『怨人─オニ─』


<<トップへ戻る

<<前話*     #次話>>

八章・前



 万代は手のひらの上で緑色に光っている石を見つめていた。それには意志があるようで、万代に命ずるように呼びかけてきた。夢の中でも翠御前がそんなことを言っていたのを思い出し、石に向かって念じた。すると今まで見たことがない、気持ちが悪くて石と同じ色の皮膚をした奇妙な生き物がわき出てきた。万代は最初、あまりの醜さに驚いたが、それは万代に対してなにかしてくる気配はなく、従順のようだった。
 それがどんなことをするのか分からず、万代は様子を見るために家の近所の人があまりこない路地へ行き、そこで緑色の奇妙な生き物を呼び出した。道の端の日の当たるところにのんきに地面をつついているスズメが目に入り、鋭い爪を持つあれが襲ったらどうなるんだろうと思った瞬間。緑色の生き物はあっという間にスズメを捕まえ、命の灯火が消えたそれは、爪に貫かれていた。それは当たり前のようにスズメを口に入れ、嫌な音を立てて飲み込んだ。
 万代はその様子を見て、震えた。あれは鋭い爪で簡単に命を奪う。慎一郎が言っていた「死ぬことに比べればなんてことない」という言葉を思い出す。そうだ、死のうと思っている自分が死を恐れるなんて、本末転倒だ。しかも、自らが手を下すわけではなく、ただ命じただけなのだ。だれだって「死ねばいいのに」と心の中で思うことがあるだろう。それと同じことだ。ただ、心にそう浮かべただけ。それが現実になるだけ。万代は自分の心に念じただけだ。
 次にやったのは、近所をうろうろしているうっとうしくて生意気な猫を襲わせることだった。どこかの飼い猫らしく、きれいな白い毛は手入れが行き届き、いつもしっぽをピンと立て、まるで万代をあざ笑うかのような態度で悠々と目の前を横切る姿が癪に触っていた。その猫が万代の目の前をいつものように横切った。緑色の生き物に命ずると、猫は抵抗することもなく、ただの白い毛の塊と化した。
 ただ思っただけでこの緑色の生き物は、自分が邪魔だと思うモノを簡単に消してくれる。先ほど抱いた恐怖心はどこかに行き、万代はまるで、夢の中にいるような気持ちになっていた。あれだけ願ってもなに一つ形にならなかったことが、今はただ思い浮かべるだけであっさりと実現する。
 茶色い野良犬がいて、邪魔だと思っただけでそれは地面に伏した。あまりにも面白くなってさらにと思ったところ、その現場に朔也と胡桃が現れ、緑色の生き物はあっさりと倒されてしまった。そのことを思い出し、万代は悔しくて石を握りしめた。
 緑色の生き物は倒されてしまったが、しかし、石はさらにもっととどん欲に求めてきた。万代は慎一郎からその石を譲り受けた目的を思い出し、自分をいじめている三人を思い浮かべた。最初にリーダー格の吉田千真、次に同じクラスの佐々木楓実と下級生の山崎利華。しかし万代は事前になって怖くなった。小動物が簡単にただの塊になったことの恐怖を思い出したのだ。確かにあの三人は憎い。しかし、命を奪うまで憎いかと問われると──。
 学校に行き、三人が何者かに襲われて入院したと聞いたとき、万代は復讐を果たすことができたことを知った。自分の中にたまっていた鬱憤を晴らすことができて、初めてすがすがしい気分になった。そして、命には別状がないと知り、安堵した気持ちがあったのも確かだ。
 その次に、学校の嫌な先生を思い浮かべた。あの人たちも同じように怪我をしてしまえば、しばらく嫌な学校に行かなくても済むと軽い気持ちだった。先生たちも襲われ、そのせいで学校が休みになり、万代は自分が力を持ったことを自覚した。願えば自分が思ったとおりになる。これほど簡単なことはない。万代は愉快な気分になった。
 万代はいとおしそうに手のひらの石をなでる。もっともっと、自分のことを馬鹿にしたヤツらが襲われるといい。万代の中にそんな昏い気持ちがわき上がる。その途端に同じクラスの桃里胡桃を思い出し、万代の気持ちをかき乱していく。
