『月をナイフに』


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《七》月をナイフに07



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 サンドラはけだるげに寝台の上に上体を起こした。
 アレクは扉の前に立ち、深緑の瞳をサンドラへと真っ直ぐに向けた。

「相変わらず、無理をするね」

 アレクは思わず、苦笑交じりの声をサンドラへと掛けた。いつもならば『そんなことないわよ』と返ってくるのに、今日は無言だった。

「……サンドラ?」

 サンドラはまだ夢から覚めきっていないのか、ぼんやりとアレクを見つめている。
 室内にいてもサンドラの美しい金色の髪は輝いて見える。そしてアレクを見つめる紫色の瞳は妙に潤んでいて、アレクはどきりとした。

「……なんだかとっても悲しい夢を見ました」

 サンドラの声は震えていて、今にも泣き出してしまいそうだ。

「夢の中にも、アレクは出てきたの。……だけどなぜかわたしは『アメシストさま』と呼ばれていて……。アレクのことが好きなのに、好きだと伝えられなくて。……伝えられないというより、立場的に言ってはならない言葉で……」
「それって」

 アレクはサンドラの言葉を遮り、笑みを浮かべた。

「サンドラがオレのことを好きなのは、夢の中だけ?」
「え……」

 そこでサンドラは自分の言葉に気がついた。
 『アレクのことが好きなのに』と、ぽろりと本音を洩らしていたのだ。

「サンドラ」

 アレクの呼びかけはいつもに増して甘く感じて、サンドラは先ほどの自身の言葉と合わせ、頬が熱くなったのが分かった。そのことを悟られないようにと慌てて両手を自分の頬にやろうとしたのだが、アレクの方が一歩、早かった。
 扉の前に立っていたはずなのに、気がついたら寝台の上のサンドラの目の前にやってきて、手首を掴まれていた。熱を持った頬を隠すことが出来なくなった。そればかりか、サンドラをじっと見つめる瞳を逸らすことが出来なくなった。

「お姫さまなサンドラもいいけど、オレは今のサンドラがいい。アニヴェラセーラが消えてなくなることを知った時、一生懸命になって復活させようとしたサンドラを見て、オレは決めたんだ」

 いつもは醒めた瞳で世の中を見ているように感じていたアレクの瞳は、まるで熱に浮かされているかのように熱っぽかった。その視線を受けて、サンドラは落ち着かない。アニヴェラセーラを焼くときの炎よりも熱くて、視線で心を焼き尽くされそうだった。
 まるで鉄の板に乗せられたアニヴェラセーラのようだ、とサンドラは思わず現実逃避なことを考えてしまう。

「本当は生誕祭の時に伝えようと思っていたんだ」

 アレクはますます熱のこもった真剣なまなざしでサンドラを見つめてきた。

「サンドラ、オレと結婚をして欲しいんだ」

 アレクからの思いがけない言葉に、サンドラは瞬きをするのも忘れ、じっとアレクの深緑の瞳を見つめた。

「オレは知っている通り、アニヴェラセーラ用の野菜を栽培することしか出来ないつまらない男だし、貧しい暮らししかさせてあげられないかもしれない。だけど、サンドラがアニヴェラセーラにかける情熱に負けないくらい、オレもアニヴェラセーラが好きだ。だから生涯を掛けてサンドラと一緒にアニヴェラセーラをずっと作り続けていけたらと……」

 サンドラはアレクの言葉に、ようやく笑みを浮かべることが出来た。
 サンドラもずっと、アレクのことが好きだった。
 だけど夢の中で見た『アメシストさま』ほどではないが、立場的にアレクに好きだと言えないと思っていた。

「だってわたし……」
「サンドラはサンドラだろう?」
「でも」
「オレとサンドラは同じ種族だし、幸いなことに男と女だ。結ばれるとして、どこに障害がある?」
「だって……わたしには両親が」
「いないって言いたい? でも、両親がいないとサンドラは生まれていないだろう? オレの両親だって、すでに亡くなっている。両親を失うのが早いか遅いかの違いだろう?」

 サンドラはその言葉に、両目を見開いた。

「生誕祭で答えを聞かせて」
「…………はい」
「厨房にマヒーツィを置いてるから」
「あ……ありがとう。少し休んだら良くなったから、アニヴェラセーラ作りに戻るわ」
「調子が戻ったのなら、良かった」

