Sweet darling, Sweet honey


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『撮影当日』



 あの後、ずいぶん遅い時間になったのに素知らぬ顔をして僕は彼方を家まで送り届けた。彼方はあれからなにもしゃべらない。これは完全に嫌われたな、と自分の行動を反省しないでため息をついた。
 家に帰って熱いシャワーを浴びても、自分のしたひどいことを反省できないでいた。あんなことして、喜ぶやつなんてだれもいない。そんなのは真正のマゾだ。自分のなかで普段は眠っているサディスティックな感情が久しぶりに起きてきて、あんなに彼方のなかに吐き出したというのに、僕の身体はおさまってくれないようだ。もう十代の頃のように若くないのに、と僕は自分のそんな身体を蔑む。自分で処理する空しさを感じながら、ようやく落ち着いたのを確認して、ベッドにもぐりこむ。明日は智鶴の撮影日だというのに、本当に最低だ。彼方の悲しそうな瞳を思い出したくなくて、わざと部屋の明かりを消さないで眠りについた。
 朝、秋孝をいつもと変わらない顔をして迎えに行ったのに、秋孝は僕を一目見て、眉をひそめた。隣に智鶴が立っていたので秋孝はそれ以上なにも言わなかったけど、ふたりきりになったらなにを言われるのかわかって、憂鬱になる。
 だけど、と自分に言い訳をする。彼方が魅力的すぎて、僕のないに等しい理性ではあれに抗うのは無理だった。野外だったとか無理矢理だった、っていうのはこの際は棚の上の上の絶対手の届かないところに置いておこう。
 後部座席にふたりを乗せて、今日の撮影会場であるビジネスホテルに車を走らせた。会場につくとすでに蓮さんと奈津美さんは待っていて、智鶴を連れてどこかへ消えた。三人を見送ると、秋孝の痛い視線を感じた。
「なんですか?」
 僕はとぼけてそう聞いた。言いたいことはわかっている。
「おまえなぁ……」
 はーあ、と深海から上がってきたかのような盛大なため息をつかれた。
「前からほんっと最低で鬼畜だとは思っていたけど、ほんっとうにおまえってやつは、どうしてそこだけ人の道から外れているんだ?」
「なんのことですか?」
 わかっているけどあえて聞く。
「俺に全部言わせたいのか? いいぜ、事細かに言ってやっても」
 目を細め、獰猛な視線に僕の中のサディスティックな感情が刺激される。これはまずいな、と思ったけれどどうも昨日、久しぶりに出てきて満足していないらしく、秋孝相手にしかけようとしている自分がいる。
「ったく、おまえのその顔、久しぶりに見た」
 秋孝は僕の挑戦的な瞳に気がつき、やれやれ、とまたため息をつく。
「おまえはほんと、そういうところはまりちゃんそっくりだよな。あきれるよ」
 真理の名を告げられ、ムッとする。
「一緒にしないでください」
「俺もしたくないけど、その目を見たら嫌でも思い出すさ」
 智鶴と想いを通じあわせたことでずいぶんと穏やかになった秋孝は、嫌そうに僕を見ている。
「彼方も彼方だ。抵抗すればいいのに、嫌がるどころか喜んでるなんて」
 秋孝のその言葉に、目を見張る。
「なんだよ? 彼方、全然嫌がってないぞ?」
 すっかり嫌われてしまったと思っていたから、秋孝の言葉に戸惑う。
「あいつは昔っからマゾッ気があったからなぁ。どちらかというとマゾな俺とは気が合わないはずだよな」
 秋孝、さらりとなんかすごいこと言いました?
 秋孝がマゾというのは、確かにそうだ。普段はサドっぽいけど、基本はマゾなのだ。見た目マゾだけど中身はサドな僕とうまくいっているのもそのせいだと以前、分析したことがある。蓮さんはどう見てもマゾだし、奈津美さんなんて完璧サドだ。ということは、マゾな秋孝とサドな奈津美さんはやっぱりいいコンビなのか。秋孝とは時間が経てばほんと、いい関係になりそうだけど、僕はもしかしたら奈津美さんとはあまり相性が良くないかもしれない。ちらり、とそんな考えが浮かぶ。だけど奈津美さんは男相手にはマゾっぽいから……僕とでも大丈夫かなぁ。って僕はなにを考えているんだ。もう僕はあのふたりと一緒に働くつもりでいるらしい。
「深町もあのふたりのこと、気に入ってるのか」
 僕のサディスティックな心が落ち着いたのを見て、目を細めて僕を見ている。
「もうちょっと彼方に優しくしてくれないか、深町」
「今はまだ無理」
 僕は正直に自分の気持ちを告げる。
「ったく、それでおまえ、何人の女と駄目になったんだ」
「駄目になったんじゃないです、駄目にしたんです」
「結果が一緒なら過程なんてどうでもいいんだよ」
 秋孝の乱暴な考えに僕は笑う。
「じゃあ、僕に優しくしろというのは無意味なのはわかりますよね」
 サディスティックな心はやっぱりおさまりきってなかったようだ。それよりももうこの気持ちを押し隠す必要もないのか、と思ったら、少し気が楽になった。
「あーあ、深町が開き直った」
 僕の気持ちをいち早く察した秋孝は、嘆いている。
「まあ、マゾな俺としては歓迎光臨、ウエルカム、だったりするんだけどな」
 やっぱり秋孝は変態だ。って僕も人のこと言えないか。

