて、笑みを浮かべていた。
二人ともかなり癖があるし一緒にいて疲れることはあるけど、楽しい。そしてなにより、琳子のことを一番に考えてくれている。
「次はじゃあ、遊園地かなぁ」
遊園地、と聞いて琳子の身体は思わず前に出た。
「琳子さん、遊園地は好き?」
「あの……っ」
助手席と運転席の間から身を乗り出し、琳子は口を開く。
「実は私、遊園地に行ったことがないんです!」
「お、もしかして……」
「またボクたち、琳子さんの初体験に遭遇できるの?」
樹と悠太に呆れた視線を向け、しかし、琳子は続ける。
「うちはあの通り、両親がずっと商売をしていますから、あんまりお出かけしたことないんです」
「じゃあ、いろんなところに行って、思い出を作ろうね」
悠太に言われ、琳子はうなずく。そして、おもむろに口を開く。
「あの……」
琳子は樹と悠太に視線を向けて、恥ずかしそうに口を開いた。
「今回はありがとうございました」
そして深々とお辞儀をした。
「いちご狩りも初めてでしたし、露天風呂付きのお宿も初めてでした」
バックミラーに映る樹の表情は思っている以上に穏やかだ。琳子は確認して、続ける。
「次もその……初めてを体験させてくださいね」
琳子はあえてわざとそういう言い方をした。樹なら『それなら、本物の初体験を』と言ってくるかと思ったら、笑みを浮かべ、バックミラーに視線を向けて柔らかな視線で琳子を見た。
「じゃあ、次は遊園地だな」
「うん、そうだね。楽しみだなぁ」
と普通の反応が返ってきた。あのお風呂での出来事から樹の中でやはりなにかが変わったようだ。琳子はどうにも調子が狂う。
少し不思議に思いながら、琳子は後部座席に戻った。
***
「着いたぞ」
樹の声で琳子は目が覚めた。いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
「ああ、寝てしまってごめんなさいっ」
どうにも油断をしてしまっていたようだ。助手席の悠太もぐっすりと寝ている。
「琳子」
いきなり名前を呼ばれ、琳子は樹に顔を向けた。
「ありがとな」
樹は正面に顔を向けたまま、お礼の言葉を口にした。琳子の鼓動が早くなる。
「なっ、なんですか、いきなりっ」
バックミラーに視線を向けると、樹は口角を上げて笑った。
「いろいろだよ。……さて、と。こら、悠太、起きろっ!」
「んー? あれ、ここはどこ?」
「琳子の部屋の下だ」
「うわっ、樹、ごめんね」
「悠太はとにかく、免許を取れ。俺からの命令」
樹はエンジンを切ると車から降りた。ドアを開けたまま、車内に残っている二人に声をかける。
「早く降りろよ」
悠太はすぐに降りたが、琳子は渋い表情をしていた。
樹が後部扉を開けたので渋々降りたが、なにかするのではないかと警戒する。
「荷物、たくさんだから持ってあがるのが大変だろ?」
と言われたが、そんな大荷物ではない。
「持っていけます」
と言ったが、二人はさっと荷物を持つと歩き始めた。
エントランスで立ち止まり、琳子は頭を下げて荷物を受け取ろうとしたが、阻止された。
「私、持っていけますから」
「部屋まで送る」
以前、拒否して怖い目に遭ったことを思い出し、不安な気持ちになった。なので素直にお願いすることにした。