 アレクはサンドラが立ち上がるのを手伝い、その細い腰を支えながら厨房へと戻った。
 アレクの優しさにサンドラの心は温かくなる。

 そして、生誕祭の日。
 サンドラはアレクの求婚に対して、大きくうなずいて受け入れたのだった。

┿─────────────┿

 真珠は、真っ暗な空間に立っていた。

「今度は……どこ?」

──光があれば、闇がある。
 今度は聞き覚えのある声だった。
 背筋がぞっとするのは相変わらずだったけど、無事だったことに真珠はほっとした。

「ラーツィ・マギエ、大丈夫だったんだ」

『無事なものか。我は一度、消え去った』

「……へ?」

 辺りを見回しても、自分の輪郭も分からないほどの闇。
『新しい世界にはおまえは要らないと、放り出された』

「放り出された? って、ここはどこ?」

『さあ、知らぬ』

「知らないって……」

 ラーツィ・マギエの投げやりな言葉に、真珠は呆れてしまった。

「……って、ちょっと待って。あなたが要らないって言われてここにいて、どうしてあたしまで一緒にいるの?」

『そんなもの、知らぬ』

「知らないって!」

 真珠も新しい世界には要らない存在。
 ──それはそうだろう。真珠はもともと、あの世界の住人ではない。今回だって、アメシストに喚ばれてイレギュラーでやってきたのだから。
 そのせいで世界が壊れてしまったのかもしれないと思うと、責任の一端を感じて、落ち込んでしまう。
『落ち込むな、馬鹿が』

「馬鹿って!」

『つくづくおまえは、面白いヤツだ。清らかな乙女のはずなのに、酷い邪念。かと思ったら、世界を新しく創り出してしまうほどの純粋さを持っているとは』
 嘆くような声に、真珠は頬を膨らませた。

「なによっ。あたしが琥珀を想う気持ちはだれにも負けない! 超純粋なのよ!」

『邪念の元が純粋とは……』

「失礼ね!」

 そしてふと、真珠はラーツィ・マギエの言った言葉を思い返し、目を瞬かせた。

「え……って。新しい世界って?」

 何度かラーツィ・マギエは新しい世界と言っていたが、ようやく真珠にその言葉の意味が浸透したようだ。
『今更それを聞くか?』

「だって! ここがどこか分からなかったし!」

『ここはどこでもない世界』

「どこでもない世界?」

『おまえが気にしているジャーザナは、生まれ変わった』
 生まれ変わったと言われても、真珠にはピンとこない。

「生まれ変わったって……まったく新しくなっちゃったの? みんなはっ?」

 真珠のせっつくような言葉に、闇の空間が震えたような気がした。
『詳しくは知らぬ。ただ……我は不必要だと世界に拒否され、ここに飛ばされた』

「要らないって、そんなの酷いよ! あたしはあの世界の人間じゃないからここにいるのは分かるけど……。だってあなた、もともとはあの世界で生まれたんでしょう?」

『……そうだ。我があの世界にいると、再び世界が壊れると。存在を消されなかっただけ、まだマシだ』
 諦めたようなラーツィ・マギエの声に、真珠は憤った。

「そんなのおかしいよ! だって、あなただって、あの世界を構成していた一部でしょう? それなのに、要らないって! 世界が壊れるからって!」

 そこで真珠は気がついた。
 ダイアンとディーナに促されて月と太陽を創ったとき。真珠はラーツィ・マギエのことを思い出さなかった。

「もしかして……あたしのせい?」

 もしもあの時、ラーツィ・マギエのことを思い出していたら、今、ここにラーツィ・マギエはいなかったかもしれない。

「あたしのせいだ」

『そうだな。おまえのせいかもしれない』
 はっきりと答えたラーツィ・マギエに、真珠はしまったと思ったが、遅かった。
『おまえのせいで、我はこの永遠の闇をさまよわなければならなくなった。ここでは半身を探すことが出来ぬ』

「う……」

 そう言われると、真珠はぐうの音も出ない。
『せっかく、半身を見つけたというのに』

「……え? ほんとっ?」

 真珠が聞いた話では、ラーツィ・マギエには対になる相手がいないということだったのだが、実はいたのだろうか。
『我の対になる存在は、水晶族の女たちだ』
 まさかの答えに、真珠は眉間にしわを寄せた。
『あれらにも伴侶がおらぬ。あれらの祈りが強ければ強いほど、我の力は強くなる』







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