 僕たちは智鶴の撮影風景を少し見て、仕事に戻った。智鶴の白無垢姿を見て、不覚にも少し涙が出た。智鶴にはそれがばれたみたいで、かなり恥ずかしかった。

 自分たちの仕事が終わり、撮影の進み具合を確認するために蓮さんの携帯電話に連絡を入れた。撮影は順調で、明日予定していたカットも今日中にすべて撮ってしまおうという段取りになっていると言われ、僕はほっとした。少し強行軍っぽかったけど、今日で終わってしまうのならその方がよいだろう。
 僕と秋孝はロビーで待っていた。しばらくして、蓮さんと奈津美さんが智鶴を連れて現れた。
「ちぃ、お疲れさま」
 秋孝が満面の笑みで智鶴を迎えた。こいつもこんな顔、できたのか、とちょっと感心していた。僕もうれしくて智鶴をにこにこと見た。
 急に蓮さんがびっくりした表情をして、ロビーの端を見た。
「あれ、ねーさん」
 その声に、僕は蓮さんの視線の先を見た。そこには、蓮さんそっくりな女の人が立っていた。
「はーい、蓮」
 女の人はにこやかに手をあげて、こちらに向かってきた。
「なんでここにいるの?」
「うん、ごあいさつ」
 ああ、と思い当たる。この人は蓮さんの姉でヴァイオリニストの佳山葵。今回の智鶴のCM曲に彼女の演奏を使うとコネを最大限に利用してお願いしていたのだ。まさかわざわざ彼女から出向いてくれるとは思っていなかったので、驚いた。にこにこしながら近寄ってきていたのに急に立ち止まり、すーっと目を細めた。その視線の先には、智鶴がいた。
「ねーさん?」
 蓮さんの声に葵さんははっとしたようだけど、そのままの表情で智鶴の元へ歩いていく。
「佳山葵です。今回、わたしの演奏をCMに起用してくれるっていうから、挨拶にきたんだけど」
 やはりそうだったのか。まあ、これだけ蓮さんにそっくりだから、間違えようもない。
「あなた、少しわがままが過ぎるんじゃないの?」
 意外な言葉に智鶴は身を固くした。
「葵!?」
 蓮さんが焦ったように葵さんを見た。
「蓮に久しぶりに名前を呼ばれた」
 なんだか喜んでいるような響きが感じられ、僕は首をかしげる。
「ちぃちゃんは全然わがままじゃないよ?」
 奈津美さんの言葉に、僕は心の中で首を振る。この人、一目で智鶴のわがままを見破った。秋孝より怖いかもしれない。僕の心の奥に住むサディスティックな気持ちがむくむく、と起き上ってきた。
 智鶴は確かにわがままは言わない。むしろもう少し言ってもいいんじゃないか、と普通の人が見たらそう思うだろう。でも本当は、違う。本質は僕と一緒だから、僕にはわかる。智鶴も僕も、恐ろしいほどわがままなのだ。だけどそれはだれかれ構わず、ではなく、きちんと人を見ている。智鶴は、秋孝にはとてつもなくわがままなのだ。
「奈津美ちゃん、お久しぶり」
 その場の空気を読んでないような葵さんの発言に、僕は目を細めた。葵さんは再度、智鶴を見て、
「忠告しておくわ。あなたの大切な人を傷つけたくないのなら、そのわがまま、直しなさい」
 智鶴も言われた意味がわかったようで、表情が凍りついた。
 葵さんは今度は秋孝に向かって、
「あなたもこの子のわがままを聞きすぎよ。そんなに関係を駄目にしたいの?」