 正義感ぶっていじめから救ったと勘違いしているあの女。余計なことをするからますますひどくなったのを知らないようで、教室でだれとでも仲良く楽しそうに話しているのを思い出し、心の奥から感じたことのない気持ちが吹き出してきた。しかも、犬伏先輩と仲良く話をしていた。どうしてあんな女が。自分となにが違うというのだろうか。
 万代は石を握りしめ、特に目的があるわけではないが、家を出る。
 ふと自分のことをいじめていた三人が襲われた場所を確認してみようと思い立つ。千真が襲われた場所は万代の家のすぐそこ。最近知ったのだが、千真の家は万代の家にとても近いようだった。下を向きながら線路沿いを歩き、周りのアスファルトより色が濃い斑点が見える場所で足を止めた。よく見るとそれは血の跡のように見える。ここで襲われたのかと思うと、万代の中にようやく現実感が伴い──怖くなった。
 だけど、と万代は自分のやったことを正当化するために言い訳をする。
 今まであの人たちは三人がかりで自分をいじめてきたのだ。命を失うほどの致命傷ではなかったのだから、感謝してほしいほどだ。身体に受けた傷は時間とともにそのうち治るが、自分はいじめられ、死にたいと思うほどの癒えることのない心の傷を負ったのだから。
 次に利華が襲われた場所を確認しようと歩き出そうとしたとき、万代は人の気配を感じて、振り返った。
「よお」
 そこには、九鬼慎一郎が立っていた。隣には色白で唇の赤さが妙に印象的で、艶のある長くて黒い髪も美しい少女が慎一郎の腕に絡みついて立っていた。妙に仲のいい感じに万代の心に嫉妬の嵐が吹き荒れる。
 わたしの慎一郎にどうしてそんなにひっついているの? 離れなさいよ!
 負の感情がわき上がり、握っていた石に念じるが、あの緑色の奇妙な生き物は姿を現さない。どうしてと焦っていると、慎一郎は笑みを浮かべる。
「おれたちには効かないよ、野尻」
 万代の心の中を読んだかのような慎一郎の言葉に、どきりとする。
「順調にその石を使いこなしているようだな」
「お兄さま、面白い生き物を見せてくれるっていうからついてきたのに、いないじゃない。それにしても、なによこの醜い生き物」
 慎一郎の横に立つ少女は、万代を汚いものでも見るかのように顔をゆがめて見ている。
佳緒里かおり、仕方がないだろう。あの石はおれたちには危害を加えられないようになってるんだから。そんなに見たいのなら、こいつにひっついていればいつかは見られるんじゃないのか?」
「えー、嫌よぉ。わたくしの美学に反する見た目の人間と一緒にいるなんて、耐えられない」
 万代は正面からはっきりと言われ、かなり傷ついていた。確かに目の前にいる美しい二人に比べれば、自分は醜いかもしれない。それでも……。耐えられなくて、万代はうつむく。
「野尻が見るに耐えられないのは分かった。帰るとするか」
 慎一郎の言葉に、万代の頭に血が上る。それと同時に、万代はめまいを感じた。
『おぬしはこの石の主らしいが、ほんにひどいことを申す』
 万代とは違う低い声に、慎一郎は目を細める。
「ようやく出てきたのか。もっと暴れて、おれたちを楽しませてくれよ」
 慎一郎の言葉に、万代ではないだれかは慎一郎と佳緒里をにらみつける。
『われがだれか知っていてそんな命令をするのか』
「知らないよ。だけどおまえよりは立場が上というのだけは知っておけ。負け犬のくせに偉そうな口をききやがって」
 慎一郎は野良犬でも追い払うかのように、万代に向かって手を振った。
『おぬし……覚えておれ』
 なにもできないことを知り、万代はきびすを返す。
「お兄さま、あんなことを言っていいんですの?」
 佳緒里は慎一郎の胸にそっと手を置き、顔を見上げる。
「いいんだよ。あれくらいあおらないとあいつは駄目だ。もっと暴れてもらって、あの桃と戦ってもらわないと困る」
 慎一郎は万代の後ろ姿を見ながら、意味深な笑みを浮かべた。





<<トップへ戻る

<<前話*     #次話>>