「俺? ちぃのわがままなら俺、なんでも聞くけど」
 秋孝がかみつきもしないで葵さんの言葉に素直に答えている。秋孝は一瞬にしてこの人を信頼した、ということか。葵さんは秋孝の答えを聞いて、少し眉をひそめる。
「それがあの子を駄目にするのよ」
「俺が? そうか……」
 そうつぶやいて、秋孝は目を伏せた。なんだ、秋孝はきちんと自覚していたのか。それなら安心だ。
 そして葵さんは僕にゆっくりと照準を合わせて、
「あなたはそう、幸せなのね。その子を大切にね」
 なにか言われると覚悟していたから、僕はその拍子抜けの言葉にびっくりした。だけどさっき秋孝に言われたことを思い出し、僕は葵さんにほほ笑んだ。彼方に次に会うのが怖かったけれど、怖がる必要がなかったことを知った。
「葵、もういい加減にしろ」
 蓮さんが葵さんを止めに入った。智鶴が青い顔をして助けを求めていたけど、僕はあえて助けなかった。サドな僕としては妹が困る姿も実は楽しかったりする。ほんと、我ながらひどい。
「あー、これのことを言ってたんだ」
 奈津美さんはへーって感心したように言っている。
「葵さん、すごいねー」
 どうやら奈津美さんは葵さんにコレをされなかったらしい。
 どういう基準で葵さんが言葉を発したのかわからないけど、確かに奈津美さんは少しゆがんだ部分があるにしても、なにか忠告やアドバイスをする必要はなさそうだ。彼女は自力で自分の道を切り開く力を持っている。それには蓮さんのサポートがとても必要なのもよくわかった。
「奈津美ちゃん、会いたかったわ」
 と言って葵さんは奈津美さんに抱きついている。蓮さんは横で苦笑しながらやりとりを見ている。奈津美さんは少し引き気味だ。
 そこで違和感を抱いた。だけど智鶴が蓮さんに話しかけているのを見たら、その違和感を忘れた。智鶴は蓮さんの腕を掴んで耳元になにか囁いている。嫉妬だとかムッとするだとかそんな感情が湧くかと思ったけど、まったくわかなかった。相手が蓮さんだからか?
 蓮さんは困った顔をして智鶴から離れて、奈津美さんに抱きついている葵さんをはがして、なにか耳打ちしていた。葵さんはびっくりした顔をして、智鶴を見ていた。智鶴はなにかに気がついたのか。葵さんは智鶴に近づいてなにか話していた。僕は少し遠くからそのやりとりを見ていた。
 と思っていたら秋孝が急に葵さんに抱きついていた。それを見て、僕は気が付いてしまった。あの抱きつき方は、蓮さんにするのと同じだ。
 ああ、と僕は先ほど抱いた違和感を思い出した。
 どうやら彼女……というより彼は、性同一性障害なのか。
 あまりにも似通った蓮さんと葵さんの容貌。かわいい顔に対する蓮さんの激しいコンプレックス。これは確かに、コンプレックスになる。そして、ふたりの仲がとてもいいだけ、それはより深い傷になる。見た目も頭もいいのに、たまに見せる自信のなさは、ここにつながっていたのか。救いを求めていたのは、僕よりも蓮さんなのかもしれない。そして……その救いの主は、奈津美さんなのか。なるほど、と僕は見つめていた。







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